8 夜の茶会(2)

 

 生成りのラグの上に並べられたのは、チョコレートやクッキー、スナック菓子など色とりどりのお菓子。ツナとたまごのサンドウィッチに、おにぎり、簡単な総菜も用意され、夕食に足る食糧が用意されていた。


「この食べもの、どこから準備したんですか」

 良司が手に取ったおにぎりをまじまじと見る。

 ななめ向かいに座った荒巻あらまき志津香しづかが目元を和ませた。

「寮母さんに頼んだのよ。今日みたいに特別なことがあれば、ある程度の軽食を見繕みつくろってもらえるわ。――はい、紅茶をどうぞ。坂本くんはストレートで良かったわよね?」

「あ、はい。ありがとうございます」

 良司が恐縮してマグカップを受け取る。

 志津香は良司のとなりを見やった。

「篠崎さんはミルクティーね?」

 塔子はどきまぎとうなずいた。


 執行部員、そしてクラブ連合会の高橋たかはし一樹かずき。総勢十人がラグに輪になって座りこみ、なごやかに談笑している。

 並び順は、塔子から時計回りに、坂本良司、榊葉直哉、高橋一樹、今井いまい彼方かなた仁科にしな壮平そうへい、荒巻志津香、佐伯さえき千歳ちとせ瀬戸せと史信しのぶ、そして、鷹宮柊一である。


「いい香り」

 佐伯千歳がマグカップに顔を近づけて目をつむる。

「ダージリン。春の初摘みの紅茶なの」

 言いながら、志津香は水筒をかたむけ、マグカップに紅茶を注ぐ。小瓶に入ったクリームをとろりと入れ、角砂糖と一緒にかき混ぜる。

「ダージリンって……そんなものも寮にあるんですか?」

「ないわ。わたしの私物。紅茶が好きで、実家に帰るたびに持ってきちゃうのよ」

 柊一の問いに、志津香はおだやかに返す。


「荒巻は無類の紅茶好きだもんなぁ」

 高橋一樹が感心したように声をあげれば、彼女はふふっとわらう。そして塔子にふり向いた。そっとマグカップを渡す。

「はい、お待たせしました」

「すみません。ありがとう、ございます」

 塔子はカップを両手で持った。湯気とともに爽やかな茶葉の香りを吸い込む。まぎれもなく、青い、芽吹きの香りだった。この学校の春の香りだ。

 息をふきかけて口に運べば、驚くほどおいしかった。さきほど緑の館で提供された紅茶も美味だったが、もっとずっとおいしく感じる。


 ――外だからよけいおいしく感じるのかな。

 塔子は素朴に思った。


 四月も下旬だ。日中より涼しいものの、夜もとても過ごしやすい。ブランケットをひざにかければ十分居心地がよかった。


 ゆるりと春風が吹けば、新緑が香り、銀杏の葉が揺れる。それに合わせて、枝に取り付けたランタンも軽く揺れるものだから、光が静かにゆらめいていた。

 向こうには、緑の館がある。夜の闇のなかで、窓から明かりをこぼしている。


 身体がぽかぽかとして、塔子はしぜんと笑みをつくった。

「……おいしい」

「よかった」

 志津香が微笑む。

「なあんか、女子が増えていいなあ」

 仁科壮平が塔子らを眺めてしみじみとこぼす。にや、と瀬戸史信がわらった。

「女性とほとんど縁のない生活してますもんね、先輩は」

「うるさいな」

 言いながらも、壮平は豪快にわらう。

 壮平は柔道部なので、日頃から女性と関わる機会が薄いのだ。


 あたたかい紅茶に心がゆるんで、塔子はふうっと息をついた。気持ちが徐々に明るくなっていくのを感じる。

 わいわいと騒ぐ面々のなかに、自分が入っていること。それ自体が、塔子にとっては新鮮で、そしてとてもうれしいことだった。

 なんだかくすぐったい気持ちで、うつむきがちだった顔をあげる。するとふいに視線を感じた。


 塔子の左ななめ向かいにいる、今井彼方だった。彼は紅茶を口にふくみながら、ものめずらしげに塔子を見ていた。静かな表情。塔子はどきりとしたが、目が合うとすぐに逸らされ、それきりこちらを見ることはなかった。


 なにか変なことをしてしまったろうか。


 急に不安になったが、それもわずかな間のことだった。力強い声が割って入ったのだ。

「さてさて、場もあたたまったところで」

 榊葉だった。



「本題に入ろうか」

 にっこりと笑んで面々を見回す。



 とたん、皆いっせいに静まり返り、こちらにふりむいた。塔子に視線が集中する。

 一気に青ざめた塔子は、マグカップを取り落としそうになった。あわててラグの上に置く。手は小さく震えていた。


「緊張しなくていいんだよ」

 榊葉は優しく塔子を見る。

「きみは獅子の娘。獅子を探さなくてはいけない。それはみんな承知の上だ。そしておれらは敵ではない。きみを見守る味方だ」

「――高橋さんも?」

 柊一が素早く声をあげた。クラブ連合会総長の高橋一樹は、執行部員ではない。つまりではないはずなのだ。

 当の一樹は肩をすくめた。答えたのは榊葉だった。

「そうだよ。知っている」

 意味深にわらう。

 彼はそれ以上言及することなく、話を続けた。


執行部しんぱんはきみを手助けする。あのとき、そう言ったよね。獅子をはやく見つけだすために、おれたちは、その道案内をしたい。だから、まずはきみのいまの状況を知りたいんだ。篠崎さんが、どこまで獅子について考えているのか、知っておきたい」

