第78話

「既にオゾンホールの自己再生の可能性は2%を切りました。また、先の温暖化で氷中のメタンが溶け出して、地中メタンの濃度が上昇し、可逆域を越えています。この40年の記録では温暖化による生物種の絶滅が進み、数万種の固有生物が二度と帰らぬ存在となってしまいました。特に淡水域に生息していた微生物の減少により、淡水の浄化力が下がり、そのまま飲める水は地球上からなくなりました」

 40年前、玲奈さんがコールドスリープしてから、地球環境は劇的に悪化したってこと?

 川の水をそのまま飲めた時代があったって、話には聞いたことあるけど...


 現在の地球では、キレイに見える水でも、天然の水には細菌が多量に含まれ、飲めばほとんどお腹を下すことになる。雨が空から落ちてくる間に、大気中の汚れを取り込み、地上に落ちてからは、ある種の枯草菌が一気に繁殖してしまう。

 元々枯草菌類は人間に対して病原性を持つものではなかったが、絶滅せずに生き残った細菌種の偏りと変異によって、身体に悪影響を与える細菌種が生まれ、それらが増殖しやすい環境になってしまった。

 このため、水道水を作り出す浄水場では、逆浸透膜による濾過を施して細菌を含む不純物を取り除く方式を用いるようになったが、精製される水は少なくなり、高価なものになった。

 細菌についてもう少し掘り下げてみると、西洋医療では、病原を強制的に排除することを是とし、特定の病原菌を攻撃する抗生物質の乱用により、細菌の耐性が急上昇し、そう簡単には死滅させることができない究極の抗生物質耐性菌が産み出されてしまった。


「まだあるぞ。固有種の絶滅により生物多様性が下がったことで、地球の自浄機能が低下し、あらゆる地域で水、空気、土壌の汚染が不可逆域まで進んでしまった。この先、この汚染を除去しようしてもコストに含まれる環境汚染指数は収束しない。即ち、手遅れってことだ。2025年に作られた宇宙煙突を活用して、全世界が温暖化の対策に動いていれば何とかなっていたかもしれんがな」

 そんな...

 地球の環境は本当に元に戻らないところまで来てしまっていたのか?


「まだ手はあります」

 玲奈さんが時子さんを見ながら言う。

「人類のコールドスリープと地球自身の積極的な干渉によって、この後100年間で2020年の水準まで地球環境を戻します」

 玲奈さんが眠っていたコールドスリープを生き残った人類全員に行うってこと?

 そして、時子さんにも協力してもらって、生物多様性や、オゾンホールの修復、海底火山の沈静化など、積極的に地球を元に戻す働きを進める。

 そこまでして、やっと地球上の生物が生き延びられるギリギリの地点に戻れる?


「いや、甘いな。人類が生き残っている以上、地球環境が元に戻る可能性は、ハッキリ言って、ない!」

 うー、この人と話していても、埒が明かない...


「この後、月を地球に衝突させて破壊し、数億年を掛けて地球を再生しようとしているのであれば、100年くらいあっという間なのだし、ちょっと待ってみてもらえないだろうか?」


 鍊が説得を試みるが、

「無理だ。我々の寿命がもたない」

「そこは我々と一緒にコールドスリープするとか、エマとイーサンを生き返らせて託すとか」

「そのどちらもうまく行かない可能性がある」

 どうすればこの人を納得させられる?


 そう言えば、さっき僕たちに少しだけ興味があると言っていた。

「僕ら日本の子の徳永チルドレンには、ちょっと特殊な能力があるんですけど、それらをうまく使って地球をキレイにできないでしょうか?」

「確かに、シャイアン基地でEmmaとEthanの心を読んでいたようだな」

「そうです。それ以外にも皆能力を持っているんです」

 そうして、僕ら全員の特殊能力をアリスに教えようとしたが、鍊に止められた。


「私たちの情報を全て教える必要はありません」

「いや、でも、敵対しても意味はないんじゃない?」

「そこは瑞希に賛成ナリ。能力のことを知られても特に困ることはないナリ」

 珍しく静に味方に付いてもらえた。

 今は少しでもアリスに心を動かしてもらう必要がある。

 鍊にも納得してもらい、徳永チルドレンたちの能力と人の魂が月で待機しているらしいことをアリスに教えた。ただ、静の能力はまだ顕現していないことも。

 アリスは僕らの話を聞いた後、考え込み始めた。


「話の全てを信じるには理論的な根拠が不足しているが、面白い能力ではある。特に人間の魂については下手に残してしまうと、数億年後に地球を再生したとしても、すぐに生命を産み出してしまう恐れを感じる」

 お、アリスの心が少し動いたかな?


「静とやらの魂関知能力を利用して、何らかの対処をしなければならないかも知れぬ。とは言え、人間が生き残れるとは思うなよ」

 ありゃ、何とか一旦見逃してもらえる話にしないと...


「私は徳永氏に作られたアンドロイドの時子といいます。と言っても、意識は地球のものです。そのことは置いておいてもいいのですが、この月は地球の一部であるため、私の意識下にあります。何を言いたいかというと...」

 時子さんが意味深なセリフを言って固まってしまった。

 するとすぐに、気のせいか身体が軽くなった気がした。


 AICGlassesに現在の重力加速度を表示させると、1.62m/s2と表示された。

 えーと、確か地球の重力加速度が9.8m/s2だから、ほぼ6分の1、ってことは月の本来の重力に戻ったってこと?


「月の中心に集められていた、気持ち悪いものを外に吐き出しました」

 時子さんが元に戻って言う。

「Alice!大変だ!月の核が吹き飛んでしまった。また最初からだ!」

 男性の声が聞こえてきた。もしかしてこれが徳永氏の、父さんの声?

「なるほど、地球の意識というのはあながち嘘ではないようね」


 時子さん実力行使!取り敢えず、これで月が地球に落ちるのは防げたってことだよね。

 でも、父さんたちが黙っている訳はない。

「単に邪魔をするというのであればすぐにでも排除することになるが、何か提案できることはあるのか?」

 う、今のところ、あくまで主導権は向こうにある。

 何か父さんたちを納得させることを言わないと、ただでは済まない雰囲気だ。


「そろそろ私の出番ね」

 え?玲奈さん、一体何を?

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