炸裂! 入社祝いラッシュ
金曜日。斜陽に赤黒く照らされた安アパートの敷地内へ、源吾郎はよろよろと入り込んでいった。田畑の中にぽつねんと佇むこの建物の一室こそが、源吾郎だけの牙城だった。
狭くつましく田舎のど真ん中にある部屋であるものの、源吾郎は案外気に入っていた。青春真っただ中のややこしい年頃である源吾郎にしてみれば、自分だけが寝起きする場所を得たという最大のメリットの前では、他のこまごまとした条件は吹き飛んでしまったのだろう。
スーパーや駅からやや遠い場所に位置しているという条件さえ、源吾郎には大した問題ではなかった。普通の人間ならばママチャリを使っても疲れ果ててしまう場所であっても、源吾郎ならば楽に行き来する事が出来るためだ。その身に流れる妖怪の血は、生粋の人間よりも優れた身体能力や体力をももたらしていたのだ。
さて源吾郎は引っ張っていた通勤用ママチャリをしかるべき場所に駐輪させ、アパートの入口へ歩を進めようとした。普段ならば気にせずそのまま部屋に直行するのだが、今回はそうしなかった。
「私有地につき関係者以外の立ち入りは遠慮願います」と言う月並みな看板の傍らに、三名の男女が控えているのを発見したからだ。大人の男が一人と、これまた成人女性が二人と言う組み合わせだった。いずれも小さいがデザインの良い紙袋を提げている。彼らは互いの関係性――彼らが互いにどういう間柄か、源吾郎もよく知っていた――を示すがごとくくっつき過ぎず離れすぎず、絶妙な距離感を保ってそこに居た。そして彼らの視線は互いに向けられていたが、訪れた源吾郎にもきちんと向けられていた。源吾郎が来るのを見越して、そこで彼らが待っていた事は源吾郎にも解っていた。源吾郎はだから、入り口ではなく彼らの方へと向かっていったのだ。
「こんばんは、苅藻叔父さんに叔母上。それに双葉姉様まで来てたんすね」
源吾郎は近付くや否や、砕けた口調で挨拶をした。年長の親族たちに笑みを向けてはいたが、内心では少し戸惑いも感じていた。姉様はさておき、どうして叔父上や叔母上が来ているのだろうか、と。
「こんばんは源吾郎。元気そうで何よりだよ」
呼びかけにまず応じたのは叔父の苅藻だった。全体的には普通の人間と変わらぬ姿だが、すらりとした、それでいて貧弱ではない身体つきや涼しげな目許や繊細な鼻梁などは、化身した妖狐の特徴を具えていた。
「源吾郎も念願かなって雉仙女の許に弟子入りして、研究センターに勤めてるだろう。今日は金曜日で長い夜になるだろうから、ささやかな入社祝いをやろうと思ってね」
「入社祝い、ですか」
源吾郎が反芻すると、苅藻はさもおかしげに笑った。
「前もって言っておくけれど、別に俺もいちかも双葉も今日集まろうって示し合わせたわけじゃあないんだぜ。だけどこうして同じ日時におのおのやって来たんだ。
面白いと思うだろう、わが甥よ。俺は面白いと思ってるし、内心嬉しくもある。わが最愛の妹、いちかと考えが通い合った気がしてな」
「兄さんってばそんな事ばっかり考えるんだから……」
妙に喜ぶ苅藻の傍らで、苅藻の実妹のいちかはじっとりとした視線を向けるだけだった。末の叔父である苅藻は、親族たちの目から見てもややシスコン・ブラコンの気がある男だった。無論彼の「愛情」は兄が妹に向けるものに留まっているのだろうが、苅藻はいちかが未だに見た目通りの無垢な少女であり、兄に対して未だに信頼と庇護を求めていると思っている節があるらしい。
苅藻もいちかが生まれるまで末っ子だったので、後から生まれた者たちに「お兄さん風」を吹かせたいらしい。従って他の叔父たちよりも妹のいちかを構い、甥である源吾郎とその兄たちを弟と見做し接する機会が多いのだ。
実を言えば、源吾郎は親族たちの中で苅藻の事をもっとも好み、実の兄以上に兄のように慕っていた。この叔父は源吾郎に次いで妖狐の特徴が濃く、妖怪絡みのトラブルを解決する術者として働いている所に魅力を覚えていたためである。
