11 獅子の娘(6)



 塔子は真っ青になった。

 言われることはわかりきっていたが、やはり、ただただ空恐ろしい。

 隣からも視線を感じる。柊一の視線だ。塔子の反応を、息をつめて窺っている。


「どうして――どうしてわたしなんですか」

 かすれた声がでた。


 榊葉がまじめな顔つきで首をふる。

「おれはその理由を知らない。だから、謎を解いてほしいと言ったんだ」


 そんな――。塔子は苦りきった。

「考えられないんです」

 小さく言う。


「わたしが……が、そんなすごいものに選ばれたなんて。もっとずっと適任の人がいるはずなのに――」


「適任? たとえば?」

「――その」

 おそるおそる隣を見やった。柊一の眉が思いきりひそめられたので、あわてて前を向く。

「えっと、その……。つまり、わたしよりも優秀な人は、沢山いるということです。それどころか……わたしが人より優れているところを探す方が、むずかしいくらいで……」


 ――欠点だらけで、どうしようもなくて。


「だから。だから、わたしはふさわしくないと思うんです。獅子になれるはずありません――」

 弱々しい声が部屋に落ちる。

 榊葉は少し肩をすくめた。そして困ったように、優しく笑んだ。



「――でも獅子は、きみを選んだよ」



 言葉に詰まる。

 ハッとして、塔子はつよく首をふった。

「――だ、だったら、なにかの間違いだと思うんです」

 なんだか悲しくなってくる。

「……獅子に、どうか獅子に確認してください。ほんとうにわたしなのか。とても信じられません……」


 榊葉は窓辺から、ゆっくりとこちらへ戻ってきた。安楽椅子に浅く腰かける。そして、正面から塔子を見据えた。


「きみで合っているよ。――篠崎塔子さん」


 ひどく優しい声。

 塔子の肩がふるえた。


「どうして……」

「その謎を解いてごらん。獅子に聞いてみるんだ」

「それなら――獅子に会わせてください。話をさせてください。……いったいだれなんですか。会長は、知っていますよね……?」

「知っている」

 榊葉はあっさりうなずいた。

「けれど残念ながら、おれは会わせることはできないんだ」

「なぜ」


「きみが見つけなければならないから」


 塔子は目を瞬いた。きょとんとする。

 噛んで含めるように、榊葉は再度口にした。

「――きみが、獅子を見つけなくてはいけないんだ」

「……え?」


 見つける?


 ざ、と葉擦れの音が鳴った。部屋の静けさを際立たせるように、やわらかに響きわたる。その音に包まれながら、榊葉はこちらをひたと見つめる。


「――獅子の役目について話そうか」

 彼は切り出した。


「緑の民、審判、そして獅子――。王国の、この三つの身分にはそれぞれに役目がある」


 緑の民は、王国を繁栄させること。

 審判は、獅子と民と王国を守ること。

 そして獅子は――王国を存続させること。


「そのように役目を課されて、三者は三様に行動している」

 ――では。

「獅子の役目、“王国を存続させる”とは、具体的に何をするのか。――なすべきことは三つある」




 一、国を治めること。


 二、伝言を流すこと。


 三、王位を継承すること。




「これら三つの仕事を果たさなければならない」


 そこまで言って、榊葉は声をやわらげた。

「……まあ、“国を治める”仕事については、のときだけだ。滅多にあることじゃない。ほとんど無いと言ってもいい。――“伝言”については、きみが今日体験したとおりだ。むずかしいことじゃない。だからあまり心配しなくてもいい」

 言い添える。

「……あの」


 心配も何も――。塔子はおおいに戸惑った。

 彼はこちらを見る。「ひとまず、聞いて」。


「獅子の役目のなかで、もっとも重要な仕事はなにか。それは継承だ。それが今日こんにちにおける獅子の本質。“緑の王国”というシステムを維持するための、もっとも大切な仕事だ。王なくして、王国はないのだからね」

 榊葉の低い声が響く。


「だからトンネルで、獅子はかならず次の獅子を指名する。確固たる理由をもって、次代を選ぶ。選ばれた次代は、やがて獅子になり、そしてまた次代を選ぶ。――そうして王国を存続させる。それが獅子の役目なんだ」


 塔子はまた肩をふるわせた。

 榊葉の視線が痛い。


「もし、篠崎さんが獅子になることを承諾してくれたなら――まっさきに取り掛からなければいけないのが、この仕事だ。きみは“獅子の娘”から、“獅子”にならなくてはいけない。そうして王位を継承しなければならない」



 “獅子の娘”から、“獅子”になる?



