13 三つの質問(4)
【3】
塔子は思いきって息を吸いこんだ。
「――鷹宮柊一くん、です」
ほんのわずかに右手を上げ、柊一を示してみせる。
「“柊一くん”だって。いいなあ」
一樹がすかさず茶々を入れ、塔子は真っ赤になった。
「おれもこれから柊一くんって呼ぼうかなあ」
「ばか、かわいい女の子が呼ぶからいいんだろ、こういうものは。ねえ鷹宮」
榊葉がにやにやと見るので、当の本人は思いきり渋面をつくった。
「いいから、早く」
柊一にひややかな視線を投げかけられ、塔子はあせって口を開いた。
「え、ええと。鷹宮くんは――」
最近知り合った仲だから、どんな紹介をすればいいか考え込んでしまう。
塔子はあごに手をあて、そして顔をあげた。
「……とても優秀です。入学式で新入生総代をつとめましたし、定期試験でも、毎回三位以内に入っています」
皆がうなずいた。彼の輝かしい経歴は、在学生のほとんどが知るところとなっている。
「それに鷹宮くんは……とてもかっこいいから人気者で……」
「ほんっと女子に人気あるよなあ、鷹宮は。こんな性格悪いのにさ」
一樹がずけずけと言う。
「なんだっけ、“氷の王子”って呼ばれてるんだっけ?」
「黙ってください」
言われるとわかっていたらしい。形のよい眉をぐっとひそめて、柊一がすかさず吐き捨てる。
くす、と座の面々が、はばかりながら笑んだ。
「そうそう、もうファンクラブができているみたい」
志津香があかるく口を挟み、全員が沸いた。
「厳密にはファンクラブみたいなものかしら。鷹宮くんに熱を上げている集団ができた、っていう感じ。――しかもファン層が面白いの。元気で派手な女子だけじゃなくて、大人しくて真面目な子からも好かれてる」
「つまり女子には万人受けしてるっていうわけか」
榊葉がわざと不思議がるので、皆がわらう。
塔子はといえば気が気じゃなかった。隣にいるから、柊一のまとう空気の温度が一気に下がっているのがわかる。
これだけ柊一をこき下ろせるのは、校内では、おそらくこのメンバーだけだろう。けれど、これ以上彼を煽るのはまったく良策ではないと思えた。
「え、ええと。それから――」
話をなんとか変えようと、小さな声を発してみる。
「わたしから見た鷹宮くんについて、です」
「……え?」
柊一がこちらを向く。塔子もちらとうかがっていたので、まともに目が合う。
ランタンに照らされた彼の顔。彫像のようにうつくしいその顔。黒々とした一重の瞳が見開かれ、いま塔子だけを映している。
塔子の頬が紅潮した。顔をふせ、一拍置き、なんとか口にする。
「……鷹宮くんは、ふだんはすこし近寄りがたいくらいで……なんというか……孤高のひとのように見えます」
「篠崎さんは優しいなあ。表現が良すぎるよ」
一樹がまぜっかえす。
塔子はすこし考え、かすかに首をふった。「……でも」。
「わたしは、鷹宮くんは、本当はとても繊細で……とても優しいひとじゃないかと、思っているんです」
なんだか恥ずかしくて、柊一の顔が見れない。
いったいどう言えばいいのだろう?
――
夕暮れの静かな林。道に飴色の木漏れ日が射していた。前を行く彼の背にも、それはまだらに落ちていて。線の細いその背中が、なんだかとても儚げにみえた。
ふと気をゆるめば、緑のなかに消えていってしまいそうな――。
この光景こそが、塔子にとっての柊一だ。
いちばんつよい彼の印象なのだ。
「その……」
しかしそれをありのまま話すのはためらわれた。
あせって別のエピソードをさがしてみる。
「……今日、わたしがブランケットを持ちきれなかったら、手伝ってくれました。……獅子探しで困っているわたしのことを心配して、助けてくれました……」
みながあいまいな表情をするので、居たたまれなくなる。
隣からの視線が痛い。
「そ、それだけじゃなくて」
言葉を継ぐ。
「まえに……鷹宮くんが図書館で本を読んでいるところを見かけたんです。手にしている本の表紙に見覚えがありました。わたしもだいすきな本です。……あの本が好きならきっと、って思って……」
「へえ」
史信が腕を組んだ。大いに興味をそそられたらしく、身を乗り出している。
「いったい何の本。気になるなあ」
「それは……」
おそるおそる柊一を見る。ぎくりとしたような彼の顔。
塔子は察した。
「な、……ないしょ、です」
「ふたりのひみつってこと?」
「いえ、その……」
「そうです」
きっぱりと言い放ったのは柊一だった。
みながどよめく。
「なにそれ、なんなの」
間髪入れず良司が声をあげた。
「そういう関係……?」
一樹が不審がる。
あんぐりと口を開けていた塔子は、ハッとしてぶんぶんと首をふった。
「そ、そうじゃなくて……」
