17 三つの質問(8)
「だな。――しかも、式の真っ最中だな」
いつのまにか柊一も、顔を寄せて覗きこんでいる。
「え、その時間に広場で写真を撮っていたってこと? ……アリバイ成立?」
良司が驚いて声をあげた。
塔子もあっけに取られて手元を見つめる。
三人で写真をじっと検分するも、画にも、表記にも不審なところはない。
彼方はおかしそうに首を傾けた。
「証人はいないけど、撮った写真ならあるから……」
と、散らばった写真からまた数枚取り出してみせる。様々な角度から撮ったクスノキと空の画。そして同様の日時。
塔子は口元を引き結んだ。
つまり
これらの写真で、三つの質問にすべて答えようとしているのか。
「……ほんとうにこの日時ですか」
柊一が率直に訊く。彼方はくすりとわらった。
「正しい日時だよ」
「先輩が撮ったんですよね?」
「もちろん」
塔子は手元に目を戻した。写真を丁寧に眺めてみる。
暮色の空へ向かって、広々と枝葉をのばす大樹は迫力満点だ。素人の写真とは思えない。構図の取り方や明度・彩度も、ラグに並べられたほかの写真と似通っている。
この撮り方が、今井彼方の個性なのだと思う。
だれもが撮れるものではない。
彼方は少し黙り、また口を開いた。
「……大切なカメラだ。だれにも貸したりしない」
そう言い足す。
――そうだなあ。壮平がのんびりと口を挟む。
「たしかに。カメラを持っていない今井を見たことがないものな」
柊一はすこし考え、そしてうなずいた。
「わかりました」
座は静まっている。皆、話にじっと耳を傾けている。
「午後六時三十四分……」
次いで柊一は、写真の日時を見、腕を組んで考えこんだ。
「その頃は……入寮式の後半戦だ。男子はトンネル通過が始まっていたんじゃないか……?」
「そうだった」
良司が相づちを打った。
「とっくに開始していたよ。その頃は、ちょうど三組男子の通過が始まるところだった。腕時計を見たから、覚えてる」
柊一はうなずき、そしてこちらを見た。
「――女子の動きは?」
「女子は……」
塔子は考え考え口にした。
「時計を確認していないから、たしかなことは言えないけど……。でも、女子が学校を出発したのは、午後五時半すぎだった。それは覚えている……」
「学校から山頂までの登山コースは、歩いて約一時間かかるな」
つぶやく柊一に、塔子はゆっくりとうなずいた。
だから計算上では、女子はその時間――午後六時半頃は、山頂にいたはず。
うーん、と良司がうなる。
「その時間に、今井先輩は中央広場にいたというわけか……」
山頂からトンネル入口へは、およそ三十分かかる。だから、女子のトンネル通過が開始されたのは、午後七時すぎだ。
「――その時間帯に撮った写真はないんですか?」
柊一が彼方にたずねる。
彼方は首をふった。
「フィルムがなくなってしまったから。日が暮れてしまったし、撮るのをやめて寮に帰ったよ」
「へえ……」
考え込む柊一に、良司が肩をすくめる。
「そうはいっても、学校からトンネルまで、三十分で移動するのは不可能だ」
じっと考え、塔子は顔をあげた。
「
緑の館の裏に、トンネルの終点――出口がある。ここで榊葉ほか上級生たちに出迎えられたのだ。
中央広場からは歩いて十分の距離。六時半に広場を出ても、女子の通過までにトンネルにたどり着ける。十分に間に合う。
しかし柊一は首をふった。
「このトンネルを出る人はいても、入ったひとはいなかった。少なくとも――その時間帯は」
「見てたの?」
「――一組だからな」
言いにくそうに良司に答える。
「自分のトンネル通過が終わったあとは、ほんとうに暇だった。することがなかったから、トンネルから出てくる一年をずっと見てた」
「……それはそれは」
くく、と良司がわらいを噛み殺す。
柊一がにらみ据えるも、悪びれるそぶりもない。
「あ、念のために言っておくと――トンネル入口にも、今井先輩の姿はもちろんなかったよ」
顔つきをあらためて、良司が言い足した。
しん、と静まる。飽和したような、ぽかんとした間が空く。
「――わかってくれた?」
彼方が小さくわらって声をあげ、塔子、良司、柊一は顔を見合わせた。
「要検討、だけど……」
良司の言に、塔子も考え考えうなずく。
つまり――。
――中央広場からトンネルまで、歩いて行けばおよそ一時間半かかる。
彼方が六時半に広場にいたというなら、七時頃に開始された女子のトンネル通過には間に合わない。
三十分で移動して、トンネルの中に潜むのは不可能だ。
加えてその頃は、男子のトンネル通過の真っ最中だった。彼方がだれにも見られずに、トンネルに入ることは難しかっただろう。
そして、トンネル入口にいた良司も、出口にいた柊一も、彼の姿を目撃することはなかった――。