 言葉の違和感に顔をあげる。

「……選ばれたら、獅子になるんじゃないんですか」

 ちがうんだ。榊葉はゆっくりと首をふった。


「じつは――“選ばれた”というだけでは、王になることはできない」

「……できない?」 

 彼はまたうなずく。


「いちばん最初に伝えたけれど――。トンネルで獅子に肩を叩かれると、獅子の血を継ぐ者になり、次代の王位継承者の資格を得る。その段階にあるひとのことを、おれたちは“獅子の子”と呼ぶ――。つまり、から、そう呼称するんだ」

 少し言いにくそうな口ぶり。


「“継承”は最重要の仕事だからこそ、少し複雑でね。そう簡単に獅子になれるわけではないんだ」



 ――ではどうすれば”獅子の子”は獅子になれるのか?



 彼は思いきったように、口を開く。

「それにはある儀式を済ませなければいけない。――継承の儀式だ」


 塔子は驚いて榊葉を見た。

 いま、儀式といったろうか?


 彼は静かに告げる。

「選ばれた獅子の子は、現獅子をみずから探さなければならない。そして――現獅子から王の証明である、を譲り受けなければならない。これをやり遂げると、獅子の子は、獅子になる。――そういう儀式だ」


 開いた口がふさがらないとはこのことだった。

 塔子はものも言えなかった。


「――どうしてそんなことを」

 代わりに口を挟んだのは柊一だった。驚きあきれたような声音。

 榊葉は彼をちらと見やる。

「獅子はみずから子を選び、獅子の子は親を見出す――。そういう儀式なんだよ」

「……全校生徒のなかから見つけるんですか」

 やはり柊一が問いかける。

 榊葉はこっくりとうなずいた。


「そう。全校生徒のなかから見出さなくてはいけない」


 がく然と目を見開く。

 榊葉は塔子を安心させるように、声をやわらげた。

「たったひとりでやれとは、さすがに言わないよ。審判が手助けする」


「はあ?」

 非難の声。榊葉は塔子の隣を見やった。

「――鷹宮、いい加減覚悟をきめるべきだね。ここにいたいなら、審判も務めなければならない。大切な仕事だ」


 柊一はむすっと黙りこみ、これ見よがしにため息をこぼした。

 そんな態度を気にした風もなく、彼はまたこちらに顔を向ける。


「篠崎さん。審判はね、獅子の継承の儀式を執行し、それに立ち会わなければならない。だからとどこおりなく継承がなされるよう、獅子探しの手助けをするんだ。ヒントもつたえるし、質問には誠実に答える。――ただ、現獅子の正体を教えることはもちろん、直接的に匂わすような発言もできないけれど――。審判はあくまでサポート役だからね。とにかく」

 榊葉は塔子をまっすぐ見つめる。

「……獅子の子はこうして審判の助力を得て、獅子を見出し、宝を譲り受け、王になる。そういう儀式なんだ」


 塔子はあいまいな表情でうなずいた。

「それで――いったい」

「そういうわけだから」

 静かに榊葉がかぶせた。


「篠崎さんが現獅子に出会えるのは、もうすこし先になる、という話だ。それこそ、この儀式を完了するとき――きみが獅子になるときに、初めて出会える」


 ――王国の謎を解いてほしいと言ったのは、この意味も含めてのことだ。

 そう彼は続けた。


「……そんな」

 塔子はかすかな声をだした。


 獅子になるまで――現獅子に会えない?


 そんなことって、あるのだろうか?

 王位継承者ししのむすめにも、姿を明かさない王なんて。

 この伝統はいったい――いったい何なんだろう。


 徒労を感じて、塔子は目をふせた。

 それなら、と思う。


「わたし……辞退してもいいでしょうか」


「篠崎さん」

 塔子は榊葉にこわばった笑みを返した。

 すっかり疲れ切っていた。

「獅子をやりたいひとは他にいるはずです……。わたしの代わりに、そういうひとに資格をあげてください。……わたしはやっぱり、分不相応だと思うんです。気おくれがするし、わたしには手が余るし、なにより――」


