4 入寮式(3)

 

 菜の花畑を過ぎると、ふたたび林道に入る。


 赤松や椎の木立を横目に、一行は長い石段をひたすらに登った。

 ようやく山頂に到達した頃には、陽は沈み、短い薄明の時間に入っていた。


 ぼんやりと明るい景色のなかで、色あせた赤い鳥居が塔子らを迎えてくれる。


 くすのき神社は、小さな社だった。

 落葉の積もった参道の先に、小ぶりな木造の社殿がある。その脇には、豊かに枝葉を広げるクスノキの巨樹があった。やしろの名の由来となった神木だ。


「男子、いないみたいね。もう行っちゃったのかな。のびているところを見てやろうと思ったのに」


 紗也加がとなりで、つまらなそうに唇をつきだす。クスノキに気を取られていた塔子も、思い出してうなずいた。がらんとした境内に、彼らがいた跡もない。どこへ行ってしまったのだろうと、不思議に思った。


 役員の指示にしたがい、一組から順番に参拝する。ほどなくして塔子らの番が来た。


 古びた社殿は手入れが行き届いていないようで、あちこちに蜘蛛の巣が張っている。それを見るともなしに見て、紗也加と肩を並べ、手を合わせた。


 いろいろと願いたいことがあったが、沢山願うと叶わない気がした。最低限の願いだけ心に浮かべる。


 三年間を、無事に穏やかに、過ごせますように。


 そう念じ、静かに目を開ける。紗也加はと見れば、ぎゅっと目をつむってまだ拝んでいる。ぼんやりと見つめていると、ふと顔を上げこちらを向いた。


「沢山祈願しちゃった」

 そう言って舌をだすものだから、塔子は思わず笑った。


 後列者の参拝を待つあいだ、二人は山頂の眺めを楽しんだ。上ってきた石段の近くに、見晴し台があったのだ。そこからは市街地の風景が一望できた。


 宵闇のなか、ビルや街灯、そして住宅に、ぽつりぽつりと明かりが灯りはじめていく。


 なつかしいね、とふたりは言いあい、やがて口を閉じた。黄昏時に、街の明かりを見るものではなかった。本当に恋しくなってしまう。


 日が沈んだ直後の空は、すみれ色に染まっている。言葉を失ったふたりは、それをじっと見つめていた。



 総勢六十名の女子の参拝が終ると、役員を先頭に、また行軍が始まった。ふたたび長い石段を降りていく。足元が暗くなってきたので、塔子と紗也加はペンライトを点けた。出発する前に、役員からもらっていたのだ。


「いよいよ入寮式も本番かしら」

 郷愁きょうしゅうを振りはらうようにして、紗也加は明るく言った。塔子もしっかりとうなずく。


「このあとはいったい、何をするのかな。……儀式とか、誓うとかって言っていたけど」

「そうなのよね。怖い思いや、痛い思いはしたくないんだけど」

「え。そんなの、あるのかな……」


 紗也加はにたりと笑む。


「黒魔術みたいな儀式だったりして」

 絶句した塔子に、彼女は笑った。

「ごめんごめん。かわいいんだから、本当に」

「もう……」


 結局、まともな答えは出てこないのだった。 


 神社の階段を下りきると、もと来た道でなく、別の山道を進む。鬱蒼うっそうとした林のなかをしばらく歩くと、役員は山道を逸れた。人ひとり通ることができる程度の、獣道を進みはじめる。


 一年生のあいだに動揺が広がった。塔子も紗也加と目と目を見交わし、首をすくめあう。


 日は落ちきり、夜が迫っていた。草むらの青い匂いが濃くなっていく。


 歩きながら、塔子は何度も足元を見た。足首に草がサワサワと触れるのが、気持ちが悪い。長ズボンを穿いてくればよかったと後悔した。紗也加はといえば、集まってくる羽虫をうっとうしく払っている。不機嫌が顔に出ていた。


 困惑とともに、うんざりした空気が漂う。それを知ってか知らずか、先導する役員は黙々と歩み続けた。


 そうして獣道を十五分ほど歩いた頃、ふいに林のなかの小道に出た。


 落葉が敷きつめられた、暗い道だった。周りに木々が密集しているせいで、日が当たらないようだ。陰気な雰囲気がある。けれど、道は道。ようやくまともな山道に戻れると、皆喜んで飛びだしていく。塔子もほっとして後に続いた。


