4 雪の女王(2)




 ノートに書かれたこの二人は、アリバイの確証がまだ取れていない。


 柊一が、瀬戸史信の名前をなぞってみせた。


「瀬戸先輩は、入寮式のとき、一年生男子の引率をしていた。トンネル入り口に立って、男子のトンネル通過の送り出しをしていた。それは、式の当日、おれ自身も先輩の姿を確認しているから、間違いない。問題は、そのあと――」

 こくりと塔子も相槌を打つ。


 入寮式の夜、一年生男子のトンネル通過儀式は、午後五時から六時半頃までおこなわれた。その後、一年生女子のトンネル通過儀式が、午後七時頃から開始している。

 獅子は午後七時ごろに、トンネルに潜み、塔子の肩を叩いた。


 では七時ごろ、瀬戸史信はなにをしていたか?


「瀬戸先輩は、男子のトンネル通過儀式を終えたあと、トンネルを通って学園に帰ったと証言した。ともに儀式運営をしていた、運営委員の野田のださんといっしょに帰ったって……。学園に帰ったあと――午後七時頃は、緑の館で儀式につかった道具を片付けていたって、言っていた」


 塔子のつぶやきに、良司、柊一が同意した。


 ――だが、これはあくまで本人がそう言っただけである。午後七時ごろ、瀬戸史信が緑の館にいたところを見た者はだれもおらず、彼の証言の裏付けは取れていない。


 いまのところ、瀬戸史信のアリバイの確証はないのだ。


「午後七時ごろ――瀬戸先輩が緑の館にいたかどうか、入寮式に立ち会った生徒たちに聞いて回らないといけないのか……。骨が折れるな」


 良司が頭を抱える。

 柊一があごに手をあてた。黙考して、そして顔をあげる。


「――瀬戸先輩は、男子のトンネル通過儀式を終えたあと、運営委員の野田のださんといっしょに、トンネルを通って学園に帰った……」


 そう言って、塔子に確認のまなざしをよこす。

 塔子はこくりとうなずいた。


「なら、運営委員の野田さんに一度、入寮式での瀬戸先輩の行動を確認してみたらいいんじゃないか」


 ああ、そうか。と良司も手を叩いた。


「そうだな。学園にもどったあと、瀬戸先輩が緑の館に向かったどうか、野田さんに確認を取ればいいよな。――ゴールデンウィークは、野田さんは帰省するかな……?」


 わからないので、塔子と柊一が、肩をすくめる。良司はそんなふたりをしばし見比べ、そして苦笑した。


「いいや、ゴールデンウィークが明けてから、三人で野田さんに聞きに行こう。おれも参加したいしね」


 塔子はしっかりうなずいた。


 ――瀬戸史信のアリバイ確認は、すこし進展するかもしれない。


「それから、こっちはと――」

 良司はシャープペンで、ノートに書かれた名前を示した。



 ――今井いまい彼方かなた 



 三年、執行部準役員の今井彼方も、アリバイの確証がない。


 ふいに良司がガサゴソと鞄を探り、やがて一枚の写真を取りだした。

「今井先輩から借りたんだ、これ」

 良司がニッと笑む。


 深い威厳を感じさせる、クスノキの巨樹の写真だ。太く力強い幹から生い茂る枝葉。暮れなずむ空に向かって、無数の手をのばすかのようだ。

 その写真の右下には、撮影日時が印字されている。


 四月十八日。午後六時三十四分。

 ――その日は入寮式の日である。


「入寮式の夜、今井先輩はまさに、中央広場ここにいたってことだよなあ」


 良司が右隣を見た。つられて塔子も見やる。


 手を伸ばせば届きそうな距離に、クスノキの、どっしりと太い幹がある。樹齢およそ、千年。塔子らのいるテーブルベンチは、このクスノキ巨樹の木陰のなかである。

 樹高は高い。幹をたどって見上げれば、太い幹から、曲がりくねった枝々がいくつものびている。そこに青葉がみっしりと茂り、葉と葉の合間から木漏れ日が差しこんでいた。


 今井彼方は、入寮式の夜、中央広場にいたという。そして、このクスノキを撮影していたという。

 その証拠として、クスノキを撮影した写真を、塔子らに提示したのだ。


「見る?」

 良司が写真を塔子に差し出した。

 塔子はおそるおそる手に取って、まじまじと見つめる。素人目に見ても、とても良い写真であることがわかる。暮色の空と、威風堂々としたクスノキの姿が、迫力をもって感じられる。