要検討、だけれど――。
塔子は口元を引きしめた。
いまのところ、アリバイは成立しているわけだ。
彼方が嘘をついていないのならば。
【7】
彼方が写真を片付けようとしたところで、その束から一枚を、一樹がひょいとつまみだした。
「……今井、こんなの撮ってんの?」
写真を眺めて思いきり顔をしかめる。
彼方は静かな表情でうなずいた。
「うん」
「趣味悪いな」
吐き捨てる。
率直な物言いの一樹だが、特に語気が荒かった。
塔子が驚いて見やると、それに気付いた一樹は写真をこちらに見せた。
モノクロの写真だった。
「何ですか、これ」
良司がほがらかにたずねる。
それは、うっそうと茂る林と、その中央にのびる一本の小道の画だった。
道といっても、獣道だ。舗装されていず、下草が伸び放題で、ずいぶん荒れている。――いやに暗い。
まわりの林に比べ、その小道は闇の濃度が明らかに異なっていた。入口も暗いが、道の奥ほど闇は濃くなり、ついには真の暗闇となって、何も見えなくなる。
まるで林のなかに突如現れたブラックホールのようだ。
その道の前には、並び立つ二本の木の杭があり、そこに標識ロープが繋がれていた。
中央に看板がかかっている。
『立入禁止』
と書いてある。
「うわ、こわー」
良司が顎をひいた。
「――まさかこれ、心霊写真じゃないですよね」
「そのまさかだよ」
一樹がぴらぴらと写真を振る。塔子と良司は言葉を失った。
「ま、この写真には幽霊がいないみたいだけどな……。これは
塔子はあいまいにうなずいた。池の存在は初耳だった。
一樹は淡々と続ける。
「ご覧のとおり、小道は立入禁止。命が惜しかったら、入らないほうがいいよ」
瞳が据わる。
――生徒が一人、死んでるからさ。
ぞ、と塔子の首筋が粟立った。
「――この小道の先に崖があってね。足を踏み外して、まっさかさまだったそうだ。遺体を運び上げるのも苦労したらしい」
塔子は引き寄せられるように、一樹が持つ写真を見た。
モノクロの写真。そこに写された、ブラックホールのような小道。
その道に入っていく生徒の後ろ姿が、まざまざと見える気がする。
一樹が息を吐く。
「こんな危ない場所が、いまだにそのままにされているのもへんな話だと思うだろ。でもこの学校はそうなんだ。なにせキリがない。気付かないだろうけど、校内は危険な場所だらけだよ。へたに林に分け入ると、帰って来られなくなる。――うかつなことはしないほうがいい」
死にたくなかったらね。
絶句する一年生三人を、一樹は重々しい表情で眺め、そして彼方に顔を向けた。
「――というか、今井。なんでこんな写真撮ってるのさ。趣味悪い。この学校には、ほかにいい被写体がいっぱいあるだろ」
「あるけど」
彼方は悪びれなかった。
「撮っておきたいんだ。……きれいなものも、そうでないものも、フレームの中に収めておきたいんだ」
「はあ、わからん」
一樹ががっくりと肩をすくめた。
一年生を思いきり怖がらせ、やっと一樹の他己紹介が始まった。
「三年三組、クラブ連合会総長、高橋一樹」
端的に彼方が述べる。
「テニス部の部長でもある。総長になって一年目だね。……なぜかもてる」
「なぜかってなんだよ」
一樹がすかさず口を挟む。
くすくすとみながわらうので、彼方も目元を和ませた。
「なんていうか、このひとは、人の懐に入るのが得意なんだと思う。思ったことを何でも言うし、デリカシーもないけど、なんだか許せてしまうという特殊な能力を持っている」
けんか売ってるのか、とまた一樹が言い、彼方がわらって受け流した。
「そんな性格だから、だれからも好かれる。支持を得る。総長をやっているだけあると思う。案外面倒見もいい。いい先輩だ」
でもね。彼方がすっと目を細める。
「高橋は、二面性があるよ。明るくて裏の無いように見えるけど、ずいぶんしたたかだ。地頭が良くて、たくらむのが上手い。カードゲームはきっと得意だ。しれっとした顔で、やり遂せるだろう」
「そんなことないよ」
「どうかな」
一樹を見る、彼方のまなざしは含むものがあった。
「そうでなきゃ、榊葉とやりあうことはできないさ。きみらはいつもカードゲームをしているようなものだろ」
くす、と榊葉が小さくわらったのを塔子は聞いた。しかし彼はそれきり口を閉ざしたままだった。
「なんだよ、けなしていると思えば、今度は買い被るのかよ」
けろりと一樹が頭を掻き、みなが笑む。
塔子はぽかんとした。
――カードゲーム?
話の流れがよくわからない。けれどそれを教えてくれるひとはいなかった。
「うまいよね、そういうところ」
彼方が苦笑して肩をすくめ、そして紹介がすとんと終わった。
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