5 アリバイ(3)

 


 テニス部でも、柊一と良司は黄色い歓声で出迎えられた。


 みじかいスコートを履いた女子が鈴なりに、部室前で爛々らんらんと待機している。含羞がんしゅうを帯びた目でふたりを見やり、頬を寄せてささやきあう。

 塔子はなんとかして良司・柊一のうしろに隠れようとした。すでに逃げ出したい気分だ。


 彼女らの視線をとくに集めたのは、やはり柊一だった。


鷹宮たかみやくん」

 女子が意味もなく呼ばわり、柊一がふり向くたびにきゃあきゃあと騒ぐ。

 バスケットボール部女子に比べ、柊一への熱狂ぶりが高い。柊一のファンが多いのだろう。

 すでに彼のファンクラブができているとは、荒巻あらまき志津香しづかの言だが、そのメンバーがテニス部に複数在籍しているのかもしれなかった。


 意味もなく何度も呼ばれれば、だれだってよい気分はしない。柊一の表情がいよいよ冴え冴えと険しくなる。

「――あいつが氷の王子になる理由、ちょっとわかったかも」

 笑いまじりに、良司がこっそりと塔子に耳打ちする。


 アリバイの聞き込みは不調だった。

 テニス部員にそれとなく、入寮式での瀬戸せと史信しのぶと、今井いまい彼方かなたのゆくえを尋ねてみるも、やはり目撃情報は上がらない。

 そして、出会うのがたのしみだった織部おりべ紗也加さやかの姿もなく、塔子は残念に思いながら部室点検をはじめることとなった。


 バスケットボール部のときと同様に、塔子は女子部を、良司と柊一は男子部の点検をする。


 女子テニス部の部室は、花の香りがした。デオドラント用品や化粧品、香水がまじりあったような女子の香り。髪を束ねたり制服を着替えたりしながら、部員たちが高い声で談笑している。机の上にはお菓子やジュース、かわいい小物であふれている。

 同じ女子でも、バスケットボール部の部室はこざっぱりとしており、部員たちも同様の雰囲気をまとっていた。部によってこんなにも個性がちがうのかと、塔子は驚いてしまう。


 部室の奥に、クラスメイトの姿を見つけた。池田いけだあゆみと、坂井さかい葉月はづき。テニス部で、ふたりとも紗也加の仲の良い友達だ。一緒にいるところをよく見かける。


 彼女ら三人があつまって談笑しているときには、たとえ紗也加に呼ばれても、塔子はなんだか気おくれを感じて混ざることができないでいた。あゆみと葉月の視線にがあるような気がするのも一因だった。

 だからクラスメイトとはいえ、たいして親交を深めているわけではなかった。


 塔子は彼女らに簡単に会釈だけ済ませて、点検にかかった。提出してもらった出納帳を検分し、ロッカールームを確認する。良司のことや柊一のことで色めきたつ部室の空気は、居心地がわるい。早めに点検して外に出ようと思った。


 ふたつめの備品ロッカーを開けると、中からテニスボールがひとつ、コロコロと落ちてきた。あわてて、かがんで拾おうとする。手をのばしたその先に、ふいにピンクのテニスシューズが行く手を阻んだ。

 びっくりして顔を持ち上げると、そこにあゆみの姿があった。


「ねえ、ふしぎなんだけど」

 唐突に話しかけられる。


「……え?」

 ユニホームを着たあゆみは、腕を組んで右手を頬にあてた。爪に薄桃色のマニキュアをしている。首をかしげると、ハーフアップにした薄茶の後ろ髪が、さらさらと肩にかかる。

 彼女のとなりには葉月が控えていた。薄紅色のリップを塗った、ぷっくりとした唇。ふたつ結びの髪の先を、くるくると巻いている。

 どちらもかわいらしいいで立ちだが、しかしあまり良い表情ではなかった。


「どうしてかなあって、ずっとふしぎに思っているの。なんで紗也加じゃなくて、あなたが執行部に選ばれたのか」

 塔子は目を見開いた。


「――何かコネでもあるの?」

 率直な質問。ほとんど批難めいた口調だった。塔子が執行部に加入しているなんて信じられないと、その声ににじんでいる。


「え、と」

 胸が急速に冷えている。言葉にならないので、塔子はただ首を振った。それがかんに障ったのか、あゆみが眉をはねあげる。

「じゃあ、なんで篠崎さんなの。わたし達、すごくふしぎなんだけど。それなら紗也加の方がよっぽど優秀じゃない。美人だし、人望もあるし」

 塔子ののどがひくと鳴る。 


 ――まさしくそのとおりだ。


 ぐうの音もでない。思わずうつむくと、あゆみの盛大なため息が落ちる。

「こういうとこ見ると、ほんとなんでかなあって思うわ。――ねえ?」

「ねー」

 葉月がくすくすとわらう。

 明らかな悪意。


「ねえ、何やってるの?」

 息苦しい空気のあいまに、とつぜん清涼な声が割って入った。ふり向けば、織部おりべ紗也加さやかの姿がある。ユニホームを着こみ、うっすらと汗をかいた彼女は、すばやく塔子のそばに歩み寄った。

「紗也加ちゃん」

「どうしたの、みんなして」

 険悪な空気を察してあわてたらしい。紗也加の頬が紅潮している。黒髪のポニーテールの毛先が一度跳ねた。


 とたん、あゆみはすねたような顔つきになった。

「ねえ、紗也加も思わない? 篠崎さんよりも、紗也加が執行部に入るほうがよっぽど適任だって」

「何を言っているのよ」

 目をみはる紗也加に、あゆみが言い募る。

「あたしたち、紗也加ならみとめられるの。紗也加なら、応援できるの。だから――」

「ちょっと待ってよ。何が悪いの。塔子は頭だっていいし、いい子でしょう。塔子が選ばれたことに、何もふしぎはないと思うわ」

「あたしたちはふしぎなの」

 あゆみは断言した。葉月と目を見交わす。


「……だってそうでしょう? このひと、なんだか嫌そうなんだもの。執行部に入っていることが」


 塔子はたじろいだ。知らずうしろに下がってしまう。

 あゆみはそれを目ざとく見やった。

「……ほらね? こんなひとが緑の館の住人になるなんて、信じられないの。素敵なメンバーに囲まれるなんて、許せないの。――これが紗也加だったら、あたしたちだって仕方がないと思うわ。でもこのひとじゃ、だめ。いやなのよ」


「あゆみ」


 紗也加の声がきびしく響く。あゆみは少しひるんだように見えたが、しかし強気に言葉を重ねた。

「――とにかく。あたしたちはみとめられないって話。こんな消極的なひとをどうして選んだのか、さっぱり理解できない」


 ずばりと告げられた一言。塔子はふるえた。ナイフで抉られたように胸が苦しい。

 あゆみの言うことはたしかに正しかった。正しく、そして容赦がなかった。こみ上げるものがあり、それを必死で押しとどめる。


 ――わたしだって。

 暗い気持ちが浮き上がる。


 ――わたしだって、なぜ選ばれたのかわからない。好きでこんな立場にいるわけじゃない。


 口をついて出かかったが、なんとかして抑えこんだ。それは彼女たちの思いに対して、失礼極まりなく、火に油を注ぐような発言と思われた。

 紗也加が肩をすくめる。

「だからって、塔子を責める必要はないでしょう。ねえふたりとも、変だよ。なんでそんなに突っかからないといけないの。落ち着いて」

「だって、紗也加……」

 あゆみがぶすくれた顔をする。


 気まずい沈黙が降りた。周りにいる部員たちの、笑いさざめく声がおおきく聞こえる。

 四人が何も言い出せずにいると、部室の外からのん気な声がかかった。


「とーこさん、まだかかりそう?」


 良司だ。

 あゆみをはじめ、部室にいる女子の間に、しらっとした空気が流れた。

 どきりと心臓が鳴る。

「……とーこ、さん……」

 となりから、ほつりと声があがった。紗也加が小さく口を開けている。そのうつくしいアーモンド型の瞳がみはられて、やがてこちらをまじまじと見やる。


 すう、と胸の底につめたい風が吹いた。


「…………とーこさん……」

「あの、ちがうの」

 あせって口をひらく。

 とたん、紗也加の顔が明らかに曇った。

「…………なにが?」


 塔子は青ざめた。

 ――しくじった。

 なにが『ちがう』んだ。訊かれてもいないのに、わたしはなにを言っているんだ。


「……ごめん、なんでもない」

 うろたえれば、ますます紗也加の表情が曇る。

 塔子は眉根をさげた。両手をもみしぼる。あせって考えをめぐらすも、しかし上手い取りつくろい方は、まるで思い浮かばなかった。

「ご、ごめん。――じゃあね」

 とうとうあきらめて、塔子は目を逸らした。

 なかったことにしたい。この場を一刻も早く離れたい。その一心で不自然に言い置き、急いでロッカーの扉を閉める。紗也加の視線から遠ざかろうときびすを返し、気付けば逃げるように部室を出ていた。


 あまりにも露骨で、誤解をまねく態度。それでももう、何もできなかった。




 外の廊下では、良司と柊一が壁に背を預けて、塔子を待っていた。

「おつかれ。終わった?」

 おだやかな声。

 微笑む良司の顔があまりにも優しくて、苦しくて塔子は思いきり目をそらした。

「……どうしたの。なにかあった?」

 みとめて良司がいぶかしむ。

「……う、ううん」

 ぶんぶんと首をふれば、彼はまた怪訝な表情をする。

 柊一が、塔子を一瞥してすっと身を起こした。

「――ひとまず、ここからはやく出たい」

 冷淡に言う。

 まだ女子テニス部員たちが、鈴なりになってこちらを見ているのだ。もう辟易へきえきとばかりに柊一は眉根を寄せた。

 塔子も一も二もなく賛成だった。良司の案じるまなざしをよそに、歩きだす柊一の背を足早に追う。


 歩きながら、紗也加の表情を思いだし、思わずぎゅっと目をつむった。

 胸がしめつけられる。


 ――不快なことをしてしまった。紗也加を傷つけたかもしれない。



 大切な友達にさえ、どうして自分の状況や気持ちを、半分もつたえられないんだろう。

 ただただ、情けなくてならなかった。



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