第76話

「月の見かけの質量が増加している原因は2つ考えられます。1つは、この宇宙機と同じように中性子核などの極端に重い物質を生成して月面もしくは月の中に設置した場合。もう1つは月で待機しているとされている人間の魂を、消滅させることによるダークエネルギーの消失です。ダークエネルギーは負のエネルギーなので、消失することによって見かけの質量が増すことになります」

 時子さんが詳しく説明してくれた。

 2つ目の原因だったら、既に皆の魂が消されてしまったことになる。

 手遅れか...


「まだ手遅れと決まった訳じゃない。月に徳永氏がいるのは間違いなさそうだ。今は一刻も早く徳永氏に会って話をすることに集中しよう」

 鍊が気落ちしそうになる僕を引き戻してくれる。

 たとえ魂に手を掛けていたとしても、すべての魂が消滅した訳ではないかもしれないし。


 その後、宇宙機は無事に月の周回軌道に乗り、カメラによる月面の映像解析を始めた。

 月の裏側に入ると、早速時子さんが建造物を発見した。

「コロリョフクレーターの中央に建造物を発見。宇宙機の誘導ビーコンも探知しました」

「誘導ビーコン...誘ってるのか」

 鍊が訝しげに呟く。


 誘導ビーコンは月に着陸する際に、正確な距離や位置を示して着陸をサポートするもので、カメラや電波による観測機がなくても自動で着陸が可能になる。

 それが見つかるように設置されているということは、そこに着陸しろと誘われているということ。

 攻撃される可能性はゼロではないけど、既に向こうに探知されているなら、その時点で攻撃してくるはずだから、僕らと会うつもりがあるということだろう。


「罠かもしれないが、のんびりしている訳にも行かない。時子、最短時間であの建造物に着陸する飛行プランの立案を頼む」

「コピー。7分25秒後に着陸船を分離、月の自転速度に合わせて減速しながら降下し、1時間7分後に着陸します」

「よし、それで行こう。全員着陸船へ移動」

 鍊の決断と指示で、強行着陸することになった。


 あれ?

 着陸船に入ると、玲奈さんが既に乗ってる。

「玲奈さん、何で着陸船に先に乗ってるんですか?」

「あ、ちょっと準備したいことがあって...これでよしと」

 玲奈さんが何かの機械を着陸船に取り付けていた。

「玲奈さん、それ何ですか?」

「ウフフフ、内緒ー」

 えー?何だろう、気になるけど。

 全員が着陸船に乗って、ハッチを閉じて席に着き、分離タイミングを待つ。

「後30秒で着陸船を分離します」

 時子さんが告げる。

 さあ、いよいよ月面に向かう時が来た。


 フッと身体が上向きに持ち上げられたような感覚の後、底部カメラからの映像から、月面が少しずつ近づき始め、徳永氏がいると見られる建造物が見えてきた。

 その建造物は、30m四方程の大きさの建物がいくつか連なってできており、近くに掘削機のような機械や、大きな球形のタンクのようなものも見えてきた。


「例の建造物近辺の重力分布が異常です。元々の月の重力の6倍の重力が発生しています」

 6倍って、確か月の重力は地球の6分の1だったはずだから、地球の重力と同じだけの重力が発生してるってこと?

「EMドライブだけでは推力が足りません。補助推進機を起動します」

 着陸船に搭載されている推進機はEMドライブが4機と、補助推進機としてマッハ効果スラスターというものがある。

 マッハ効果スラスターは着陸船の隅に搭載され、主に姿勢制御に用いているものだけど、いざという時はEMドライブと共に補助推進機として動作するらしい。

 どちらの推進機も物質の質量を可変にすることと電磁波の共振を利用しているらしく、今まで理論的にしか存在していなかったものだけど、静は実際に動くものを作り上げた。それも、桁外れの性能を携えて。

 静の有する原子核物理のオーバーテクノロジーは、人類ではまだ到達できないはずの領域まで僕らを連れて行ってくれる。

 それは地球を作ったと言っている父さんの先祖の知識なのだろうか。

 もしそうなら、地球人はその存在に到底敵わないはずで、瞬時に絶滅させられてもおかしくはないのに、なんで魂を滅ぼすとか月をぶつけるなんて回りくどいことをしてるんだろ?


 そんなことを考えていると、月面が更に近づき、次第に強い重力を感じ始めた。

「耐ショック姿勢、お願いします!」

 軟着陸できない程の重力ってこと?


 ゴツッ!


 着陸船底部の着陸脚が勢いよく月面にぶつかった、音がした。

 時子さんが操縦してるんだから大丈夫だと思うけど、結構な衝撃だった。

 無事に着陸できたみたいだけど、身体、重っ!

 地球と同じくらいの重力のはずなのに、身体がものすごく重く感じる。

 あの短時間の無重力に身体が慣れてしまったのか?

 慣れって恐いわー。


 月の裏側は今昼間で、外の温度はちょうど100℃位。

 水が沸騰する温度だ。

「瑞希、今、月の温度が100℃だからってお湯が沸くと思ったでしょー?」

 む、静が果歩の能力を引き継いだか?

「残念。真空では水の沸点は0℃になるナリよ。覚えておいてね」

 ということは、真空だと氷から水を経ないで水蒸気になるってことかな?

 昇華ってやつ?

 そう言えば高い山に登って気圧が下がると、お湯が100℃になる前に沸騰するって聞いたことある。

 そういう理屈だったのね。

 勉強になる。って言うか、静が理科の先生に見えてきた。

 もしかして「色々考える係」だから、変な問題をたくさん出してくるのか?


 さて、月に着いたのはいいけど、徳永氏に会うには着陸船の外に出なければならない。

 外は真空、温度は100℃、宇宙服で行けば大丈夫なはずだけど、危険なことには変わりないよね。

 一応月面を想定した訓練は何度か行っていて、宇宙服が破れた場合や、温度調節がうまく行かなかった場合など様々な想定に対処できるようにした。けど、ハプニングというのは、得てして想定外のことが起きるもんだよね。


「各自、宇宙服の動作チェック及び水の補給、ペアでダブルチェックしてください」

 僕のペアは時子さん。

 時子さんも一応宇宙服を着るけど、酸素生成や温度調節の機能は使わず、何かあった際の装甲としてのみ利用する。

「融合炉チェック、気密チェック、水容量チェック、温度調節機構チェック、バックアップ電源チェック、オールグリーンです」


 時子さんが僕の宇宙服をチェックしてくれた後、唐突に話し始めた。

「瑞希さん。実は月は私の分身なのです。45億年程前、まだ煮えたぎっていた私にいくつかの小惑星が同時に降り注ぎました。その衝撃で私の一部が吹き飛ばされて固まり、月になったのです」

「そうだったんですか」

 これ、まだ人類は知り得てない過去じゃ?

「もしかして、月にも時子さんのように意識があったりするんですか?」

「いえ、実は私の意識下にあるんです」

 あ、そうか。時子さんの一部だったんだもんね。

「今まで遠く離れていたのでうっすらとしか意識できていませんでしたが、今は何が起きているのか分かります」

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