「私も本当は独りで源吾郎の所に来ようと思ってたの。みんなで大挙してやって来ても大変でしょ?」
いちかが源吾郎を見つめながら呟やいた。彼女は苅藻と違って叔母らしく振舞おうとしているが、年少者を可愛がり指導したいという欲求は、すぐ上の兄とそう変わりはしない。過去は苅藻と共に術者として働いていたそうだが、何十年も前に独立し、今は若手の野良妖怪を「弟妹」と見做して自分の事務所で面倒を見たり働かせたりしているらしい。
「去年の秋にあった親族会議の時には、兄様たちも源吾郎も炎上寸前で大変だったって苅藻兄さんから聞いていたの。あんまり大勢で集まったら、源吾郎も委縮しちゃって可哀想だなって思ったんだけど……」
気遣うような表情のいちかに対しては、笑みを返してやった。源吾郎は実は年長者に囲まれる事で戸惑う事は少ない方だ。親族会議の折に炎上寸前になったのは事実だが、別に委縮していた訳でも無い。
「私も苅藻叔父さんやいちか叔母さんと同じく入社祝いに来たんだけどね、源吾郎がどんな仕事をやってるのかも聞きたいと思ってるの。姉として就職したばかりの末弟を心配しているって言うのもあるけど、面白そうだから」
姉の双葉はずいとにじり寄り、猫のような瞳で源吾郎を見下ろした。オカルトライターとして日夜仲間や後輩たちと取材・情報収集に明け暮れている姉にしてみれば、源吾郎の今の身の振り方はまたとないネタになると考えているのだろう。何せ九尾の子孫で人間の血も引く若者が、妖怪としての暮らしを知るべく大妖怪に弟子入りしているのだから。
もちろん、双葉から取材を求められたら源吾郎は快く応じるつもりではある……自分が語る内容が、姉を喜ばせるに値するかどうかは解らないが。
「ま、ひとまず源吾郎君の部屋に入ろうじゃないか。こんなところで立ち話と言うのも粋じゃないだろう」
この場での年長者たる苅藻が、アパートの入り口をさりげなく示しながら告げた。今は夕方の中途半端な時間であるが、もう少しすれば他の住人たちが行き来する時間帯を迎えてしまう。そんな中で入り口付近に大の大人が四人も固まっていたら邪魔だし怪しい。
源吾郎は親族たちを先導するように、真っ先に動いた。苅藻が源吾郎の隣に進み出て、叔母と姉はその後ろを並んで歩く形になったらしい。
入社祝いのためにと叔父たちや姉がやって来たのに驚いた源吾郎だったが、実は入社祝いそのものは父母や兄たちから受けたばかりだった。
父母からは祝い金を受け取っていたし、今ここにはいない三名の兄たちは、それぞれが選んだ祝いの品を源吾郎の許に送り付けていたのだ。兄たちで何を送るか示し合わせたのかどうかは不明だが、送られてきた品物に彼らの個性が垣間見え、妙に面白さを感じたものだった。
「色々言う事はあるかもしれないが、就職おめでとうな、源吾郎」
四人が顔を突き合わせる形で腰を下ろした中、叔父の苅藻がしみじみと呟いた。源吾郎が礼を述べると、苅藻は真面目な表情を作り、言葉を続ける。
「して源吾郎。仕事、いや修行はどうだね」
静かに放たれた苅藻の問いに、いちかと双葉の表情が一変した。いちかは心配そうな表情を深め、双葉は好奇に瞳を輝かせた。互いが抱く感情は違えど、源吾郎の暮らしに強い関心を抱いている事は明かだ。
「あんまし大した事はしてないんだ。正直な所」
源吾郎は伏し目がちに呟いた。ある種の期待と不安を抱いていたいちかや双葉がどんな表情で相対しているのかは、だから解らなかった。
「今のところは紅藤様や、先輩方の雑用を行ってるだけでさ。書類の目録を作ったり紅藤様が培養している組織の培養液の調合を教えてもらったり、あとは……研究センターの敷地をぶらついて、紅藤様が所望なさる植物や虫や蛇やトカゲを捕まえたりするくらいさ。うん、特筆する事は無いよ。座学っぽい事も日に二時間くらいやるけど、それもビジネスマナーがどうとか、割と普通の事だし」