 今井彼方は腕のいいカメラマンなのだ。


 そして写真右下に書かれた撮影日時を、塔子はまじまじと見つめた。



 ――四月十八日。午後六時三十四分。



 入寮式の夜。塔子が獅子とトンネルで遭遇したのは、午後七時頃。


 今井彼方が写真で示すとおり、六時三十四分に中央広場でクスノキを撮影していたというなら――。


「――七時頃にはじまった、一年生女子のトンネル通過に立ち会うのは、不可能だって、ことなんだよね」


 ぽつりと塔子がつぶやく。

 つぶやきを聞き取って、良司、柊一が相づちを打った。


 ――なぜなら、ここ、中央広場から川上隧道トンネル入口まで、歩いて行けばおよそ一時間半かかるのだ。


 六時三十四分に中央広場を出発したら、川上隧道トンネル入口に到着するのは午後八時頃になる。

 女子のトンネル通過がおこなわれた午後七時頃には到底間に合わない。


 ――では、学園内にある川上隧道トンネル出口から入るのはどうか?


 川上隧道トンネル出口は、中央広場から十分程度の距離にある。六時三十四分に中央広場を出ても、女子のトンネル通過の午後七時までに、じゅうぶんに間に合う。


「――でも、そのころは男子のトンネル通過の真っ最中だった。トンネル出口には多くの生徒が集まって、入寮式の様子を見守っていた」


 良司の言葉に、柊一も口をひらく。


「おれがトンネル通過を終えたのは、午後五時半頃だった。そこからはトンネル出口で、式が終わるのを待っていた。ほかの生徒たちがトンネルから出てくるのを見ていたんだ。――少なくとも、午後五時半から、午後七時半まで、トンネル出口からトンネルに入った人はいなかった。見たのはトンネルからだけ。入った人は


 塔子はうなずいた。


 つまり、入寮式の夜、午後七時ごろの今井彼方のアリバイは、成立しているように見えるのだ。


「この写真がウソでなかったら、だけどね」

 良司が、塔子が持っている写真を指さした。


「撮影日時を細工しているとか?」

 柊一が塔子から写真を受け取り、今度は彼がまじまじと眺める。


「印字がウソってこと? どうやって確かめたらいいんだよ」

 良司が頭を抱える。


 五月の風が吹いた。

 葉擦れの音と、生徒たちのざわめきがやわらかに響いている。


 塔子はしばし黙った。

「……獅子探しのルールは、全部で三つあったよね」

 良司と柊一にだけ聞こえるように、小声でつぶやく。ふたりがこちらを向く。




 ――獅子は一回嘘をつく。


 ――獅子は、みずからが獅子である証拠を、かならず獅子の子に提示する。


 ――獅子の子が獅子を名指すのは、一度きりとする。



 獅子探しには、この三つのしきたりが設けられている。


 塔子はおずおずと口にした。


「ルールのふたつめ……“獅子は、みずからが獅子である証拠を、かならず獅子の子に提示する”、っていうのは、もう提示されてるのかな?」


 良司がきょとんとした顔をした。

「そういえば……どうなんだろう。獅子が噓をつくってことしか、考えてなかった」

「わたしも、そっちにばかり気がいっていたんだけど……。だけど……“証拠を示す”ってルールにあるからには、もう示してあるのかなって、ふとおもって……」

「――この写真が証拠かもしれないって?」

 柊一が察して、するどく切り返す。


 柊一の手にある、クスノキの大樹の写真。

 ――これが証拠になりうるのだろうか?