 片足を踏み入れると、ひやりとした空気の感触がある。次いで、うなるような風の音が聞こえた。驚いて顔を上げれば、前方に大きな穴がある。



 トンネルだ。



 え、と紗也加と塔子は同時に声をあげた。他のクラスメイトも、ざわめきはじめる。


 それはいかにも古そうなトンネルだった。蔦や枝がびっしりと絡みついた、レンガの外壁。その中央に穿うがたれた穴から、真の暗闇が広がっている。時折、そこから風の吹き過ぎる音が響いてきた。誘うように、何度も何度も鳴る。


 不気味な光景だった。


「皆さん、道のなかへ。座ってください」


 どよめく生徒達を制するように、背後から涼やかな声がかかる。


 緑風会副会長、荒巻あらまき志津香しづかだった。最後尾に付いていた彼女は、立ち止まった一年生を後ろからうながす。しぶしぶといったように、皆道に出て座った。志津香の声は凛として、抗うことができなかった。


 全員が座ったのを見て取り、彼女がすっと前へ進み出る。塔子は思わず目で追った。


 腰まである長い髪が印象的な少女だ。色素の薄いその髪を、上半分だけ結わえている。歩むたびに横髪がなびき、白く細い首筋が露わになる。それが妙に艶めかしい。


「さすが、全校生徒の“お姉さま”」

 紗也加がとげとげしく呟く。すでにふてくされているようだった。


「皆さん、ご協力感謝します」


 志津香がゆっくりと声をあげる。困惑する一同を眺め、微笑んだ。


「賢い皆さんなら、もうお分かりでしょうね。――ここが最後の目的地です」


 一年生がどよめく。志津香はそれに軽く手を上げ、ゆっくりと続けた。


「このトンネルの正式名称は、川上隧道かわかみずいどうといいます。大正期につくられたもので、松高に繋がっています。戦時中には、防空壕としても活用されていました」


 防空壕、と誰かが呟いた。悲壮な声だった。

 志津香はその声の主をちらりと一瞥いちべつし、皆を眺め渡す。そして淡々と言い放った。


「これから皆さんには、一人ずつ順番に、このトンネルをくぐって頂きたいと思います」


 盛大に、批難と悲鳴の声があがる。紗也加が苛立たしくささやいた。

「いったい、何の冗談なの」

 志津香は慣れたことのように、鷹揚な顔つきで受けあう。


「戸惑うのもわかりますが、これは入寮式の最後の行程です。それも、最も重要な。……このトンネルをくぐらない人を、わたしたちは松高生と呼べませんし、仲間と見なすこともできません。それでも、良いですか」


 それはある意味、脅しであった。これからの学生生活と、一時の恐怖を天秤にかけろと、そう言われているのだ。


 トンネルをくぐらなければ、どんな仕打ちを受けるかわからない。


 誰もがそう思ったはずだった。一年生がぴたりと静まり返る。各々の顔に浮かんだ、戸惑いやおびえを見て取り、志津香は憐れむように目を細めた。


「恐いでしょうが、もう少しの辛抱です。頑張ってトンネルをくぐり、学校まで進んでください。大丈夫。あなた達ならきっと、やり遂げられるはずです」


 ふんわりと笑う。言葉がしみ込むように、少し間を取って彼女は続けた。


「では、進む際の注意事項をお話します。……まずトンネルでは、声をあげてはならない。二つ目に、立ち止まってはならない。三つ目に、決して、うしろを振り返ってはならない。以上三つを、必ず守ってください」


 塔子は唇を湿した。

 儀式的な空気がにわかに濃くなっていくのが、肌で感じられる。胸の鼓動が早くなっていく。


 そして、と彼女は言った。


「トンネルから出る際に、あなた達には誓約をして頂きます。松高生の自覚と誇りを以て、伝統を受け継ぐひとりとなることを、誓うのです。その誓約の言葉と手順を今からお伝えします。一度しか言いませんから、聞き逃さないように」


 志津香は一呼吸置き、ゆっくりと話し出す。塔子は眉をひそめた。



 それは奇妙な誓約だった。


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