『銀河鉄道の夜』を読んでいたことを、彼が知られたくないだけだ。ただそれだけだ。
「いいね」。榊葉がにんまりとわらう。
「乞うご期待って感じだな」
動揺する塔子の瞳を、榊葉がとらえた。沸く面々に気づかれないように、すっと親指で塔子の隣を指し示す。
こわごわふり向けば、柊一がぐっと眉をひそめていた。
かたくなな表情。周囲のからかいに耳を貸さず、むっつりとティーカップを口に運ぶ。平常運行。彼のいつもの姿だった。
会長は何を言いたいんだろう。
不思議に思って見つめていると、やがておもむろに柊一がこちらを向いた。目が合い、とたん、思いきりそらされる。塔子もどきりとしたが、柊一の方があからさまだった。
ふふ、と榊葉がわらう。
そっぽを向いてあらわになった柊一の耳は、うっすらと赤みがさしていた。
三つの質問は、当然のことながら、柊一は良司とほとんど同じ回答をした。
女子のトンネル通過儀式の間は、トンネルの出口にいた。
そこで上級生と一緒に、トンネルから出てくる女子を見ていた。
一組男子全員が、その証人である。
そう彼は言い、話をしめくくった。
【4】
座が静まった頃合いを見計らって、柊一は低い声をあげた。
「瀬戸史信先輩。二年一組。一緒に会計をしています」
史信と目は合わせない。淡々と紹介していく。
「全教科学年一位。……とても優秀です。つぎの緑風会会長は瀬戸先輩だと聞いています」
榊葉が口の端をあげる。
史信はポーカーフェイスを崩さない。
「ほんと、いやみな集団だよなあ、きみらは」
一樹が後ろ頭に両手を組み、背を反らす。
「この学校でいちばんいやみな集団なんじゃない?」
「だからね、いやみに映らないように誠心誠意、職務に励んでいるわけですよ」
「おまえが一番いやみだろ」
榊葉と一樹のかけあいに、みながわらった。本当に仲が良いらしい。
夜はとっぷりと暮れている。
闇のなか、銀杏の木の下だけが煌々とあかるい。
わらいが静まったころ、柊一がまた口を開いた。
「瀬戸先輩は面倒見がよくて、頼りになります。仕事をわかりやすく教えてくれて……とても助かっています」
良司があれ、という顔をした。柊一の態度は謙虚そのものだ。
「――そして顔が広い。どこへ行っても知り合いだらけで……社交的だと思います」
「そう。何においてもそつがない。……そこが問題なんだよねえ」
すかさず身を乗り出したのは榊葉だった。
「弱点が無さすぎるんだよ、史信は。本当に徹底して優等生だから、すごいと思うけど。
「隙、ですか」
榊葉が史信にうなずく。
妙な間が空いたので、みなはしぜんと柊一に目を戻した。
当の彼はといえば、すぐには話を続けなかった。切れ長の目を伏せ、あぐらをかいた足の上で、両手をひらいては閉じる。それをぼんやりとみなが見守っていると、ようやく彼は瞳をあげた。
「……それから」
はじめて史信に顔を向ける。
「――瀬戸先輩は、おれの親戚です」
一時静まり返る。そして、ええーっと爆発したように驚きの声があがった。
榊葉でさえもぽかんと口を開けている。
塔子ももちろん仰天したが、一方でなんだか腑に落ちるものがあった。
史信の切れ長のまなざし。
だれかに似ていると思ったら――柊一だったのか。
「……言わないと思ってた」
柊一をまっすぐ見つめ、史信が笑みを刷く。
当の彼はゆっくりと首をふった。
「言わない理由なんてない」
静かな口調だった。
「まあ、親戚といっても遠い血縁だけど」
史信は自分を指さす。
「おれは分家。鷹宮は本家直系、しかも長男だ。聞いているかもしれないが、鷹宮家は由緒正しき名家でね。世が世なら、おれは鷹宮に仕える身分だったわけ」
全員が呆然としている。
「じつはいまもその風潮は残っていてね。本当は
――そして
左手で柊一を示す。
「だからもしかして、身分制は昔もいまも変わっていないのかもしれないね」
「瀬戸先輩」
「鷹宮、ほんとのことだよ」
史信は感じ良く微笑んだ。
「おれは家の仕事を手伝うことに、この立場に、まったく疑問を感じていないんだ。昔からそう決められていたし、そういうものだと思っているしね。
……むしろおれは、きみと一緒に仕事ができるのが楽しみだ。できるなら、きみを手助けしたいと思っている」
――“鷹宮”という王国のなかで戦うきみを、ね。
柊一の表情が明らかにこわばった。
「――まあ、そんなところです。 鷹宮、紹介ありがとう」
優しいまなざしで柊一を見やる。そして史信は、柊一の隣にいる塔子に目を向けた。
「いまはこっちの王国に専念しないとね。それじゃあ――」
三つの質問に答えようじゃないか。
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