第72話

【鍊】(環境省)

 現在月面にいると思われる徳永秀康氏にコンタクトし、地球氷河期化を止めるプロジェクトは日本政府で秘密裏に進められ、月へ向かう宇宙機の製造と飛行プランの策定、海外で虐殺的なパンデミックを起こしたコロナウイルスのワクチン製造が進められていた。

 氷河期化を引き起こした原因についても調査を進めているが、海外での調査ができない今、ほとんど進んでいなかった。

 国民には未だ状況は知らされず、何らかの情報が漏れそうになった場合は、毛利氏のように首謀者の記憶を操作して対処を行ってきた。


 しかし、氷河期化の影響は日本にも出始めており、隠し通し続けることももはや限界となっていた。

 海外への支援も、本来なら積極的に行うべきだったが、致死性の高いコロナウイルスが行く手を阻んでいた。

 ワクチンが十分な量供給されれば、支援部隊を派遣できるようになるのだが、海外の重症患者等、日本への難民流入を国民が受け入れてくれるのかといったことも懸念されており、どのように周知すればいいのか慎重に検討されていた。

 今、日本までパンデミックと氷河期化に襲われてしまえば、本当に人類が滅亡してしまう。


 期待していた静の魂コンタクト能力だが、玲奈さんの調査で現状での発揮は望めず、月にいる徳永秀康氏本体と静が接触する必要がありそうとのことだった。

 ということで、少し心配だが、月へ行くメンバーに静と玲奈さんも加えることとなった。


 ちなみに月面には既にアメリカ、中国、ロシアの基地が建設されていた。

 アメリカは2020年代にアルテミス計画というミッションで1970年代から約50年振りに月に向かおうとした。

 前回は月の探査が目的だったが、今度は月面基地の建設が目的だった。

 ただし、計画の実施内容は、途中でビッグバンインパクトの常温核融合炉と宇宙エレベータを活用したものに変更され、実際に建設が開始されたのは、2030年代に入ってからになった。


 中国とロシアも2030年代に基地を建設し、月資源の採掘施設と精製工場を建設した。

 国同士では協業しないものの、精製する資源はそれぞれで分担し、取引を行うことにしていた。

 アメリカは主にチタンとアルミニウム、中国は鉄とケイ素、ロシアは水とヘリウム3を精製して、物資を分け合っていた。

 基地の場所は常に日光が当たる月の南極に建設され、既に火星や木星の無人探査機が製造され、今も向かっているはずだが、各国の現在の状況では、継続できているとは思えない。


 徳永氏は月の裏側に基地を建設したとのことだったが、その場所では各国の基地との連携は難しい。

 やはり目的は、月で待機するという人間の魂なのだろうか。


 宇宙へ行くための訓練は、例によって宇宙飛行士の知識と技能をメンバーの脳にコピーすることで大幅に簡略化され、宇宙機の模型とシミュレータ、航空機による無重力体験、プールでの船外活動訓練など、必要最小限のものが実施された。


 宇宙機は静の指揮で各種の新機構が製造、搭載されていた。

 簡単に紹介すると、推進機は従来の水素エンジンではなく、EMドライブという推進装置を新たに開発。これは従来のロケットとは全く異なる原理で、電力から推力を得るというもので、ロケットのように燃料を燃やして噴射する、単純な作用反作用による力ではないところから力が生まれるというものらしい。

 ほとんど真空の宇宙に微妙に漂う水素原子を取り込み、その水素原子核融合から得られる電力で推進するという、燃料補給のできない、本来恒星間飛行のための推進装置だが、ロケットエンジンよりも安全に運用ができることから採用された。


 また、例のマイクロソフトブラックホールの生成過程で生じる中性子の塊を宇宙機の先端に設置することによって、宇宙機の中に、ある程度の重力を発生させていた。

 中性子の塊を生成するには、とてつもない質量の物質が必要となるが、静は太陽からのエネルギーでクオークを生成する装置を完成させていて、何もないところに物質を作り出すことに成功していた。

 これを貯め続け、中性子核を生成することで、人間が感じることができるほどの重力場を産み出していた。

 本来中性子は単独では長い間存在できず、すぐにβ崩壊を起こして陽子と電子と反電子ニュートリノを放出することが知られている。

 なのに、静の作った中性子貯蔵器の中では中性子が単体で安定するらしい。

 この技術はもう、我々の理解を遥かに超えた領域まで行ってしまっている。

 月にいる徳永氏をどうにかできれば、氷河期化の進んだ地球を元通りにすることも容易いのではと思えるほどのテクノロジーだ。


 こうして、月に向かうメンバーの訓練が一通り終わり、宇宙機の製造もほぼ終わり、いよいよ月に向かうミッションがスタートした。

 地球側では、父(清水坂孝)とJAXAのメンバーが飛行管制を行い、毛利氏もアドバイザーとして詰めてもらうことになっている。


 月に向かうメンバーは、宇宙機の制御を時子、バックアップを瑞希、人工光合成プラント管理を玲奈さん、色々考える係を静、機長を私が務めることになった。

 静には何も役割を持たせないつもりだったが、何か担当が欲しいと懇願され、よく分からない「色々考える係」を玲奈さんが考案した。

 取って付けたような役割だが、本人は満足したらしい...

 メンバーは、東京から大型ドローンに搭乗して、一路宇宙エレベータのある東シナ海へ向かった。

 既に宇宙機への機材や資材の搬入は済んでおり、我々が到着するまでには機体の最終点検も終了する予定となっていた。


【瑞希】(東シナ海宇宙エレベータ)

 僕たち月に向かうメンバーは、東シナ海の海上にある宇宙港に到着した。

 宇宙港は海面に浮いているはずだけど、あまりにも大きいため、普通の地面に降り立ったように感じた。

 1km四方のほぼ正方形の形をしており、中央の建物から直上に伸びるラインが4本、遥か上空まで続いている。

 空が少し曇っているので、途中で見えなくなってるけど、快晴だったら、どこまで見えるんだろ?


 宇宙港の西側には、氷河期化を中和するために熱核融合炉があり、発熱と発電を行っているらしいけど、どこにあるのかよく分からなかった。武蔵がいればすぐに教えてくれただろうに...

 ただ、確かに季節としては冬となっていたけど、凍える程ではないことが核融合炉の存在を間接的に感じさせていた。

 この後検疫を受けて、ウイルス性疾患に罹患していないか確認を行う。宇宙機や宇宙施設は密閉空間なので、病気を持ち込むと簡単に全員罹患してしまう可能性があるから、厳密な確認が必要らしい。


 静が設計した宇宙機は月の周回軌道まで向かうオービターと月に着陸する着陸船という2つに分かれていて、月の周回軌道に到達した後に分離されて着陸船だけが月に向かう。

 どちらの機体も時子さんが制御を行うから、基本的には地球からの支援は必要ないけど、いざという時のために、地球からの制御と機内から手動で制御できるようになっていて、僕は宇宙機と着陸船の操縦訓練を受けていた。

 僕が宇宙機や着陸船を操縦するなんてことにならないことを祈る。


 検疫センターで血液を採取された後、待合室に入れられた。

 血液に特殊な蛍光物質を入れて、レーザーを照射することで、3分ほどで病原体の有無を判定できるらしい。

 飛行メンバー全員、陰性が確認されたけど、フライト直前にも同じチェックをするらしい。

 その後、早速月に向かう最終ブリーフィングを行った。

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