 ――やりたくないんです。


 か細いが、はっきりと塔子は言い切った。

 獅子になるだけでもいやなのに、複雑な儀式があるのなら、なおさら遠慮したかった。


「ふうん」

 隣から小さな声がした。

 柊一がこちらを見ている。意外そうな、物珍しいものでも見るようなまなざし。

 塔子は思わず首をすくめた。


 風の音がする。


「ああ」。榊葉は、しぶい顔つきをした。

 眉が下がっている。はじめて見せる弱気な表情だった。

「この展開はいやだな」


 塔子は顔をしかめた。

「――そういう意味じゃないんだ」

 気づいて彼が顔をあげる。

「じゃあ、どういう――」

「いないんだ」

 榊葉は一息に口にした。



「きみの代わりは、いないんだ」


 

「いない……?」

 塔子は胸をおさえた。急激に心音が早まる。

 榊葉は神妙にうなずいた。

 少しの間を置き、ゆっくりと口を開く。


「獅子は確固たる理由をもって、きみを指名した。その選定は覆らない。きみの代わりはいないんだ。だから、もしきみが獅子を拒むなら――」



 この伝統は、終わる。



 どくん、とまた心臓がはね、塔子は押し黙った。榊葉の目を見ることができない。

「それって……」 

 それって。ひざの上で組んだ両手をにぎりこむ。

「もう、答えは出ているじゃないですか……」


 なんだ、と思う。――こういうわけだったのか。

 長い時間をかけて、伝統の歴史を聞かされたのは。百年の伝統を、学生たちの意志や想いを、言葉を尽くして語られたのは。

 獅子になることを、断らせないためだったのか。


「……拒否権はある」

 苦々しく彼は返す。

「……ないも同じ、です」

「意志は尊重する」

 塔子は首をふった。


 なんだか脱力した。

 一生けんめい考えたり、悩んだりしていた自分がばかみたいだ。


「言いたくなかったんだ」

 榊葉の表情がかげる。塔子の言外の想いさえ汲みとって、目をふせる。

「わたしは、逆です……」

 ぽつりと返す。

「はやく言ってくれたらよかったのに、って。そう思いました」

「篠崎さん」

「わたしには、到底できません……」

 もの問いたげな榊葉の瞳。


「先輩たちが守り続けたもの……緑の王国を、自分の手で終わらせるなんて。そんなこと、できるはずありません。……そんな勇気はありません」


 わかっているくせに、とは言わなかった。

 ぎゅっと目を閉じる。


「だれもがなれるものじゃないんだ」

 間髪入れず榊葉が声をあげる。

「きみの代わりはいない。つまり、きみ以外に獅子になれる人はいないんだ」

 はりつめた彼の顔。


「きみは何らかの理由によって獅子に見出された。この全校生徒のなかで、きみこそが獅子になるべきだと、その素質があると、そう獅子は判断したんだ。きみは自分に自信がないようだけど――」

 

 ――でも。



「きみの美点を、抜きんでて優れているところを。たとえきみが知らなくても――獅子は知っているんだ」



 塔子は眉根を下げた。

「まさか」

「そのまさかだよ。悲観することじゃない。その逆だと、おれは思うんだ。どうか失望しないでほしい。できることなら、この状況を、この謎を、楽しんでほしい。だって、きっとそんなに悪くない」



