賽は容赦なく投げられる ※暴力表現あり
「我々は自警団第六本部だ! 株式会社ゴモランよ、違法薬物製造販売・妖怪売買等二十三の嫌疑で摘発する! 神妙にお縄にかかれ!」
妙に勿体ぶった口上を耳にしたと、源吾郎は思う暇はなかった。源吾郎の座す席は奥まった個所にあるにはあったが、そこからでも異様な光景を目の当たりにする事は可能だった。
自警団と名乗りを上げた狸男を筆頭に、十数匹の妖怪がぱらいそになだれ込んできたのだ。狸妖怪がリーダーらしいが、鴉天狗や犬妖怪の姿もチラホラとある。彼らはいずれも武装し、何よりも殺気に満ち満ちていた。
「…………」
源吾郎は目が飛び出さんばかりに瞠目し、その場に立ち尽くす事しかできなかった。ドラマや映画のワンシーンのようだ。唐突にそう思ったが、それ以外の考えは浮かび上がってこなかった。暴力が絡む映画やドラマを見た事はある。派手なアクションシーンに興奮し、歓喜の声を上げた事さえある。
しかし、それとこれとは別物だ。やれ最強になるだの世界征服するだの言っている源吾郎だが、暴力と流血とは縁遠い日々を送っていた事はまごう事無き現実だ。殺し合いでも何でもない、遥か格下の相手との戦闘訓練にさえ戸惑い、烈しく動揺したくらいなのだ。そんな彼が、どうして今ここで展開されている暴力行為を前にして平常心でいられようか。まだ泣き叫ぶ事すらなかったというだけマシというレベルである。いやむしろ、唐突な展開に心が追い付かず、呆然とするのみという方が正しいかもしれない。
「……ッ!」
どれだけの時間が経ったかは解らない。だが源吾郎は我に返る事が出来た。皮肉な事に、生のアクションシーンという衝撃的な光景から源吾郎を正気に引き戻したのは、別次元の衝撃だったのだが。
猛然と黒服やスタッフの娘らに躍りかかり、奮闘し、追い回す自警団の面々には、明らかに源吾郎の見知った顔があったのだ。
化粧の濃いスタッフの娘と取っ組み合いを繰り広げるのは叔母のいちかだった。
店内の中空を飛びながら、呪文と呪符をまき散らすのはオウムのアレイだった。
ガスマスクをかぶり、噴霧器から謎の液体をまき散らす人物の傍らに、鳥園寺さんは寄り添うように佇んでいた。謎の人物に対する視線には恐怖の色はなく、むしろ親しげにさえ見えた。
「ど、どうしよう……」
か細い、今の騒動の中では容易くかき消えてしまいそうな声で源吾郎は呟いた。見知った相手が自警団に加担している事を悟り、源吾郎は先程まで抱いていたのとは別種の恐怖を感じ始めた。
事ここに至り、源吾郎はおのれが取り返しのつかない状況に置かれているのだと悟った。妖怪同士の小競り合いは数多くあれど、自警団と銘打つ面々が、無辜の妖怪を襲う事はまずない。現に違法薬物の製造販売などと言った嫌疑がかけられていると言っていたではないか。
だがそれ以上に、自分がぱらいその一味であるといちかやアレイに知られるのが怖かった。アレイや鳥園寺さんは会合にて知り合ったばかりだからまだいい。問題は叔母のいちかだ。彼女が源吾郎とぱらいそとの接点について知るのにそう時間はかからないだろう。色事と甘言に騙されたという事実を、妙に潔癖な叔母が赦しはしないであろう事も目に見えていた。これがまだ叔父の苅藻であったなら話は違う。若いころ遊び人だった彼の事だから「まぁ若いうちは女の子の色香にクラっと来るのも致し方ない。しかし一流の男は女に惚れるんじゃあなくて惚れさせるんだぜ」と言われるくらいで終わるだろうが。
「大丈夫よ、島崎さん」
戸惑いと恐怖でうろたえる中、源吾郎の耳朶を打つのは他ならぬサヨコの声だった。彼女はまっすぐ源吾郎を見つめている。気丈にも怯えた様子を押し隠し、何かを強く決意したような眼差しを源吾郎に向けていた。
源吾郎は心臓が暴れまわり喉が渇いて詰まるような感覚を抱いていたが……少しずつ勇気と落ち着きを取り戻し始めていた。オロオロしている自分が情けないのだと、客観視し始めたのだ。源吾郎はプライドが高く、おおむね悪い意味でうぬぼれ気味だ。しかしこの局面においては、皮肉にもその特質が良い方向に転がったのだ。
――ああ、サヨコちゃんは俺以上に怖い思いをしているというのに気丈に振舞っているじゃあないか。俺は男だし、しかも九尾の、玉藻御前の末裔だ。こんな事くらいでうろたえるなんて、九尾の末裔の名折れだ!
