11 誰かの王国(5)
榊葉は塔子をじっと見据えた。口をひらく。
――戦後の学徒たちが“獅子の伝言”をつくりあげ、百年王国をあえて危険にさらした理由。
「それは――それこそが、王国にとっていちばん必要なことだったからだ」
「……必要?」
知らずか細い声が出る。
榊葉は塔子にゆっくりうなずいてみせた。
「“獅子の伝言”の目的。学徒たちが王国の存続を賭けてまで、めざしたかったこと。……それは」
――緑の王国を守ること。
「そのためだった」
すとん、と沈黙が下りる。
榊葉の力強い言葉の余韻があとをひいている。けれど塔子は反応できなかった。――意味が取れない。いっそう煙にまかれたように感じる。
柊一も同じらしかった。あっけに取られてものも言えない顔をしている。
ふたりが絶句していると、榊葉は思わずといったようにわらった。
「きみたちって……意外と表情豊かだよね」
「会長」
「まあまあ、最後まで聞いてくれ」
柊一を簡単にいなす。
「これだけじゃさっぱりわからないよね。まったく矛盾しているもの。王国を崩壊させる危険性のあるゲームなのに、その目的は、王国を守ることだなんて……。でもそうなんだ。よくよく考えれば理解はできる。影と光、破壊と建設。ものごとは表裏一体なのだから」
榊葉は人差し指を立てた。
「その答えとなるのは――そもそも、王国の危機とは何なのか? ということ。王国を崩壊させる危険性があるのは、“獅子の伝言”だけなのだろうか? ということだ」
低くおだやかな声。
塔子を見つめ、榊葉は眉をあげてみせる。何も言えないでいると、小さく笑みをつくった。
「――ちがうんだ。真の危機は、別にある」
「……というと?」
柊一がこらえながら口をだす。榊葉は首肯した。
「真の危機――王国が滅ぶ危険性は、じつはたくさんある。ありていに言えば、この王国はそもそも
塔子は榊葉を見た。
「ここは生徒たちの心のなかで形作られる、夢の国。……実体がないだろう? 生徒ひとりひとりが王国をイメージし、みなで共有しなければ、すぐに消え失せてしまう国だ。“ここは緑の王国である。わたしたちは、緑の民である”――そう心に描いて、信じること、絶えず夢を見続けること。そうすることで、王国は成り立っている。逆に言えば」
夢から
どきりとした。胸に手をあてる。
「……じつは、これこそが王国の真の危機。戦後の学徒たちがこれだけ執念深く構築した王国も、そもそも信じなくては
目をあげてこちらを見る。
「だから……王国は常に危機と隣り合わせといってもいいんだ」
――では、王国を崩壊させないためにはどうしたらよいのか?
「戦後の学徒たちは当然それを考えた。精魂こめてつくりあげた王国だ。学徒たちの心に芽生えたこの王国を、崩壊させないために。王国の夢を見続けるためには、どのようにすればよいのか。それは必死で考えたことだろう。王国の危機はいつ到来するかわからない。絶え間ない努力で王国を維持することが必要だった。そして」
塔子をひたと見る。
「考えに考えたすえに編みだしたのが――このしきたり、“獅子の伝言”だった」
「絶え間ない努力が、“獅子の伝言”……?」
つぶやいた柊一にゆっくりとうなずいてみせる。真摯な瞳。
「学生運動の出来事を、彼らは巧みに利用してしきたりにした。――この
“外“の脅威から王国を守る。それを疑似的に繰り返す”。
「その
「反復……」
とたん、塔子は自身の発言を思い出した。榊葉にうながされ発した言葉。
――獅子の伝言も、内容でなく、その仕組みが重要ということですか。
つまり……伝言を流して、実行する。その行為自体が目的だと?