源吾郎は顔を上げ、苅藻たちを見やった。彼が口にした修行、若しくは業務内容は誇張も粉飾も無い純然たる事実だ。めっちゃ強い妖怪に仕える者としての仕事の割には地味ではないか。そんな指摘が飛ぶであろうと源吾郎は踏んでいた。
ところが、見る限り肩透かしを食らったと言いたげな表情を浮かべている者はいなかった。どちらかと言えば安堵したような、和やかな笑みを三人とも浮かべている。
「紅藤様ってこだわりの激しい研究者だって聞いていたけれど、新人教育の方は割とまともになさるんだなーって思うと却って新鮮だわ。だけど、サラリーマンだったら避けて通れない道だものね、下積みって」
「蛇やトカゲを所望なさるって所がやっぱり鳥妖怪らしいなぁ。だが源吾郎も頑張ってるじゃないか。言っちゃあなんだが、初日や二日目くらいで嫌気が差して、三花姉さんや俺の許に泣きつくんじゃあないかって結末も、こちらは考えてはいたんだよ」
「ちょっと苅藻兄さん。いくら源吾郎が温室育ちだからって、そこまで言っちゃあ可哀想よ」
「しかしいちかよ。兄貴たちも俺と同じ考えらしいんだから仕方無いだろうに……いや、兄貴たちは源吾郎がおのれの野望を打ち棄てるのがお望みのようだが」
「ちょっと、俺は下積みがしんどいなんて言うしょうも無い理由で、自分の野望を投げ捨てる事なんてやらないからな!」
黙って苅藻たちのやり取りを聞いていた源吾郎は、ここで思わず声を上げた。苅藻の兄たちが、自分にとっての年かさの叔父たちが源吾郎の決めた進路を未だ快く思っていない事を源吾郎は知っている。さりとてその野望を棄てるつもりなど毛頭も無かった。
源吾郎の祖母である白銀御前は、末孫たる源吾郎が紅藤に弟子入りする事を認めたのは事実である。しかしその一方で、彼女は源吾郎に強烈なペナルティも提示していた。修業を投げ出した場合、全ての妖力を奪い取りその後の生涯は人間として暮らすようにするというものである。妖狐の血に誇りを持ち心のよすがにさえしている源吾郎にしてみれば、殺されるよりも恐ろしく残酷な処罰に思えたのだ。
「いつか、いつの日か俺の事をアホな仔狐だって思っている叔父上たちを俺は見返すつもりなんだぜ。まだ修行は始まったばかりだからしんどいとか辛いとかそういう所はまだ解らないけど、しんどかろうが俺は投げ出さないよ。諦めて投げ出すのなら、叔父上たちで寄ってたかって尻尾を全部引っこ抜いてもらっても構わない。俺は、俺だって巡ってきたまたとないチャンスをふいにしたくないんだからさ。紅藤様って本当にすごいお方だって、話を聞いているだけでもひしひしと伝わってくるもん。それ以上にヤバい所もあるけれど」
親族会議以来の渾身の叫びを、気付けば源吾郎は苅藻たちの前で放っていた。だがこれも彼らの中では想定内だったらしく、急に昂った源吾郎を前にしてほがらかに笑うだけだった。
「ははは、少し痩せたみたいだったから正直心配していたんだけど、元気そうで何よりだ。それに、ああ、ひたむきで一本気な所は父さんにそっくりだ。わが甥よ、源吾郎よ。兄貴たちが何と言おうと、お前は大望を果たすだろう。俺はそう思っているぞ」
ややもったいぶった苅藻の言葉に、源吾郎も思わず笑い返した。
それから皆の興奮が収まってから、源吾郎は入社祝いの品を順番に受け取る事と相成った。双葉からはパワーストーン付きのブレスレットと最強の主人公がハーレムを作るという旨の小説を、いちかからはデジタル妖力測定器を、苅藻からはナンパの指南書を受け取った。予想通り、三者のプレゼントはどれもジャンルが被らず、また先に兄たちから貰っていた品物とも全く別のものだった。
余談として付け加えると、長兄の宗一郎からは自己啓発本とネクタイピンを、次兄の誠二郎からは見慣れないボタンが並ぶ関数電卓を、末の兄である庄三郎からは研究者が好んで使うようなデザインのラップトップ(ノートパソコン)を、源吾郎は貰っていたのである。
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