2 獅子を探して(2)
――アリバイがはっきりとせず、現時点で最も疑わしいのが、今井彼方と瀬戸史信であった。
彼方は入寮式の日、中央広場にいたという。その中心地にそびえるクスノキの撮影をしていたらしい。しかし証人がいなかったため、代わりの証拠として、そのとき撮影した写真を提示した。
堂々たる大樹と、その向こうにひろがる、暮れなずむ空。
その光景は、たしかに塔子の見慣れたもの――中央広場のクスノキだった。
写真の右下には、日時が印字されていた。
四月十八日。午後六時三十四分。
微妙な時間だった。
その頃中央広場にいたならば、午後七時頃に開始された、女子のトンネル通過には間に合わない。彼方がだれにも見られずに、トンネルに潜むことは不可能だった。
たしかなアリバイの証拠。――けれど。
「今井先輩が不審なのは、やっぱり証拠が弱いせいなんだよなあ」
「そうだな」。と柊一が良司に返す。
「写真が本当に信用できるのか、まだ怪しい。なにか細工しているかもしれないし、隠していることがあるのかもしれない。もう一度確認する必要がある。証人が出れば話は早いんだが……」
「なー」
淡々と話をすすめる。
塔子はこっそりとふたりの顔をうかがった。
ずいぶん意外なことだが、彼らは馬が合うらしい。
性質が真反対だからか、お互いに頭の回転が速いからか、打てば響くような会話の
塔子の入る余地がないと思えるようなときさえあり、相性の良さを感じさせた。
――本人たちは否定するだろうが。
良司が腕を組む。
「まあ、それをいうなら瀬戸先輩は、もっと聞き込みをがんばらないといけないんだけど……」
「そうだな」
これにも柊一が相づちを打った。
――瀬戸史信のアリバイもあいまいだ。
彼は入寮式の夜、執行部役員として、一年男子の引率をしていた。山頂まで登り、男子のトンネル通過儀式を執りおこなっていたという。
これは間違いのない事実だ。他ならぬ良司と柊一が確認している。
問題はそのあとだった。
男子全員をトンネルへ送り出したあと。史信は運営委員の
その後、しばらくして女子のトンネル通過が始まった。
塔子がトンネルをくぐっている頃。その時間帯に彼は、緑の館にいたらしい。儀式につかった備品を片付けていたというのだ。
だが、その証人はいない。
そのとき緑の館にいたのは史信ただひとりで、執行部メンバーにも、知り合いにも会っていないのだ。
――アリバイは証明されていない。
『――でも、緑の館のまわりにはたくさん人がいたんだから。おれが館に入るところを見ているひとが、ひとりくらいはいるんじゃないかな』
とは史信の言だ。
したがって塔子らは、史信を目撃した証人を探しまわらなければいけないのだ。
「ほんと厄介だ……。不特定多数すぎて、聞き込みがしづらい。だれに訊いても不審がられるだろうし。――なんか効率のいい方法ないのかな」
塔子も柊一もすこし考えたが、やはり妙案は浮かばないのだった。
「……獅子は一回嘘をつく」
思いだして、塔子はぽつりとつぶやいた。良司と柊一の視線があつまる。
「たぶん……あの四人のだれかが――もう嘘をついているんだよね。きっと」
「それは、そうだと思う」
柊一が静かに返す。
じつは“獅子探し”を執りおこなうにあたり、前提となるゲームルールが設けられていた。これは代々続く伝統で、かならず守る必要があるらしい。
ルールは三つだ。
一、獅子は一回嘘をつく。
二、獅子は、みずからが獅子である証拠を、かならず獅子の子に提示する。
三、獅子の子が獅子を名指すのは、一度きりとする。
つまりこうだ。
――
――しかし嘘をつく代わりに、みずからが獅子であることをしめす証拠をのこさなくてはならない。
――獅子の子もフェアでなくてはいけない。“あなたは獅子ですか”と問いただすことができるのは、一度きり。これと決めた人を、名指さなければならない。
そしてその選択は、けっして誤ってはならない。
と、いうルールである。
――“誤ってはいけない”なんて、意地悪な話だ。
塔子は思う。
はたして本当に、自分にできるのだろうか?
柊一はまた別のことを考えていた。
「嘘をつくのは一回きり――これも大きなヒントになるかもしれない」
「そだねえ」と良司。
「……まあ、いっぺんに考えるのもたいへんだから、ひとつずつだよ。ひとまずはアリバイの確認だ。そうだろ?」
そう言ってのんびりと腕をまくる。
柊一は口をつぐんだ。むっとしたのではなく、肯定の沈黙だった。
*
ゆっくりと石畳を歩く。三人の足音が響いている。
林道に降りそそぐ木漏れ日が、その明度をゆらゆらと変えている。ときに輝き、ときにかげり、
その光が、話し込む三人の髪や肩にこぼれている。
やがて林道の終点が見えてきた。蔦のはびこる高く白いアーチが待ちかまえている。それをくぐったその先に、広大なグラウンドがひろがっていた。
うつくしい緑の芝と、その向こうに砂地。体育着に、あるいはユニホームに身を包んだ生徒たち。さざめく声援とかけ声。
体育棟だ。
塔子ら三人は、学園西側にある体育棟にやって来ていた。
学園東には二学年校舎があり、その裏手に、一・二年生が共同生活する寄宿舎「
学園北には三学年校舎と、三年生が住まう寄宿舎「
そうして学園西には、広大な体育棟があった。
まず硬式・軟式野球部が使用する第一グラウンド。授業やそれ以外の体育部が使用する第二・第三グラウンド。
体育館に武道館、テニスコートが四面。体育会系の部活・サークル・同好会のための部室棟――。
これらの体育施設は大正期に建てられたものでなく、最新鋭の近代施設である。全部屋冷暖房完備、真新しい器具用具、使い勝手のよいシャワー室や更衣室、部室――。
清掃は専門業者によって毎日なされ、清潔で広く、行き届いた施設になっていた。
全校生徒数が四百名と極小にもかかわらず、あまりにもぜいたくな設備だ。この体育棟を使用したいがために、入学する生徒も少なくなかった。
さて、そんなところに塔子ら三人がやってきたのには、わけがあった。
グラウンド端まで入り、塔子は両手で抱きこんだバインダーをそっとひらいた。挟まれた大量の書類の束。びっしりと書き込まれた数字。――各部活の予算案である。
胸にさしていた赤いボールペンを取りだして、ひとつ息をした。前を向く。
気づけば、グラウンドにいるラグビー部や陸上部、ソフトボール部の面々がいっせいにこちらを向いていた。
制服を着た生徒は塔子ら三人だけなので、よく目立つのだ。
「うわ、坂本」
声をかけてきたのは陸上部の部員だった。白いTシャツに、よく灼けた浅黒い肌。まずいものを見たように渋面をつくっている。塔子は見覚えがなかったので、上級生だと思った。
「あ、おつかれさまですー先輩」
「おい、もしかして」
のんびりした良司に、上級生があわてて声をかぶせる。
良司はにんまりと口角をあげた。
「そのもしかして、です。そんなに焦らなくても、
「言うなよ、わかってないくせに」
柊一が眉を吊り上げた。それを認めたのか、上級生はなにも言わなくなる。
グラウンドにいる生徒の半数が、動きをとめてこちらを見ている。
「さあ、仕事しますかあ」
良司がのんきに声を上げた。
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