3 雪の女王(1)
四月二十八日に、緑の館に校旗が掲げられた。
緑風会執行部――“審判”が、今回の“獅子の伝言”の成否について、判定結果をつたえたのだ。
今回の伝言は、
“四月二十七日、二十時三十分
西の空を見よ”
というものだった。
生徒たちは、獅子の指定した四月二十七日、二十時三十分に、西の空を見上げていたか?
緑の館の玄関先に、緑の校旗が掲げられれば、伝言は成功したという意味。赤の校旗が掲げられれば、伝言の失敗を意味する。
四月二十八日に、緑の館に掲げられた校旗の色は――緑。
伝言は無事に成功したのである。
獅子の伝言が終わり、そして月末には、
緑風会執行部の入念な準備の甲斐があり、総会はつつがなくおこなわれた。執行部とクラブ連合会が幾度となく話し合いを重ねていた、懸案のクラブ活動予算案も、生徒たちによって可決された。
そして
総会では、塔子は卒倒しそうなほどの緊張のなか、講堂の檀上に立った。「よろしくお願いします」と一言、挨拶するのが精いっぱいで、あとはよく覚えていない。
ほかの執行部役員の面々がそつなく進行していく姿を目の当たりにし、塔子は自分が役員になっていいのかと何度も自問するばかりだった。
あわただしい四月が過ぎ、五月一日となった。
「――なんでそんな不機嫌なわけ?」
良司が苦笑しながらとなりの柊一を見た。
「べつに」
柊一は返したが、顔つきは不機嫌そのものである。
塔子はテーブルベンチの正面に座る良司と柊一を、おろおろと交互に見た。
放課の中央広場は、憩う生徒たちでにぎわっている。生徒たちの多くは、クスノキの巨樹の木陰に集まり、五月の風にのんびりと身をひたしている。
塔子、良司、柊一も、その面々のなかにいる。クスノキの下のテーブルベンチに誘いだしたのは、良司だ。放課後になるやいなや、教室から塔子と柊一をここへ連れ出してきたのだ。
生徒たちでにぎわう広場は、柊一はふだん寄り付かない。彼自身が
周囲の生徒たちが、柊一にちらちらと好奇の視線を送る。また柊一ばかりでなく、ともにいる良司や塔子にも、そのまなざしは注がれる。
塔子もじつに居心地がわるく、うつむきがちになった。良司はまったく気にした様子はない。
「で、用件は?」
柊一が無愛想にたずねる。良司は身を乗り出して、それには答えず、からりとわらった。
「――
五月二日から五月六日まで、学園は五連休に入る。
柊一は首をふった。
「帰らない」
「そうなんだ。なんとなく、帰ると思ってた」
良司が首をすくめて、塔子を見る。
「とーこさんも、帰らないんだよね」
「う、うん……」
塔子も複雑にうなずいた。本当は実家に帰りたかった。母に会いたかった。けれど、里心がついてしまうのがこわくて、だから帰省を断念したのだ。
そうかあ、と良司がため息をついた。
「おれも残ればよかったかも」
「……お家の用事があるんでしょう?」
「まあ、そうだけど……」
塔子を見やり、良司はまたため息をついた。
クスノキの木陰は涼しい。
ゆるりと風がふくたびに、樹冠がしずかに鳴る。
まあ、いいか。と良司はひとりで気を取り直した。
「今日の用事っていうのは――連休に入る前に、整理しておこうと思ってさ」
ほとんど教科書が入ってなさそうな、ぺちゃんこの鞄から、良司はノートと筆箱を取りだした。ノートは、数学のノートらしい。裏表紙から開いて、空白のページをめくる。そして筆箱からシャープペンを取りだすと、ノートになにやら書きつけ始めた。
――
――
塔子と柊一はすぐに良司の意図がわかった。
彼は獅子探しの進捗を整理したいらしい。
――四月におこなわれた、入寮式のトンネル通過儀式のとき、だれかが塔子の肩を三度叩いた。そのだれかとは、学園の王“
選ばれた塔子は、
そこで良司と柊一の助力を得て、塔子は獅子探しをはじめることになった。
全校生徒のなかから、匿名の獅子を見出す。途方もない作業に思われたが、塔子の推理によって、のちに七人の候補者に絞られた。緑風会執行部役員六人と、クラブ連合会総長。そのうちのだれかだ。
「……七人のうち、まず、このふたりは完全にアリバイがあった」
良司は、ノートに書きだした二人――榊葉直哉と荒巻志津香の名前を、シャープペンで示して見せる。
――入寮式のトンネル通過儀式の際に、塔子の肩を叩き、次代獅子に指名したのが獅子だ。だから、その通過儀式の時間――四月十八日。午後七時ごろ――どこで何をしていたか。七人の候補者ひとりひとりのアリバイを調べている。
