不穏なるミーティングのゆくえ
王鳳来と雪九郎が雉鶏精一派の研究センターに逗留したのはおよそ一時間程度の事だった。この珍客来賓は、紅藤のみならず源吾郎などと言った彼女の弟子らともひとしきり会話を楽しんだのち、その割にはあっさりと立ち去ってくれた。
――王鳳来様と、大陸出身のはとこに会えるなんて珍しい事だったなぁ。王鳳来様は台風の目のようなお方だったけれど、こうして見送っていると「立つ鳥跡を濁さず」なんて言葉を思い出すな
紅藤たち研究センター一行は、エントランスで王鳳来と雪九郎を見送った。紅藤や萩尾丸は本部まで社用車で送ると申し出たのだが、王鳳来は構わないと言ってきかなかったのだ。
お辞儀したり手を振ったりしながら、一行はゆっくりと歩み去る二人の高貴なる妖怪たちを見送った。やはり一番感慨が籠っているように見えたのは紅藤だった。
※
事務所に戻った一行は、誰が何を言うでもなく再び丸テーブルの周囲に着席していた。紅藤は桃色に染まった頬に安堵の色を浮かべつつ、ひそやかなため息をついていた。
「――紅藤様。ミーティングで何か仰りたい事はありませんか」
間髪入れずに問いかけたのは萩尾丸である。彼はやはり司会進行役、マネージャーの才があるようだ。まぁ考えてみれば、彼自身も百近い妖怪を束ねる組織の長なのだ。その上話術に長けている。曲者ばかりと言えども、少人数の集まりであるこの研究センターでの司会進行くらい彼にしてみればどうという事のない案件なのだろう。やはり第六幹部、そして紅藤の一番弟子と言う身分は伊達ではない。
さて紅藤は、この恐ろしく気の回る一番弟子の言葉に対して、薄い笑みと共に首を揺らした。
「私からは特に大丈夫よ。ただみんな、連休明けで身体がなまっているかもしれないから無理だけはしないようにね。みんなからは何か連絡はないかしら?」
若教師のような柔らかい言葉を放ち、紅藤は弟子たちの顔を見やった。兄弟子たちも姉弟子も特に何も言う事は無いらしく、すました表情のままだった。
源吾郎も特に訴える事は持ち合わせていないはずだった。しかし紅藤は源吾郎の顔の前で視線を留めるとそのまま口を開いた。
「島崎君、何かあるかしら」
紅藤は名指しで源吾郎に問いかけた。先輩たちの視線が源吾郎に収斂しているのは言うまでもない。源吾郎は喉の渇きと胸から鳩尾にかけての違和感を抱きつつへどもどしていた。
ゆっくりと、源吾郎の挙動言動を紅藤は待っている。源吾郎はその視線を受けながら口にする案件を考えていた――考えるまでもなく、口にしたい案件はあったのだが。
「紅藤様。僕らはこのままで大丈夫なのでしょうか」
「大丈夫、とはどういう事?」
明らかに言葉足らずな源吾郎の言葉に対しても、紅藤は苛立つ事なく軽く首をかしげるだけだった。心拍数の上昇を感じつつも、源吾郎は言葉を重ねる。
「……八頭怪の事ですよ。王鳳来様の前ではああは仰っておりましたけれど、やはり僕は奴の存在が気になってしまうのです」
「……安心なさい、島崎君。私たちも八頭怪の動きには警戒しているわ。だけどここ二百年ほど――私たちが胡張安様と接触して以降――は、特にこちらへの働きかけもないの。そりゃあもちろん向こうも何か策があるのかもしれないわ。だけど、すぐすぐに動き出す感じではないと、さっきも言ったでしょう」
それにね。紅藤は源吾郎を見据えて微笑んだ。普段の無邪気な笑みとは違う、仄暗い笑みだった。源吾郎はすくみ上るような気分でその笑みを真正面から捉えていた。紅藤が時にこんな笑い方をするのは既に知っている。それでも慣れる事は無かった。