「確実に言えるのは」
榊葉がふたりを見る。
「“外”の脅威は、王国にとって必要不可欠だということだ」
目を見開く塔子にうなずく。
「“外”があるから、“内”があるんだ」
人は区別する。区別してはじめて互いの実存をたしかめる。
“わたし”と“あなた”
“味方”と“敵”
――“緑の民”と“そうでない人”
「ゲームをすることで、
塔子は戸惑いながらあいづちを打った。
榊葉が続ける。――そして。
「おれたちはこのゲームで、獅子の
危機を感じることで、
「――“外”の脅威によって、王国は立ちあらわれるんだ。ひとつずつゲームをやり
王国をあえて危機にさらすことで、王国の存在感を強めるんだ。それを何度も何度も繰り返す」
塔子はくちびるを結んだ。柊一からもかたい気配が感じられる。
空白のような間が空いた。
「むずかしいかな」
榊葉はやわらかく微笑んだ。「つまりこうだ」。
「――“
そして伝言を完遂し、王国を守り抜くと、ふしぎな感覚を得られた。みずからの手で、王国を守ることができたのだと、なんだかそう思えた。それを何度もくり返すうちに、気づけば、ある自覚がたしかに心に芽生えていた」
“ここは緑の王国。わたしたちは、緑の民”
塔子は小さく身震いした。柊一が息を吐きだす。
「きみたちは“獅子の伝言”に参加したのは一回だけだから、まだこの実感が薄いだろうけどね。それでも、すこしは伝わるだろうか?」
榊葉は目じりの
「……王国を心に描いて、信じること、絶えず夢を見続けること。ここに、わたしたちの王国を存在させること――。戦後の学徒たちは、これらをねらいにして、“獅子の伝言”をつくったんだ」
――逆に言えば。
「王国の真の危機は、生徒たちが、緑の王国を信じなくなること、王国の夢から醒めることだからね。それを回避するためのしきたりだ。あえて“外”の脅威をつくり、王国を危機にさらすことで、“内”を意識させる。そういうゲームだ」
これが、緑の王国を百年守り続ける、絶え間ない努力なんだ。
部屋が静まる。
榊葉はティーカップを手に取った。ソーサーにわずかに触れて鳴る、陶器の音。
塔子は手をもみしぼった。手のひらがすこし汗ばんでいる。空恐ろしくなった。
執念、としか言いようがない。
戦後の学徒たちの
「そうして……この学校は百年間、王国の夢を見ている」
塔子のつぶやきに、榊葉はこっくりとうなずいた。
「そう。“獅子の伝言”というしきたり――システムは成功しているわけだ」
「どうしてそうまでして、王国を存続させたいんでしょうか」
返答は予想できていたが、言わずにはいられなかった。
「それを見つけ出すのが、きみの仕事だよ」
榊葉が目元をやわらげる。
「妙な話だ」
柊一だ。
「王国を存続させるためのしきたりですが……生徒たちは、そもそもこのしきたりへの参加を放棄することもできたでしょう。なぜ百年間も、こんなゲームに自主的に参加しているのか」
「そうだね。それも、最大の謎だね」
にこにこして、それ以上は言わない。
塔子も柊一も榊葉の反応はわかりきっていたので、ふたりしてため息をついた。
それまで黙っていた志津香がくすくすとわらう。
「――まぶしいな」
ふと榊葉が目をすがめて窓を見やった。ソファから腰をあげる。いつのまにか西日がさらに傾いている。とろけるような金色の陽射しが部屋に満ちている。窓枠に絡む蔦の影。
彼はゆっくりと窓辺に寄った。静かにカーテンのタッセルをつかむと、ふと手をとめる。
「……学生運動の頃」
ほつりと言う。
「学徒たちには“国家”という、本当の“外”の脅威があったけれど」
――現代にのこる“外”の脅威とは、いったい何なのだろうね。
小さなつぶやき。
塔子はきょとんとした。
榊葉は返答を求めていなかった。窓の外を見つめると、こちらにふり向き、にこりとわらう。
「もうこんな時間か。――お仲間が来たよ」
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