確実にアリバイがある者は、獅子ではない。だから消去法で推理をしていく。
「とーこさんのトンネル通過のとき、荒巻副会長は儀式の進行役を務めていた。トンネルの入口に立って、とーこさんをトンネルに送り出していた。――そして同時刻、榊葉会長は、儀式の祭司役を務めていた。トンネルの出口に立って、とーこさんを含む一年生全員を出迎えていた」
柊一がゆっくりとうなずき、テーブルに置かれた良司の筆箱から、おもむろにペンを取りだした。ノートにゆっくりと書き足す。
――
良司が書いた乱雑な字のとなりに、几帳面な柊一の字が並ぶ。
「榊葉会長と荒巻副会長。それから――二年書記の佐伯千歳先輩。佐伯千歳先輩も、トンネル通過儀式の運営スタッフだった。荒巻副会長と一緒に、女子のトンネル通過儀式の進行をしていた」
塔子はしっかりとうなずいた。
トンネル通過儀式のとき、荒巻志津香と佐伯千歳が、一年生女子をまとめ、通過儀式の進行をしていた。その様子を塔子自身が見ている。
「だから、三人だ」
柊一はノートに書かれた三人をなぞる。
「この三人はトンネルの両出口にいて、儀式の進行をしていた。女子のトンネル通過儀式が終わるまで、三人はその場から動かなかった。それは、その場にいたほかの生徒たちにも確認している」
――
――
――
つまりこの三名は、女子のトンネル通過儀式の間、確実なアリバイがあった。――よって獅子ではない。
塔子も小さく相づちを打った。
七人のうち、三人にアリバイがある。
――のこるは四人。
良司がまたシャープペンをにぎりしめた。
彼らしい大きな字で、二名の名前を書き足していく。
――
――
「――調査の結果、このふたりにもアリバイがあった」
良司がちらりと苦笑した。
入寮式。女子のトンネル通過儀式の時間――四月十八日、午後七時ごろ。
三年の緑風会執行部準役員・仁科壮平は、トンネルの出口付近にいた。柔道部の彼は、そこでほかの柔道部員らとともに、トンネルから出てくる一年生を出迎えていた。
彼のアリバイは、現場にいた部員たちに確認を取っている。
――仁科壮平は獅子ではない。
「仁科先輩はすぐわかったけど……高橋先輩には一杯食わされたというか……」
良司がぼりぼりと頭を掻く。
高橋一樹は、女子のトンネル通過儀式の時間に、校内の池“
同伴相手が異なっていたが、高橋一樹が鷺沢池にいたのは事実だ。
――よって、アリバイのある高橋一樹は、獅子ではない。
柊一が小さくため息をつく。
塔子も柊一の考えていることを察して共感した。この事実を突き止めるまでに、要した時間と手間を思えば、ため息のひとつも出る。一樹の嘘で、獅子探しはずいぶん翻弄されたのだ。
次代獅子が獅子を探す、“獅子探し”のしきたりには、ルールが三つ設けられている。そのひとつが――
――獅子は一回嘘をつく。
というものである。
次代獅子が、当代獅子を探し当てるにあたり、当代獅子は嘘を一回ついてその捜索から逃げなければならない、というルールだ。
つまり、獅子は嘘をつくのだ。
だから塔子ははじめ、アリバイの証言に嘘があった高橋一樹を、獅子ではないかと疑った。彼が入寮式のアリバイを偽ったのは、“獅子探し”のルールに
しかし調査をすすめるうちに、高橋一樹の嘘は、彼自身の思惑によってついた嘘であることがわかった。彼は獅子ではなかった。
「ほんとに人騒がせだったよなあ」
良司が、高橋一樹の言動を思い出して苦笑する。
「ひとまず」
柊一が、ノートに書かれた名前を指し示した。
――
――
――
――
――
「この五人は、みなアリバイがあった」
――四月十八日、午後七時ごろ。女子のトンネル通過儀式の間、五人は確実なアリバイがあった。
――よって彼らは獅子ではない。
「七人の候補者のうち、五人がシロ。のこる候補者は二人……」
良司がノートに手をのばす。
榊葉直哉ら五人の名前が書かれたページの下部に、ふたたび書き込む。
――
――
執行部役員会計・二年の、瀬戸史信。執行部準役員・三年の今井彼方。のこる候補者は、このふたりだ。
「このどっちかが――のはず……」
周囲をはばかって、良司は
――おそらく、このふたりのうち、どちらかが獅子だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます