7 入寮式(6)

 

 ほうほうのていでようやく出口にたどり着くと、塔子は肩で大きく息をした。


 出口は白い幕で覆われており、外が見えないようになっている。ここで誓約を行い、外へ出るのが式の流れだった。けれど塔子はめちゃくちゃに幕を引っ張った。幕に取り付けられていた、いくつもの鈴がしゃらしゃらと音を立てる。


「鈴を鳴らすのはだれか」


 ふいに幕に人影がさし、外から低い男性の声がした。誓約の最初の言葉を告げてくる。人がいることに、塔子は泣きたいほど安堵して声を張り上げた。


「出してください!」


 相手の返答を待たず、幕の割れ目に手を差し込む。塔子のその手を、外にいる人物がふとつかんだ。暖かな体温にぎょっとしていると、やんわりと押し返される。もう一度試しても同じことだった。


「鈴を鳴らすのはだれか」

 ふたたび、低い声が問うてくる。塔子は背後に目を走らせ、上ずった声で叫んだ。


「出してください! お願いです」

「出たいなら、誓いを立てなさい」

「それどころじゃないんです! いたんです、なかに……」

「……いた?」

 相手がハッと息を呑む。それが感じられる。塔子は大きくうなずいた。

「そうです。だれかが、トンネルに」

「それ以上言ってはだめだ」


 鋭く厳しい声が返ってくる。びくりと肩を震わすと、声の主は人目をはばかるようにささやいた。


「大丈夫、きみはもう安全だ。俺が保障する。とにかく、誓約を終えなさい。話は後で聞く」


 そんな、と塔子はつぶやいた。わけがわからなかった。なぜ安全だと言えるのだろう。こんな状況下でも、誓約をしなければいけないのか。意味を問い質そうとして口を開いたが、彼の方が早かった。鈴を鳴らすのはだれか、とあらたまった口調で訊いてくる。

 塔子が沈黙していると、彼はもう一度、辛抱強く尋ねた。



「鈴を鳴らすのはだれか」



 塔子は観念した。戸惑いと不安でいっぱいになりながら、教わったとおりにつぶやく。



「お、王国を知る者です」

「なぜ来たのか」

「緑の民となるために」

「何を捧げる」

「……緑の枝を。わたしの、若葉の一枝を捧げます」

「では誓いを立てよ。――緑の民として、王国を守り、語り継ぐことを誓うか」

「誓います」

「王国にまつわる一切を口外しないと誓うか」

「誓います」

「赤の民に染まることなく、その影響も受けず、あらゆる脅威に屈しないと誓うか」

「誓います」

「これらの誓約を破ったときには、いかなる罰をも受けることを誓うか」

「……誓います」


「よろしい。誓いは立てられた」



 言葉と共に、勢いよく幕があがる。同時に歓声が聞こえ、塔子はぎょっとして固まった。目に飛び込んできたのは、二つのかがり火。夜の闇を照らすその炎が、明るく輝き火の粉を散らしている。そのかがり火の向こうに、優に百名は超える生徒達が集まっていた。皆晴れやかな笑顔で、塔子を待ち構えている。


「これは……」

「きみたちを祝福するために集まった、生徒有志だ。これで晴れて真の松高生になったのだからね」


 そう声をあげ、幕の横からぬっと顔をだしたのは、ひとりの男子生徒だ。目尻に皺のできる印象的な笑みを見て、塔子はあっと声を漏らした。緑風会会長榊葉さかきば直哉なおや、その人だった。誓約を交わしたのは、彼だったのだとやっと気付く。


 榊葉はジャージの上から黒いローブを羽織っており、魔術師めいた奇妙な格好をしていた。まじまじと見つめていると、「一応、祭司役だからね」と苦笑混じりに教えてくれる。


 ちなみに、と榊葉は居並ぶ生徒達の奥を指さした。その先には、緑の蔦がはびこる、木造二階建ての洋館がある。すべての窓に明かりが点けられ、近くにいる生徒達を煌々と照らしていた。


「これが、緑風会執行部の活動拠点、“緑の館”。トンネルはここに繋がっているというわけだ」


 塔子は戸惑いながらうなずいた。一拍の間があり、彼は静かに塔子を見つめた。


「こわい思いをしたね」

 その言葉に、一連の出来事が鮮やかに蘇る。塔子はふと涙ぐみそうになった。こくりとうなずくと、彼は頭をぽんぽんと撫でてくる。

 そして、ささやいた。


「何をされたんだい?」

「声を、かけられました。……約束を破ったね? って。それから、肩を叩かれました」

 榊葉の目がすっと細くなる。

「そう……肩をね。何回?」

「え?」


?」


 妙な質問だ。怪訝に思って顔をあげ、塔子は驚いた。彼はひどく真剣な眼差しで、こちらを見つめている。それが何よりも重要なことだと、言わんばかりの雰囲気だった。


「さ、三回です」


 塔子は小さく答えた。三回、と彼は繰り返す。そしてはっきりと笑みをつくった。綻ぶような笑みだった。


「……これはこれは」

「あの、いったいどういうことなんですか」

 不安がる塔子を見つめ、彼はまぶしげに目を細めた。そして告げた。おごそかに。



「きみの肩を叩いたのはね……それは、王だ」



「王……?」


 聞き慣れない言葉に、塔子は眉をひそめる。榊葉は微笑んでうなずいた。


「そう、おれたちは、“獅子”と呼んでいる。どうやらきみは、ふたつの祝福を受けたようだ」


 獅子、ふたつの祝福。意味深な言葉ばかりを持ち出され、塔子はさらに困惑した。

「よく、わからないです」

「わからないだろうね。だけど、今は言えないんだ。近いうちに、ちゃんと話す場を設けるよ。そのときに、何もかも伝えるから。だからそれまでは、今日のことは誰にも話さないように。……たとえどんなに仲の良い人であっても、だ。いいね?」


 有無を言わせぬものがあった。言われるままに塔子がうなずくと、彼はさわやかに笑む。そして塔子を正面から見据え、うやうやしく言い放った。


「篠崎塔子さん、おめでとう。この場に立ち会えたことを、俺はとても光栄に思う」


 何のことかを問いかけて、塔子は口を閉じた。言葉の代わりに、思いきり眉根を寄せて、彼を見あげる。しかし榊葉は、意味深な笑みを浮かべるばかりだった。


「さあ、皆がお待ちかねだよ。行きなさい」

 彼はおもむろに片手をあげ、かがり火の先を示す。


 いったい何が起こっているのか、あるいは起ころうとしているのか、さっぱり分からなかった。消化不良を起こしたときのように、胸がもやもやとしている。塔子はしかめっ面のまま、しぶしぶながらも歩き出した。


 かがり火が近づき、生徒達の歓声と拍手が響く。塔子は最後に振り返った。榊葉は大きな笑みで、ただ手を振っていた。


 意を決して花道に飛び込めば、人の波が打ち寄せる。


 いくつもの手が塔子の肩や頭に触れ、乱暴に撫でられる。おめでとう、お疲れ様。祝福とねぎらいの言葉が降り注ぐ。紙吹雪が舞う。その歓喜の渦のなかで、塔子は唐突に実感した。

 終わったのだ。ようやく、長い入寮式が終わったのだ。



「塔子!」



 声に振り向けば、花道が終わる辺りに、紗也加と良司の姿があった。手を振ってこちらを見つめている。塔子はこぼれるように笑んだ。泣きだしたいくらい、ほっとしている自分に気付く。


 恐怖も謎も疑問も、すべてを一時棚上げしようと、そのとき決心した。いずれ真相を話してくれるのだから、そのときに考えても、何ら遅くはないはずだ。今はふたりに再会できたことを、喜ぼう。そう考えると、ぐっと心が軽くなった。


 風が大きくそよいだ。若葉の匂いが鼻を掠める。それをいっぱいに吸い込んで、塔子は駆けだした。親愛なる友人たちの名を、高らかに呼ぶ。




 歓声と拍手は鳴り止むことがなかった。

 緑の王国は、塔子を迎え入れたのだった。




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