 塔子を真摯に見つめる。

「どんなことでもいいんだ。まとまっていなくてもいい。きみの考えを、まず教えてくれないか」

 風が吹き、梢がさざめている。


 皆があまりに熱心に見つめるものだから、塔子は息苦しくなった。どくどくと心臓が鳴っている。口をひらくも、声がうまくだせない。頭がくらくらして、なんだかもやがかかっているようだ。

 気持ちばかりが急いて口を開いては閉じていると、ふいに、背中をぽんと叩かれた。

 良司だった。


「だいじょうぶ」


 たった一言、ささやく。

 おだやかな声に、塔子はわれに返った。となりにいるのは良司だ。そう思いだすと、少しずつ力が湧いてくる。

 だいじょうぶ、だいじょうぶ――。

 良司の言葉を心のなかでくり返し、塔子は顔をあげた。


「……わたしが考えたのは……」

 皆が注目している。ごくりとつばを呑む。


「本当はとても簡単なことなんじゃないか、って思ったんです……」


 榊葉がまなざしでうながす。

「……さっき会長が仰ったとおりです。……獅子の子は獅子を見出さなければならない。そのための道案内役として、執行部しんぱんがいる。手助けしてくれる――」

「ああ」

 彼がうなずく。

「つまり……獅子の子は審判を頼らないと、獅子を見つけることが難しい、ということですよね?」

 榊葉がゆっくりと首肯する。

 塔子はほっとして言葉をつないだ。


「それなら――獅子の子は、最低でも一度は、審判と深くつながる期間が必要になってくる。だからわたしは、執行部に入らなくてはいけなくなった。そうですね?」

「そうだね」

「それなら、獅子は絞り込めます。審判と深く関わったことがある人が、獅子なのですから……。そして執行部の根城はここ、“緑の館”。――会長も仰いましたよね」



『ここは校内の奥にぽつんと建っている館。入りづらくて、あまり一般の生徒が出入りする場所じゃない』



「でも、獅子の子は審判と密につながらなくてはいけない。だから緑の館に出入りする必要がある」

 塔子は榊葉をまっすぐ見つめた。


「となれば……緑の館に堂々と、頻繁に出入りできる人、出入りできた人が、疑わしいのではないでしょうか。

 つまり――ここ二年間のあいだに、執行部に在籍している、あるいはしていた人。もしくは緑の館に毎日でも行き来できるほど、深く関わる立場にある人。そのうちのだれかが獅子なのではないでしょうか」


 だってわたしもなのだから。

 塔子は榊葉を見つめた。


「……ここ二年間で、執行部に深く関わった在学生など、そう多くはないでしょう。それを調べれば、獅子の疑いのある人は、きっと数人まで絞り込めるはずです。……これが、わたしの考えたことです」


 ひと息に告げた。

 少し息が切れていた。

 沈黙がおとずれ、それがあまりに長いので、顔をあげる。

 正面にいる志津香、壮平、彼方が目を見開いている。周りを見ればみな同じような顔をして絶句していた。となりの柊一でさえも、いつもの無表情を崩して目を瞠っている。

「あ、あの……」

 動揺する塔子を尻目に、突然、榊葉が弾けるような笑い声をあげた。


「パーフェクト!」

「パーフェクト……」

 思わずオウム返しにつぶやき、塔子は目を見開いた。

「これだから女の子は怖いんだよね。理性と感情が同時に、しかも真逆のベクトルへ働くのだから」

 くすくすと笑い、榊葉はこちらを見る。


 一拍置いて、一斉にどよめきが起こった。

 輪になった面々が、それぞれの反応を見せる。志津香や壮平などは拍手をするものだから、むずがゆさと驚きで塔子は複雑な表情になった。

「やったね」

 こそっと良司が耳打ちしてくる。


 榊葉はにこにことわらう。

「きみがこの答えにたどり着けなかったら、おれが言おうと思っていたんだよね、これだけは」

「え、言ってくれたんですか」

 良司が眉をひそめる。

「漠然と、全校生徒のなかから探せとは、さすがに言えないよ」

 彼はさらりと返し、そしてまた塔子に向いた。


「篠崎さん、きみは聡明だ。ひとりでちゃんと真実を見つけられる。やっぱり獅子の娘だよ」

「そんなこと……」

「そんなこと、ある」

 首をふる塔子に、榊葉はわらう。


「――と、いうわけでね」

 彼は晴れ晴れと言い放った。




「きみが推理した“疑わしき”人。ここ二年間で、執行部しんぱんに深く関わった在学生――。それが、ここにいる七人というわけなのです」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る