「多少は弱体化しているとはいえ、かつて猪八戒を打ち負かしたほどの相手なのよ。島崎君が、あなた達が心配してもどうにもならないわ。向こうがこちらを潰しにかかったとなれば、それこそ私が、八頭衆が総力を挙げて立ち向かって、どうにか討伐できるかどうかという所になるかしら」
そんなに……源吾郎は喉仏を上下させて生唾を飲み込んだ。口の中の苦みを感じながら、紅藤様でも敵わない相手がいるのだと、フワフワした気分で思っていた。
紅藤にも苦手とする分野がある事は源吾郎も知っている。しかし彼女の妖力と戦闘能力――かの冷徹な峰白に闘うなと明言される程の力――にある種の信頼を寄せていた。何のかんの言っても、彼女の庇護さえあれば大丈夫だろう、と。
「いやはや島崎君、王鳳来様と親戚の雪九郎様に出会ったからって、妙に気負い過ぎていないかい?」
ともすれば震えはじめていたであろう源吾郎に対して、軽薄そうな調子で声をかけてきたのは萩尾丸だった。彼は相変わらず笑みを浮かべてはいたが、その笑みの裏側には様々な感情が渦巻いて蠢くのを源吾郎は感じ取っていた。
「そりゃあさ、僕もさっきは幹部昇格の話を餌にして君を焚きつけた所はあるにはあるよ。でもまさか、そこまで本気になるなんて思っていなかったんだよ」
やっぱり焚きつけたって自覚があるんですか……声には出さずに源吾郎はツッコミを入れていた。萩尾丸は道化師めいた笑みを引っ込め、しばし真面目な表情を作った。
「確かに雉鶏精一派が玉藻御前の末裔である君を配下に引き入れたという動向に注目している妖怪連中がいるのは事実だよ。しかしだからと言って、君自身に興味を持っている妖怪は少ないんじゃないかな?
もし君が本当に影響力のある存在なのだと思われているのであれば、雉鶏精一派以外の他の妖怪勢力が君を引き抜こうと画策するんじゃあないかい?」
「はい……確かに……」
掠れた声ながらも源吾郎は萩尾丸の問いに頷いた。会話の外にいる青松丸やサカイ先輩も、互いに顔を見合わせて頷きあったりしている。
源吾郎は玉藻御前の末裔であり、野心のほかに才能もある。しかしそれでも、源吾郎を配下にしようと表立って動いた組織は、ぱらいその連中くらいであろう。まぁ紅藤は紅藤で源吾郎が高校に通っていた時から放課後の通学路などでこっそり接触を図っていたが、あからさまな勧誘ではなかったし。
源吾郎は玉藻御前の末裔であり、野心のほかに才能もある。しかし、他の妖怪たちにとってはただそれだけなのだ。闘う術も未熟で権謀術数にも疎く知性も高いとは言えない。せいぜい血統の良い妖怪を従えているというアピールをするくらいにしか、いまの源吾郎は使い道はない。
「他の、市井の妖怪たちでさえそんな感じなんだぜ。大妖怪・妖怪仙人レベルの八頭怪ならば、そもそも今の君など歯牙にもかけないと思うけどなぁ」
励ましているのかけなしているのか判然としない言葉を、源吾郎は静かに受け入れた。確かに自分が妖怪社会の中で取るに足らない存在である事は、珠彦との戦闘で明らかになったばかりだ。あの訓練では一応源吾郎が勝ったと見なされているが、純粋な勝ち戦ではなく判定勝ちに過ぎないと源吾郎は思っている。
「は、萩尾丸先輩。ちょっとだけ大丈夫……ですか?」
また珠彦と闘う日は来るのだろうか。源吾郎が妙な思案にふけっていると、このやり取りを見かねたのかサカイ先輩が声をあげた。相変わらずローブの隅は本性があらわになっており、植物とも動物ともつかぬ触手がうねっていた。
「別に構わないよサカイさん。何か意見でもあるのかな?」