「怖がらないでサヨコちゃん。君の良き夫になる事を僕はもう心に決めたんだ。君の事は僕が護る。君のためなら――何でもやるよ」
聞く者が聞けば鳥肌もの・失笑もののセリフを源吾郎は何も気にせず吐き出した。恥ずかしいとか他人に聞かれたらどう思われるかなどと言う考えはなかった。源吾郎にとって大切なのは、愛するサヨコが源吾郎に頼り、何かを求めているという事だ。愛する女性に対する要求に応える事は、漢として当然の事だった。
「少しだけ、協力してほしいの」
「何だってやるよ。必要ならば僕の生命さえ惜しくない」
喰い気味かつ本心からの言葉にサヨコは少しだけ驚いた素振りを見せた。しかしすぐにその面に笑みを浮かべ、ゆっくりと首を振る。
「ありがとう島崎さん。私を想うその気持ちは痛いほど伝わってきたわ。だけどそんなに気負わなくて大丈夫。少しだけ私に協力して、みんなを説得してほしいの。私に考えがあるの。だけど私ひとりじゃあどうにもならない。島崎さんが、玉藻御前様の末裔であるあなたが協力してくれれば、あの恐ろしい自警団も立ち退いてくれるはず」
源吾郎はしばらく目を見張り、サヨコを数秒見つめていた。それから彼女の手を取り、気付けば握っていた。サヨコは嫌がらず、源吾郎の振る舞いを受け入れていた。
※
膝の震えをこらえつつ、源吾郎は斜め後ろのサヨコに従って歩を進めた。
未だに自警団とぱらいそ側のスタッフとの攻防は続いている。客として訪れた妖怪たちはやはりオロオロして右往左往するか、怯えて壁の隅やテーブルの陰に隠れたり、自警団に詰め寄られて逃げられなかったりぱらいその面子と共に自警団を襲撃しようと奮起したりどさくさに紛れて金品を盗み出そうとしたりと様々だ。
「ここで良いわ」
サヨコが小声で呟いた。源吾郎は頷き、歩みを止めた。彼らが立っているのはテーブルとテーブルの間、少し開けた所だった。取っ組み合いだのなんだのの格闘にふけっていたはずの妖怪たちは動きを止めて源吾郎に視線を向けた。今の源吾郎は尻尾を顕現させた状態だった。サヨコに指示されたからだ。その方が目立つと。
「あの子供は誰だ?」
「お前知らないのか、あいつは玉藻御前の子孫だよ。確か、雉仙女の弟子だったとか」
「源吾郎……? どうしてここに……?」
「噂通り四尾なんだな。めっちゃ毛並み良さそう」
源吾郎は頬をてからせながら観衆の視線を浴びていた。きっとサヨコは、源吾郎に自警団への説得を行ってほしいのだろう。どういう話をするのかは打ち合わせていないが、たぶん大丈夫だろう。自警団の面々も源吾郎に並々ならぬ注目を持っているし、きっと俺の話を聞いてくれる。
軽く咳払いをしたのち、源吾郎は表情を引き締めて周囲を睥睨した。ひとまず演説を始めるとしよう。準備を始めた時、サヨコが不意に源吾郎の背をつついた。
「島崎さん。肩に糸くずがついていますわ」
「え、本当!」
唐突なサヨコの指摘に源吾郎はやや大げさに声を上げた。慌てて糸くずを取り払おうとした源吾郎だったが、サヨコはさり気なくそれを押しとどめた。
「大丈夫よ。私が取って差し上げますから」
「あ、ありがとう」
衆人環視の中、サヨコが源吾郎の身体に手を伸ばす。背後に回った彼女の事を源吾郎は信頼しきっていた。いや厳密に言うならば彼女には危険なところがあるという可能性を抱く事さえなかった――だからこそ、二人で出向いた時に彼女が何かを所持していた事、そして今何かが起きようとしている事に源吾郎は気付かなかったんだ。
「一歩たりとも動くな、自警団と名乗る狂犬共が!」
ヤンキーも真っ青の暴言がぱらいその店内に響き渡る。その声の主は、間違いなく源吾郎の傍らにいるサヨコだった。可憐な乙女そのものと思っていた彼女の言葉は衝撃的だったが、源吾郎は乙女らしからぬ彼女の言動を指摘する事も突っ込みを入れる事も出来なかった。
源吾郎の喉元には、サヨコがしっかと握るダガーが突き付けられていた。源吾郎よりもやや背が低いためか、水平に刃を突き付けるのではなく切っ先がやや斜め上を向いていた。
「この狐がどうなっても良いのなら暴れまわると言い。だが覚えておきな、私やそこの下っ端共を摘発するというのなら――こいつの生命はない」
低くおどろおどろしい声でサヨコは言い放つ。源吾郎はまたも頭が真っ白になりかけた。だが自警団の襲撃の時と異なり、すぐに状況を把握していた。サヨコは説得のために源吾郎の協力が必要と言っていた。その言葉はある意味真実だった。いま彼女は源吾郎を人質として使い、こののっぴきならぬ状況を打破しようとしているのだから。
源吾郎は真の恐怖に打ち震えていた。余所事の暴力、身内への悪事の露呈などで抱いた恐怖などこれに較べたら生易しいものだ。
「源吾郎を放しなさい! この卑怯者の女狐!」
甲高い、つんざくような絶叫がほとばしる。声の主を辿り眼球を動かすと、なりふり構わず吠え立てる叔母の姿が目に映った。
「人質が欲しいのなら私が代わりになるわ。だから、だから甥っ子を返して。いいえ、返しなさい!」
「お、落ち着いて桐谷所長。相手を刺激しては甥御殿が……」
半ば錯乱したようにまくしたてるいちかを、自警団の一人らしい化け狸がなだめている。源吾郎はどうすれば良いのか解らず震えるのがやっとだった。それでも、サヨコの突き付けた刃の先は全く震えていない。
「女狐の代名詞みたいなのが祖母のくせに、
侮蔑と嘲笑の念が、サヨコの声にはふんだんに込められていた。
「あんたなど人質には要らないわ。体のいい、騙されやすい間抜けでなければ務まらないもの」
「…………ッ」
いちかは獣の眼で、相手を射殺さんばかりの眼差しをサヨコに向けていた。しかし彼女は源吾郎の喉元を確認すると、物悲しそうな表情を浮かべ、視線を床に落とすのみだった。
「無駄な抵抗をやめるのはあんたたちの方よ。この狐の首を掻き切る所を見たくなければ、武器を置きなさい」
私はためらわないわよ。言葉が終わるや否や、突き付けたダガーを更に近付ける。源吾郎はぎょっとして喉をうごめかせたが無論どうにもならない。
「――別に良いじゃないかお嬢さん」
緊迫した空気が漂う中、場違いなほど明るい声がサヨコに投げかけられた。ダガーを持つサヨコが、驚きに息をのむのが源吾郎にも聞こえた。
硬質な音を立てながら、声の主は優雅な足取りでサヨコと源吾郎の許に近付いてきた。その面には、サヨコのそれとは別種の笑みが浮かんでいた。
「こっちに向かってくるな! この狐がどうなっても良いのか!」
サヨコが吠え、彼女の手許が動く。そのはずみでダガーの刃先が源吾郎の喉元に触れた。
「殺るなら殺れば良いじゃないか。君が殺りたいのなら首を掻き切るなり首を落とすなり、好きにやってみたまえよ」
「あら、中々に大胆な事を言うじゃない……」
取り繕ったような不敵な声でサヨコは応じている。源吾郎は震える事も忘れ、ただ瞠目して対面の相手を凝視していた。
サヨコに対し、人質たる源吾郎を殺せるならば殺してみろと煽っているのは、他ならぬ彼の兄弟子である萩尾丸だったのだ。
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