 獅子がきみを待っているんだから。



 塔子は顔をゆがめた。なんだか泣きたくなる。言いあらわせない、複雑な感情が胸に去来した。



 ――どうしてなんだろう。



 昨日、くすのき神社で願ったこと。

 塔子がこの学校の生活に期待したこと。

 それはもっとちっぽけな、ささいな願いのはずだった。

 塔子が変えていきたいのは、王国のゆくえじゃない。自分自身だ。


 たったそれだけのはずだったのに。


 窓から風が吹きこんでくる。巣へもどる鳥のさえずりが聞こえる。

 薄青い世界が、この部屋を包んでいる。




 長い沈黙のあと、塔子は顔をあげた。にじむ視界をこらえて、深く息を吸いこむ。


「わたしは何をすればいいんですか。……具体的に」

「……やるのか?」

 柊一が、ここへ来てはじめてまともに塔子に声をかけた。

 塔子はあいまいな顔つきで、かすかにうなずく。

 榊葉が大きなため息をついた。

「よかった」

 安堵のため息だった。笑んでこちらを見るが、その表情は複雑だった。

 すまない、と彼は言う。


「ありがとう、篠崎さん」


 うまく返すことができず、塔子は固い顔で、小さくうなずいた。

 柊一がこちらを見る。




 榊葉は十分な間をとって、そしてふたたび口を開いた。


 ――儀式は期限付きだ。

 まず、言う。

「六月の夏至の日――。その日までに、きみは獅子を継承しなければならない」


「……え」

 柊一が驚きの声をあげる。塔子がそこに続いた。

「あと二か月で……?」

 ふたりの視線を浴びながら、榊葉はうなずいた。

「そう。あと二か月で」

「できるものなんですか、そんなこと」

「出来ているからいまがあるんだよ」

 柊一の問いを軽くいなす。そして彼はまた、塔子の瞳をとらえる。


「そのために――篠崎さんには、執行部に入ってもらいたいんだ」


 塔子は絶句した。

 執行部員になるんだ、と彼は律儀にもう一度言った。


執行部しんぱんはきみを手助けする。そう言ったよね。だから、きみにはそばにいてほしいんだ。獅子をはやく見つけだすために、その道案内をしたい。仕事は手伝ってもらえるとありがたいけど、嫌ならしなくてもいい。ただ、毎日顔を見せに来てくれないか。そばにいて、つたえたいことは沢山あるんだ」


「待ってください」

 ひどくうろたえる。

「お願いです……それは、それだけは辞退させてください」


 緑風会執行部と言ったら、この学校でいちばん目立つ、華やかな役職だった。

 眼前の榊葉、そして柊一をはじめ、執行部員は個性がつよく、みな優れた才能をもっている。そういう噂だった。

 そこに自分が入るなんて、塔子にはぞっとしない話だ。

 悪目立ちして、心労の種が増えるだけだと、そう思えた。


「毎日顔を見せるだけだったら、執行部に入らなくてもいいのでは……」

「でもここは緑の館だから」

 榊葉はすこし肩をすくめた。

「校内の奥にぽつんと建っている館だし、入りづらいんだよね。あまり一般の生徒が出入りする場所じゃないんだ。そこに篠崎さんがしょっちゅう顔をだしていたら、それこそ噂になるよ」

 返す言葉がない。

 それはそうだ、とがく然として塔子は思った。


 どちらにしろ、悪目立ちすることには変わりない。


「だったら、おれはきみの立場をはっきりさせた方がいいと思っている。執行部に入れば、館に出入りする大義名分が立つだろう。獅子を見つけ、継承すれば執行部を抜けていいから。それまで辛抱してくれないか」

「そんな……」

 彼が苦く笑んだ。

「……ギリシア悲劇の主人公みたいだね」

 静かな声。

「シェイクスピアじゃなくて、ギリシア悲劇だ」

 塔子が顔をあげると、なんでもない、と彼は首をふった。


「とにかく――作りこまれたしきたりだ。よくよく考えれば、答えにたどりつけるようになっている。獅子になってしまえば、あとの仕事はそんなに苦労しないはずだ」

「……」

 彼は塔子の瞳をしっかりととらえる。

「一緒にがんばろう? 獅子を見つけて、宝を譲り受けるだけ。それだけだから」

 塔子は押し黙り、やがて小さく息をついた。


「気になっていたんですが」。静かに柊一が声をあげた。

「その王の宝とやらは、何なんですか」

「ああ」

 榊葉はすっと息を吸いこんだ。


 “獅子の系譜”


 え、と柊一が聞き返す。

 塔子が瞳をあげた。


の名前だよ。名もなき学び舎の王が、たったひとつ受け継ぐもの。それは名前のとおり系譜図のようなものかもしれないし、高価なものなのかもしれない。それが何かは、獅子だけが知っている。つまり、王の証明だ」

 榊葉が塔子を見つめた。


「きみが継ぐんだ。獅子の系譜を」


「…………継ぐ?」

 いぶかしむと、彼は柔和な顔つきでうなずいた。


「篠崎さん。いまは苦しいだけかもしれないけれど。この伝統の意味を、いつかきみも実感してほしい。緑の王国という、おとぎ話の世界の、その意味を。悪いものじゃないんだ。夢見がちでもない。この世界がめざすのは、むしろとても現実的な――」



 そこまで言い、彼はつたえるのをやめた。

 とても大人びた表情で、そして静かに笑んだ。


 塔子はぐちゃぐちゃな感情をもてあましながら、しかし目をそらすことができなかった。



 ふしぎと心にのこる表情だった。




 にじんだ視界に、彼の微笑みと、青い林ばかりが鮮明に映る。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る