大ありです! サカイさんは妙に勢いづいており、身体の端にある触手がうねり、ぺちりとテーブルを叩いていた。
「わたしも八頭怪のうわさを聞いていてある程度知っているんです。何でも、八頭怪は、その、わたしたちすきま女やすきま男みたいに、心の隙間を付け狙って、相手をそそのかすのが大好きらしいんですね。
そうなると、島崎君とか、わたしみたいなヤング妖怪も、案外あぶないかもって思うんです。心の隙間をねらうやつって、むしろ、ヤングをねらうんですよ。わたしも、お師匠様に仕える前はヤングばっかり狙っていましたし」
「……成程ねぇ」
独特な語調でのサカイ先輩の主張をひとしきり耳にした萩尾丸は、小さく呟いて息を吐いた。
「確かによくよく考えたら、そもそも王鳳来様は八頭怪に気を付けるようにと、それを告げるために遠路はるばるやって来てくださった訳だもんねぇ……こりゃあちと面倒かもしれないね。対策はないの、サカイさん?」
「対策は……やっぱり心の隙間ができないようにするって事かな? わたしたちのうわさでは、八頭怪も心の隙間に付け込んで願い事を聞き出して叶えさせたうえでどん底に突き落として獲物のエネルギーを取るらしいから」
えげつな……源吾郎は淡々と説明するサカイさんの言を耳にし、思わず呟いていた。その言がサカイさん本人か八頭怪に対して向けられたものかは自分でも判然としない。しかし既に萩尾丸がしゃべり始めていたので、源吾郎の呟きは誰も気にしなかったようだ。
「心の隙間に付け込まれる、だって。それじゃあ僕なんかはいの一番に大丈夫って事だねぇ。何しろ、大天狗たるこの僕には隙間どころか死角もないからね」
萩尾丸も萩尾丸なりに場を和ませようとしているのだろうか。ややけたたましく、ともすればヒステリックとも取れそうな笑い声をしばし上げていた。
別の誰かが言い放てば厭味に聞こえそうなその文言は、不思議な事に萩尾丸が発話者だと思うと、厭味どころか違和感すらなかった。言動こそ相手の神経を逆なでするようなところが目立つ彼であるが、こういうビッグマウスが似合う所も、ある意味彼の度量の大きさを示しているのかもしれない。
サカイさんと源吾郎が戸惑ったり感心したりする中で、紅藤の息子にして古参の弟子である青松丸だけは、冷静な様子で紅藤に視線を向けた。
「紅藤様。この度王鳳来様から八頭怪に気を付けるよう通達が来たわけですから、ひとまずは八頭怪の特徴についてこの場でお伝えしたほうが良いのではないでしょうか。
僕や萩尾丸さんは彼に逢ったりその姿を見たりした事がありますが、若手たちはそうはいかないでしょうし」
確かにその通りね。紅藤は青松丸の言葉に頷いた。
「サカイさんに島崎君。一応八頭怪の特徴を伝えておくわね。相手も妖怪だから変化の術を心得ているし、衣装だってその時代その場所に応じたものになる事も可能なのよね。
だけど八頭怪は、哮天犬の呪いを受けて以来、自分が八つの頭を持つ事を完全に隠す事が出来なくなっているの。それでも術でどうにか誤魔化しているんだけど、術でごまかした七つの頭は、鎖に繋がった首飾りに似せているわ。
解るかしら? 小鳥の頭のような、いいえ、マリモみたいな変な珠を七つぶら下げた首飾りを持つ相手には気を付けるのよ」
紅藤の言葉に、源吾郎は返答すら忘れて瞠目するのがやっとだった。
あの忌まわしいぱらいその一件、そのきっかけになった優待券を渡した青年こそが、紅藤が警戒する八頭怪であると、源吾郎は気付いてしまった。
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