第73話
「明朝0600、宇宙エレベータに搭乗し、静止軌道に向かいます。静止軌道ステーションから宇宙機に乗り換え、地球の重力を利用したスイングバイ航法で月に向かいます」
今回、宇宙機の機長を務める鍊がブリーフィングを仕切る。
本来は宇宙エレベータの軌道端から宇宙機を射出した方が燃料などが節約できるけど、今回は月に到達できる早さを優先するために静止軌道から宇宙機で向かうことになっていた。
静の設計した宇宙機はスイングバイの効果を活用するために、わざと重く作られているらしい。
ちなみにスイングバイ航法とは、惑星などの重力と公転運動を利用して宇宙機を加速する航法で、推進機の推力以上の加速が得られる省エネ航法だ。従来の惑星探査機は大きな推進機を持っていなかったから、何度もスイングバイを行って加速をしていたらしい。
「月の周回軌道に入ったら、全員着陸船に乗り換え、月の裏側にあるとされる徳永氏の月面基地に向かいます。後は出たとこ勝負です」
何の情報もないからしょうがないけど、父さんたちがいなかったらどうするのかな。
宇宙機には、燃料でもあり、機内酸素の原料でもある水が大量に積まれている。
もちろん飲料水としても使われる。
僕らが排泄する便からも乾燥させて水分を取り出し、資源として使われるようになっているらしい。
「徳永氏の現在の人格は②、合理主義で融通の効かない性格とのことです。何とか玲奈さんと一緒にいた頃の人格①を引き出して、話のできる状態にしなければなりません」
「私は人格②の秀くんは知らないけど、人格①の秀くんなら少なくとも話は分かる子だと思うよ」
玲奈さんからしたら、徳永氏は幼い子どもなんだね。
うまく説得できればいいんだけど。
「今回は兵器の類いは持って行きません。持って行けば、使う可能性があり、可能性があれば必ず使うことになるでしょう。その場合、地球に帰れる可能性が下がってしまいます」
とは時子さん。
確かにそうだけど、エマとイーサンは迷わずに僕らを攻撃してきた。
父さんたちが僕らを攻撃してこない理由はない気がするけど。
「俺っち、月で自分に会ったらどうなるのかなぁ。もしかしたら消えちゃうかも知れないから、その時はよろしくね」
「え?不吉なこと言わないでよ」
静の中にいる父さんは、一体どういう形で存在してるんだろう?
魂の話を当てはめれば、元々の静の魂の代わりに父さんの魂の分身が宿っているのか、それとも静の魂に父さんの意識や記憶が入り込んでいるのか...
静の魂は自殺をしてしまった際に皆と同じように月に向かったんだろうか。
月に行けば色々分かるかもしれない。
こうして、最終ブリーフィングを終え、明日の出発に備えて眠った。
『王』
「ソマチット」
『その節は皆様をお守りできず、申し訳ございませんでした』
「大方僕を守るのに必死だったんでしょ」
『ご存知でしたか』
「皆一瞬でやられたのに僕だけ生き残ったからね」
『左様。王の脳を守るため、またかなりの仲間が犠牲になりました』
「守ってくれてありがとう。あそこで全員やられてたら、皆を助けに行くことすらできなかったよ」
『王ならば皆様を助けることができると信じております』
「うん。人類を救うなんて大それた事は考えないで、皆を助けられるように頑張るよ」
『影ながらご支援致します』
「よろしくたのむよ」
ピピッ!
目覚まし時計を一瞬で止める。
さあこれから月に向かって出発だ。
朝食を済ませて、宇宙エレベータの搭乗口に向かうと、玲奈さんの後ろ姿を捉えた。
もう松葉づえなしで普通に歩いてる。
「おはようございます」
「おはよう瑞希くん。よく眠れた?」
「はい」
「そうよね。キミの寝付きのよさは世界有数レベルだと思うわよ」
「あまり嬉しくはないですね」
「ま、褒めてないしね」
他愛ない会話がありがたい。
いきなり兄弟がいなくなって、冗談を言い合える人のありがたみを感じていた。
鍊は頭が堅いから冗談を言う気にならないし、時子さんは話すとまだ緊張するし、静は話にならないし...
今日搭乗する宇宙エレベータは、エレベータという名前は付いているけど、実際には軌道のある宇宙船だ。
居住区は真空、高温(120℃)、低温(-150℃)、各種の宇宙線から僕らを守るための機材で一杯になっている。
カーゴスペースは荷物の種類によって断熱したり、空気を入れたりできるようになっていて、今回は宇宙機の動力源となる水を大量に積んでいた。
最終のウイルスチェックを済ませてから、宇宙エレベータのエアロックを通って、バスケット内に入る。
宇宙エレベータは既に観光にも使われていて、低軌道や中軌道までは一般人のツアーも組まれていた。
その先の静止軌道や軌道端には観光としてのニーズはなく、宿泊施設等は建設されていない。
月まで行くならまだしも、中途半端に時間とお金が掛かり、中軌道とさほど景色の変わらない静止軌道は、完全な無重力を経験したいというちょっと変わったお金持ちしか滞在希望者がいなかった。
そう、宇宙エレベータは静止軌道以外の場所では重力が発生する。静止軌道の内側では地球に向かう重力が、外側では遠心力による地球の外側に向かう重力が生じるのだ。軌道端では地球の重力よりも大きな力が発生するため、核燃料廃棄物をそのまま射出したり、惑星探査機を遠心力で飛ばしたりしており、軌道端で留まることはほとんど行われないらしい。
そんな事を考えていたら、出発時刻になっていた。
静かに下向きの重力が増したように感じることで、宇宙エレベータが宇宙に向かっているのを感じた。
居住スペースの端にある小さな窓から外が見える。
加速している感じがなくなり、200km/hの巡航速度に到達した頃には、既に高度は3,000mに達し、周りの景色は雲の中で何も見えなかったが、不意に明るくなったと思ったら一気に雲の上に飛び出した。
真っ白な太陽の光を雲が眩しく反射し、空の蒼さが地上で見るよりも濃く感じた。
高度400kmの低軌道まで約2時間、少しずつ黒くなる空を見ながら宇宙に近づくのを感じていたけど、一向に身体が軽くならない。
時子さんに恥を忍んで聞いてみたら、高度400kmでは地球の重力は10%程度しか減らないらしい。
僕が子どもの頃に低軌道を飛んでいた国際宇宙ステーションの中は、確か無重力だった気がするんだけど、あれは地球の自転速度よりも遥かに速いスピードで地球を周回していて、その遠心力と地球の重力が釣り合っているから無重力になるんだそうな。
勉強になるなー。
窓からの景色が完全に地球と宇宙が分かれて来て、地球の丸さを感じられるようになった頃、低軌道のステーションに到着したけど、特に用事がないのでそのまま素通りする。
あと約2時間で中軌道のステーションに到着する予定。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます