6 アリバイ(4)

 


 ――いったいどうしたらいいのだろう。



 塔子はぐるぐると考えをめぐらせた。

 部室点検など、うわの空。内容がまるで頭に入ってこない。時間が経つにつれ、心はますます苦しさに苛まれている。


 池田いけだあゆみと坂井さかい葉月はづきの、塔子への痛烈な批難。その悪意のまなざし。

 それだけでもう、辛くてたまらないのに、さらに塔子は重大なミスを犯してしまった。


 ――紗也加。


 塔子を擁護してくれた大切な友達に、不快な思いをさせた。紗也加が良司に恋していることを、塔子はじゅうぶんに承知していたというのに。無自覚で愚かな一言で、彼女の恋心に水をさした。




「部室は終わったな」

 柊一がバインダーを見て軽く息をつく。

「ようし、つぎは体育館に行こう。高橋先輩の彼女に、アリバイ確認しよう」

 ね、と良司があかるい笑顔をこちらに向ける。塔子はただただこわばった顔つきで、あいまいにうなずいた。

「……とーこさん、大丈夫? テニス部に行ってから、本当になんだかへんだよ」

 とーこさん、と呼ばれて、さらに顔がひきつる。良司が心配そうにこちらを見つめるも、その視線を塔子は露骨にそらした。

「ご、ごめん。だいじょうぶ。なんでもない……」

 それだけをやっと口にする。

 良司の顔を見ることはできなかった。

「――行かないのか」

 すこしの間をあけて、柊一の声がかかる。感情の起伏のない、しずかな声。言いながらも彼が歩きだすので、塔子と良司は黙ってそれに続いた。

 廊下ににぎやかな生徒の声が響いている。




 “とーこさん”




 歩きながら、塔子はふいに思いだした。銀杏の木の下で、はじめて良司に名を呼ばれたことを。

 ――うれしかった。

 親しみに満ちた特別な呼び名がついたこと、笑んでそう呼ばれることが、ただただうれしかった。

 この呼び名によって、大切な友達さやかとの関係が変わってしまうかもしれないことなんて、すぐには思い至らなかった。


 ――いや。

 塔子は赤面して、唇をかんだ。



 思い至らなかった?

 ほんとうに?



 良司の後姿をこっそりと盗み見る。

 短く刈った後ろ頭。高い背に、長い手足。彼らしい、はきはきとした歩き方。

 胸がぎゅっとなる。


「ちがうの」と紗也加に言い放ったのは、良司との関係に優越感を抱いていたからだろう。たとえ他意がなかったとしても、その自覚をもっていたからだ。ふいをつかれて、それがあからさまに言動に出てしまった。


 なんてあさましい。


 視界がにじんだ。

 思い上がりも甚だしい。わたしは――わたしなんか、そんなことを思える立場じゃないのに。


 坂本くんとは、一緒にいる時間が長かったから、すこしだけ気安くなった。それだけだ。彼だってそれ以上の気持ちはないだろうし、わたしだって坂本くんのこと、友達以上には想っていない。だから真に受けるほうがおかしいんだ。


 そんな内実なのに、紗也加をいたずらに傷つけてしまった。かけがえのない、大切な友達だというのに。




 ―― 紗也加ちゃんを失いたくない。




 この気持ちを、きちんとつたえなくては。

 つたえて、誤解をとかなくては。



 *



 一心に考えている間に、気づけばもう第一体育館にやってきていた。中ではバスケットボール部、バレーボール部が、半面ずつに分かれて練習をしている。

 三人で用具倉庫を手分けして点検し、そしてバスケットボール部女子に声をかけた。


「入寮式の夜?」

 バスケットボール部三年、高橋一樹の恋人の相沢菜保あいざわなほは、不審げに眉をひそめてこちらを見た。

 ボールの弾む音、部員たちのかけ声が、体育館にこだまする。

「……式を見物してたわ。友達と一緒に」

「え?」

 良司が間の抜けた声をだす。


 そんなはずはない。高橋一樹はその時間、校内の池――鷺沢池さぎさわいけに、相沢菜保と一緒にいたと言っていたはずだ。


「入寮式を見物? 高橋先輩と一緒にいたんじゃなくて?」

「ちがうわ」

 塔子と柊一もぎょっとした。首をふる彼女をまじまじと見つめる。

「……本当ですか? そのあと池に行ったりしてません?」

「……池?」

鷺沢池さぎさわいけです」

 彼女の顔がますます不審を帯びる。


「一樹と?」


 良司が驚愕の目でこちらをふり返った。



 一樹は、相沢菜保と一緒にいなかった?

 まさかそんな。



「――あの夜」

 柊一が、平静を装うように低い声をだす。

「高橋先輩は、相沢菜保あなたと鷺沢池にいたと言っているんですが――」

「わたしと?」

 ええ、と柊一が神妙にうなずく。

 菜保はさらに戸惑ったように唇を湿した。

「行ってないわ。一樹に……入寮式を一緒に見ようって誘ったのよ。でも、断られた。一樹は面倒だって、寄宿舎に残るって言ってた。てっきりそうだと思って……」

「おかしいですね、先輩はなんでそんなことを言ったんでしょう……。心当たりはありますか?」


 沈黙。


 菜保はぽかんと口を開けていたが、唐突に、雷に打たれたような顔をした。みるみるうちに表情が青ざめる。

「先輩?」

 目ざとく良司が声をかけると、彼女はハッとして顔つきを固くした。

「……なんでもないわ」

「でも」

「なんでもないの。もう話は終わったでしょ? いいわよね?」

「えっと」

 了解を待たずに菜保は身をひるがえした。あっという間にバスケットボール部の練習に混ざってしまう。表情は芳しくなく、思いつめたようなまなざし。塔子たちが初めからいなかったかのように視線が合わなかった。



 バスケットボールの重い音。

 塔子らはふいに取り残されてしまった。



高橋一樹せんぱいは嘘をついていたのか……」

 良司がつぶやき、柊一はあごに手をやった。

「これは、王手がかかったかもな」


 塔子はただじっと、菜保を見つめた。

 厳しい目つきの菜保。その理由はさっぱりわからなかった。



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