「わたしも、まだわからなくて……」

 塔子は眉根をさげた。


「こんにちは」

 かるい足音がして、塔子、柊一、良司は顔をあげた。

 白い頭髪、深いグリーンのベストを着こみ、手にはスケッチブックを持つ小柄な老人が近づいてくる。美術教員の杉原すぎはらだった。


「あ、すぎじ……じゃなくて先生。こんにちは」


 良司があわてて言い直した。

 杉原は生徒たちから“すぎじい”と呼ばれて親しまれている。


 塔子も柊一もあいさつを返した。

 柊一が写真をテーブルに置き、ごく自然な動作で、ひらいていたノートを閉じた。


「顔を寄せてなんの相談?」

「あー、ちょっと」

 良司が照れ笑いする。杉原は柔和な顔つきで、こっくりとうなずいた。


「先生は今日もスケッチですか?」

「そう。――ああ」

 杉原はテーブルに目を落とした。柊一が置いた、今井彼方の写真がある。

「いい写真だ」

 そっと手にとり、顔に近づけて見る。そして、写真と見比べるように、塔子らのすぐうしろにそびえるクスノキをじっと眺めた。


「あっちのクスノキだね」


 塔子は杉原を見た。

 杉原は、写真を持ち数歩あとずさった。クスノキ全体が眺め渡せる距離まであとずさり、しばらくためすすがめつ眺める。写真とクスノキを交互に見て、そしてまた戻ってきた。


「ありがとう」と、にっこり笑む。

「今井彼方くんの写真だね」

「わかるんですか?」

 柊一がすこし驚いた顔をする。杉原はうなずいた。

「たまに見せてもらうんだよ。彼は構図の切り取り方が独特でね。彼にしか見えない世界があると、感心することがある」

 へえ、と興味深げに良司が声をあげた。


「星空の写真なんかもすてきでね……そういえば」

 杉原は、塔子に顔を向けた。

「四日前の金星は見ものだったよ。見たかい」


 どきん、として塔子は一瞬言葉に詰まった。

 四日前――四月二十七日。このまえの獅子の伝言を実行した日だ。


 “四月二十七日、二十時三十分

 西の空を見よ”


 伝言の指定したその日、その時間、西の空にあったものは金星だった。一年五か月ぶりに最大光度さいだいこうどを迎えた、宵の明星。灯のような金色の星。


「はい、見れました」

 緊張しながら、塔子は答えた。良司と柊一はつとめて何も答えなかった。

 塔子どころか、良司も、柊一も、全校生徒もみな見ている。けれど、そのことを“外部の者おとなたち”に言ってはならない。


 杉原はおっとりと笑んだ。

「それはよかった」




 



 杉原が立ち去ったあと、妙な緊張がテーブルにのこった。

すぎじいって、松高に何十年もいるんでしょ」

 良司がうろんな声をだす。

「獅子の伝言とか、気づかないのかな」

 塔子は肩をすくめた。

「気づいているような気もするし、まったく気づいていないようにもみえる。わからない」

 柊一も低い声で答える。


「でも、教員の目から見て、気づかないのかな」

 良司が頬杖をつく。

「伝言が終わった翌日とか。クラスが、妙な雰囲気になるんだよな。このまえの伝言の翌日も、そうだった。みんな小声で金星のことを話して――みんなで秘密を共有して」


 塔子もうなずいた。

 良司も感じているのだ。この学園の妙な気配を。

 濃密で、そして内向的な気配。秘密を分かち合う者同士の、どこか共犯者めいた空気――。


「それこそが獅子の伝言の意図、なんだろうな」

 柊一がぽつりと口にする。



 しばらく間が空いた。

 木漏れ日はあかがねの色を帯びる。おだやかな夕刻のときが流れる。



「ゴールデンウィークのあいだ、ふたりは何するの?」

 だしぬけに良司がこちらを見た。

「課題と、執行部の作業」と柊一。

「……わたしも」

 塔子も答える。


 良司は代わるがわる柊一と塔子を見、そしてため息をついた。



「やっぱおれも残ればよかったかも」

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