5 館の住人(1)


「特権階級っていうんだよな、こういうの」


 こちらにだけ聞こえるように、ぼそりと良司はつぶやいた。塔子もかすかにうなずきを返す。


 ロの字型に配置された、えんじ色のソファ。その中央に置かれたローテーブルに、ソーサー付のティーカップが七客ある。複雑な小花模様、青い流線模様、白磁……さまざまなデザインがあしらわれた、美しいカップだ。そこに紅茶がなみなみと注がれ、やわらかに湯気が立ちのぼっていた。

 洋間に華やかな香りが満ち、優雅なときが流れている。


 ここは緑の館一階の、玄関脇にある居室。執行部の活動室だ。

 昨日、塔子と良司が榊葉に直談判した部屋である。


「まあ楽にしなよ」

 正面のソファに腰かける榊葉が、のんびりと声をかける。彫りの深い顔に大きな笑みが浮かんでいる。

 良司と塔子は目と目を見合わせた。


 夕方五時半。

 ふたりは今日、はじめて執行部の活動に参加している。

 部屋に入るなりソファに座らされ、すわ書類仕事かと思いきや、熱い紅茶でもてなされてしまった。困惑は深まるばかりで、とても居心地が悪い。


「――いきなり仕事ってのも無粋だろう?」

 ふたりの考えを見透かすかのように、榊葉はわらう。


 塔子はこわごわあたりを見回した。

 昨日は話すのが精いっぱいで、よくよく室内を見もしなかったが、あらためて眺めると立派な調度に驚かされる。

 クリーム色の内壁。こっくりと深い飴色の、チーク材の柱や腰壁、家具。すずらんのかたちをしたペンダントライト。

 白い格子の長窓には繊細なレースのカーテンがかかり、日の光をじんわりとにじませている。


「ここはね、大正時代には、外国人教師の住まいとしてつかわれていたんだ。だから学校に似つかわしくないほど、設備がととのっている。インテリアも洒落ているだろう?」

 塔子に気をつかってか、榊葉が説明してくれる。


「今でもちゃんと、水道と電気は通っているしね。こんな立地だから、夏場はクーラーがなくても過ごせる。文化財だから火気厳禁だけど、冬は電気ストーブをつかうし、調理には電磁調理器をつかう。問題はない。快適でうつくしい館だ」

「ってか、電磁調理器って……」

 良司がぼやく。

 榊葉はにこにこと続ける。


「戦後、この館は緑風会執行部の部室として、学校から特別に与えられたんだ。以来、ここは執行部のシンボルハウスになった。役員のことを“館の住人”と暗に言う生徒もいるくらいだからね――。きみたちも早く慣れて、住人になってもらいたいね」



