16 三つの質問(7)

 


 他己紹介ものこり三人、というところで、一度休憩が設けられた。



 手洗いに行ったり、立ち上がって身体をほぐしたり、湯茶を足しに行ったり。メンバーはめいめいの動きを見せている。


 塔子が手洗いを済ませ緑の館から出てくると、そこに良司がいた。

「あ、とーこさん」

 長く座っていて疲れたのだろう。長い脚を曲げ伸ばしながら、彼は塔子に顔を向けた。無造作にかかった前髪から、ひょうきんな瞳がのぞく。

 塔子は思わず微笑した。

 良司を見つけると、なんだかほっとする。


 彼はすこし目をまるくして、そして破顔した。

「疲れただろ?」

「……ちょっとだけ」

「ちょっとなわけないでしょ」

「…………ものすごく」

 良司が噴き出す。

「ほんとお疲れ様。あともう少しだ。容疑者がだいぶ絞れてきたしね」


 いまのところ――。良司が指折り数える。


「荒巻先輩、佐伯先輩の女性陣は、確実なアリバイがあるからシロ。

 仁科先輩は、アリバイが正しいか裏を取らなくちゃいけないけど、あれだけ堂々としているんだから、たぶんシロだろう」



 塔子も同意してうなずく。

「それから……榊葉先輩かいちょうも、シロだよ」

 これは本人さかきばに訊かなくてもわかる。



 良司は目をしばたかせた。

「ん?」

「入寮式のとき、祭司役をしていたでしょう? トンネルの出口に立って、一年生に誓約をさせて――」

「ああ、なるほど」

「そう。わたしがトンネルから出るときも、会長はそうして出口で待ちかまえていたから――。だから」


 榊葉は獅子じゃない。


「いちばん獅子おうさまっぽいのにな。偉そうだし、意味深だし」

 良司がふふっとわらう。

 たしかに、と思えて塔子もあいまいに笑んだ。


「……瀬戸先輩は、いまのところグレーなんだよな」


 彼が続ける。

「明確な証言者がいないんだから、裏を取るのも大変そうだ」

「うん……」

 塔子はいまから気が重くなっている。

 生徒たちに片っ端からアリバイを聞いて回るなんて。いちばん苦手とする作業だ。

「大丈夫。協力する」

「……ありがとう」

 良司が笑んだ。


「――でもさ、すごいよ。いまの段階でもう、七人の容疑者のうち、三人まで絞りこめてるんだから。あとちょっとだよ」

「――うん」

 塔子はすこし口をつぐみ、顔を伏せ、また向き直った。良司のきれいな茶の瞳をきちんと見つめて、しっかりとうなずく。


「そうだね。のこるは――瀬戸先輩、今井先輩、高橋先輩、だね」

「だね」

 彼がにっこりとわらった。


 ふと足音がして、ふたりは同時に顔をあげた。柊一がこちらに近づいてくる。

「そろそろ再開するらしい」

 親指で背後を示してみせる。先にあるのは銀杏の木。その木の下に集う皆の姿がある。

「はあい」

 塔子に目配せをして、良司がからりと応えた。歩き出す。


 柊一は塔子らを待ち、そして連れだって歩みはじめた。

 意外だった。彼は用件だけ伝えると、さっさとひとりで立ち去ることが多かったのだ。

 目をまるくして彼を見上げると、バチリと目が合った。


「――トンネルの中で」


 急に声をかけられる。塔子は目を逸らそうとしていたので驚いた。


「……え?」

 柊一がすっとまなざしをよこす。

「トンネルの中で、獅子に出遭ったとき。声を聞いたんだろう?」

「……」



 “約束を破ったね?”



 たしかに聞いた。まったく聞きたくなかったけれど。

 返事のかわりに、おずおずとうなずく。


 柊一はしずかに相槌を打った。

「どんな声だった?」

「どんな?」

「男か女か、このメンバーのなかで、聞き覚えのある声はないか」

「あ……」

「そういう方法があったか」

 良司がするりと割って入った。


 そうか、と塔子も思う。

 細部まで思い出したくない記憶でもあり、いままで思いつかなかった。


 あごに手をやり、目をつむる。じっと考え込んで、そして塔子は眉根をさげた。

 ゆっくりと首をふる。

「覚えていない……。動転していて、何も考えられなくて……」


 くぐもった声だったから、その性別すらわからない。


「そうか」

 柊一はそれだけ言い、こちらに顔を向けた。

「……まあ、あとは三人だから」

 塔子は目をみはった。さすがというべきか、彼も着実に推理している。

「ですねえ」

 良司がにやりと口の端をあげる。

 ふたりに挟まれた塔子は、しばし固まり、そしてあわててうなずいた。

「う、うん」 


 ふいに胸があたたかくなる。



 視線の先には、おおきな銀杏の木がある。こんもりとした青葉の梢のなかに、ランタンの明かりが幾つも灯っている。

 木が星を抱いているようだと、塔子はやはり思う。

 その木の下に、皆がいる。

 星の光に照らされる、特別な場所でたわむれている。

 そこへ行くこと、戻っていくことに、塔子はだんだんと恐れを感じなくなっていた。

 ひとりではないから。



 三人で戻るのだから。







【7】仁科にしな壮平そうへい今井いまい彼方かなた






「今井彼方。三年一組。おれと同じ準役員」

 壮平が大きな笑みで紹介をはじめる。

 一眼レフを首に下げた彼方はいたってポーカーフェイスである。猫のように手の甲で目をこすり、われ関せずといった態度だ。


「じゅうぶん分かっただろうけど、カメラおたくで、四六時中シャッターを切っているへんなやつ。だけど写真部には所属していない」

「え、そうなんですか」

 良司が眉をあげる。壮平がうなずいた。

「すごく写真がから、文化祭で展示したらいいと思うのになあ。それにコンクールに出せば、いい線いけそうなのに」


「集団行動にがてだもんね、彼方は」

 榊葉が口を挟む。

 当の彼はこっくりと首肯した。


「……だったらなぜ、執行部に入っているんですか?」

 質問したのは柊一だった。皆がすこし驚いたように彼を見る。


「借りがあるから」

 あっさりと彼方が答えた。

総司そうじ先輩に、借りがあるんだ」

「……兄貴?」

 ぽかんとしたように良司がつぶやく。


「――いつだったか、前会長が今井をここに連れて来たんだよ。猫を拾うみたいにさ」


 壮平があとを引き取る。

 前会長とは、良司の兄、坂本さかもと総司そうじのことだ。

「前会長、今井のこと気に入っててさ。すごく可愛がられてたよな」

 こっくりと彼方がうなずき、口を開く。

「……とても良くしてもらったからね。借りは返さなければと思って」

「“恩”って言えばいいのに。“借り”なんて」

「……借り、だよ」

 彼方が言い聞かせるように壮平に答える。

 へえ、と小さく良司が声を漏らした。


 壮平は肩をすくめた。塔子、良司、柊一に向く。

「まあ、こんなへんなやつですが。でも気性はおだやかだし、優しいよ。案外面倒見もいいかも。気楽に絡んでやってくれ」

「なんだか猫みたいな言い方だなあ」

 一樹がクッキーをかじりながら、身も蓋もない感想を述べる。


 小さなわらいが起きた。彼方も自分のことであるのに、おかしそうにわらう。

 それがとても感じがよくて、塔子はなんだかほっとした。




「――じゃあ……質問していいですか」




 頃合いを見計らい、塔子がおずおずと口を開くと、彼方は心得たように首肯した。

「いま、見せる」

「……は?」


 彼はおもむろに背後をふりむき、地に放っていた小汚いショルダーバッグをひっつかんだ。チャックを開け、ごそごそと中を探る。ややあって取り出されたのは、はがき大の紙束だった。


 塔子が呆けて見ていると、つぎに彼方は自分のまわりに供された茶菓子をどけた。スペースの空いたラグの上に、紙束を置いて広げる。

「うわ、すげ」

 良司が感嘆した。



 色彩の渦。

 数えきれないほどの、それは写真だった。



 うわあ、と歓声があがり、みな群がって写真を眺める。

 カラー写真も、モノクロ写真もあった。風景、人物。すべて松風館で撮られたものだ。どれも、その時々の瞬間をいきいきと切り取っている。

 ここにいる面々の写真も多く、みな照れくさそうにわらって指さした。


 彼方が小さく笑む。そしておもむろに写真をかきわけ、一枚つまんだ。塔子にそっとそれを差し出す。


 きょとんとして受け取って見れば、それは堂々たる大樹の写真だった。太く力強い幹、のびやかな枝葉。深い威厳を感じさせるその巨樹の向こうに、暮れなずむ空がひろがっている。


 じっと見つめ、あっ、と塔子は小さく声を発した。

 この光景には見覚えがある。

「中央広場のクスノキ、ですね」

 良司が覗きこみうなずいた。「……本当だ」。



 彼方が微笑む。

「そう。――写真の右下を見て」

 言われたとおり視線をうつせば、そこに小さく、日時が印字されていた。



 四月十八日。午後六時三十四分。



 塔子は息をのんだ。この日は――。




「入寮式の、日……」



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