 戸惑うふたりに、榊葉がわらいかける。

「――と、いうことで。住人たちの紹介でもしようかね」

 彼はにこやかに一同を見回した。



「まあ、もう顔見知りの面子めんつもいると思うけど。執行部のメンバーはおれを含めて計七名。――まず、副会長の荒巻あらまき志津香しづか。おれと同学年の三年」

「よろしくね」

 榊葉のとなりで、志津香が微笑む。足を横に揃え、ティーカップを片手に品よく佇む。


 塔子らもおとなしく会釈をかえしたが、彼女のことはすでに承知していた。

 その美貌と優美な佇まいから、“お姉さま”と賞賛されてやまない人物なのだ。榊葉と同様に、彼女のことを知らない生徒はいない。


「こわかったわね」

 志津香はふと、塔子を見つめた。いたわるようなまなざし。

 塔子はすぐにぴんときてうなずいた。

「……そのほうが……よろこばしいんですよね」

 志津香は目をみはり、そしてにっこりと笑んでうなずいた。


「――それで、こっちが二年の佐伯さえき千歳ちとせ。書記をしている」

 榊葉が機嫌よく紹介を続ける。

 となりのソファに座る女子が、小さく会釈した。

「……どうも」

 さっぱりとしたショートカットで、瞳が大きい。小柄で華奢な体は張りつめて、じっとこちらを窺っている。その様子はさながら、耳を立てて警戒する子ウサギのようだ。

 榊葉が眉をあげた。

「――人見知りでね。慣れてきたらかわいいから」

「やめてください」

 たちまち千歳の頬が朱に染まる。

 良司がとなりでくす、と小さくわらった。


「それから、瀬戸せと史信しのぶ。二年で会計」

 榊葉は千歳のとなり、黒縁メガネの細身の男子生徒を示した。

「――よろしく。昨日は色々あったけど、ふたりとも入ってくれてうれしい。わからないことも多いだろうから、なんでも聞いて」


 眼鏡の奥の一重の目が、やわらかに細められる。薄い唇の口角があがると、ずいぶんと幼い、感じのよい笑顔になった。

 塔子は意外におもった。昨日話したときには、にべもない口調だったから、つめたい人のように感じていたのだ。けれど今日はがらりと雰囲気が変わっている。


「ほんと、史信は仕事ができるから、何でも聞いたらいいよ」

 榊葉が笑む。

 塔子はすこし安堵して会釈を返した。


 そして、と榊葉が示す。

「ご存じの鷹宮たかみや柊一しゅういち。会計だ」

 榊葉のとなりのソファに彼がいた。目が合う。彫像のように整った造作で、じっとこちらを見つめてくる。

 塔子は動揺して、あわてて目をそらした。彼の視線はいつもこちらを向いている気がするから、落ち着かない。

「なにか言うことはないの、鷹宮」

「……とくには」

 とりつくしまもない。

 榊葉は大きくため息をついた。

「ほんとに修行が足らないねえきみは」

 鷹宮が猫のようにふいと顔をそむける。良司がわらいを噛み殺した。


 まあいいか。榊葉は肩をすくめた。

「――おれの紹介はもういいとして。執行部にはあとふたり、メンバーがいるんだ。あとで来るからまた紹介するよ」

「じゃあ会長、それまで続きを」

 すかさず史信が入り、榊葉はおもいきり渋面をつくった。

「やるの?」

「やるんです」


「これ、資料です」

 タイミングよく、千歳がホッチキスで留められた、分厚い紙の束を差しだす。塔子と良司は言われるまま受けとった。

「生徒総会が近くてね」

 榊葉がにがい顔で資料をつまんでみせる。

「予算案を作ってしまわないといけないんだ」


「二十二ページ、テニス部から」

 史信がてきぱきと進行する。


「おれたちはどうすれば」

「とりあえず見ていればいいから。どんなことをしているかだけ、今日は分かればいいよ」

 良司の声に、榊葉はわらって返す。ソファに深く座りなおすと、顔つきをあらためて、ページを繰り始める。塔子と良司は見よう見まねでそれにならった。


「――テニス部は昨年の実績を鑑みて、申請額を通そうかと」

「ブロック大会準優勝だものね。――でも雑費がやけに多いわね」

 ペンをあごに当て、志津香が指摘する。史信がうなずいた。

「備品購入費のようです。しかし全体としてみれば、昨年度とそんなに変わりません。増額はわずかです」

「そうは言っても、同好会の活動費がまかなえるくらいの額よ。根拠は必要だわ。今までの支給額では足りないのはなぜ?」

「購入予定の備品リストを作らせましょう。あとで確認するということで」

 志津香の言葉に、柊一が口を挟んだ。史信もしばし考えうなずく。お互いに納得しあうと、三人で榊葉に顔を向ける。


「――じゃあ、そういうことで」


 のんびりと榊葉がそれだけ言う。話はこれで決まるようだった。


「次、バスケ部」

 史信が淡々と続ける。

「はあ? 交際費って何」

「違反も十五点」

「よくまあ予算案でふざけられるな……」

「昨年度よりも大幅ダウンで」


 塔子はただただ目を丸くしているしかなかった。予算申請書を叩き台として、細かな額の修正を、彼らは次々とおこなっていく。

 そのひとつひとつは微々たる数字だが、総額を見るとあまりに巨きく、塔子は気が遠くなりそうだった。膨大な金の流れが、こんな茶話会で淡々と決められていたこともショックである。


「おれ、頭痛くなりそう」

 いろんな意味で、と良司がささやく。資料をぴらぴらとつまんでいるところを見ると、数字の羅列にも辟易へきえきしているらしい。塔子は同志を見つけてわずかに苦笑した。

 まったく、頭の痛くなるような話である。


 議論に勤しんで三十分ほど経った頃、ふと玄関が騒がしくなった。乱暴に靴を蹴立てる音がする。全員がドアに注視すると、体格の良い男子生徒が勢いよく入ってきた。


「おつかれ。総長来てるぞ」

 太い声で言う。聞くなり千歳が敏捷びんしょうに立ち上がった。

「もう来たのか」。のんびり言う榊葉を、千歳がにらみつける。

「はじめに言って下さい!」

「ごめんごめん。こんなに早く来るとおもわなくて」


 榊葉と、大柄な男子はひょうひょうとしたものだが、彼以外の面々はなぜか殺気立った。それぞれ立ち上がり、持っていた資料を手近なところへしまいこむ。


「おい、早く隠せ」


 柊一が塔子と良司にするどく声をかけた。固まっている二人の手から冊子をひったくると、背後にある本棚に突っこむ。千歳はローテーブルにあるプリントを必死にかき集め、自分のカバンに押しこんだ。

 塔子と良司はあ然とするしかない。

 実に迅速な手際だった。


 ドアが開く。

 全て片の付いた、ぴったりの間合いで“総長”と言われた男子生徒が入ってきた。



「やあ、皆さんお揃いで」

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