3 王国の夢(3)
「ひみつの王国をつくり、王を隠して。わたしたちはいったい何をしているのか? それはね――」
塔子は耳をそばだてた。
「ゲームをしているの」
「いま、なんて」
「緑の王国の、ゲームをしている」
落ち着いた声音で詩織はくりかえす。
塔子は呆気にとられた。いままでの話が物々しかっただけに、その言葉の違和感は大きい。
「驚くでしょうね。でも、ゲームとしか言いようがない代物なのよ。王国は百年間、このゲームを続けている。だから、これこそ王国の
彼女は静かに続ける。
「誓約を終えた者が、このゲームの参加権を得るわ。緑の民になった以上、あなたもこれに参加しなければいけないの。だからよく聞いていて」
――緑の王国のゲーム。これは、王国を隠しとおすゲームである。
厳密には、仕掛けながら隠す、攻守のゲームだ。そこに王国があることを匂わせながら、それでいてその存在を悟らせないようにする。ある種のいたずらのようなゲームである。
三つの身分がそれぞれの役割に則り、これをおこなうことになっている。
獅子。
緑の民。
審判。
――この三役だ。
「審判?」
塔子は早々に口を挟んでしまった。今までの話にはまったく出なかった身分だったので、驚いたのだ。
「そう。このゲームの判定者であり、調停者。緑風会執行部がつとめている」
塔子はぽかんと口をあけた。
「執行部って、あの執行部ですか。
「ええ」
「……判定者?」
「それに調停者。“親”とか、ゲームマスターって言えばいいかしら。もちろん表立っては言わないわ。王国のなかでだけ」
二の句が継げないとはこのことだった。
なんて、なんて学校だろう。
詩織は真面目くさった顔で話を続ける。
――ゲームのルールはいたってシンプルである。
それは“獅子の命令を実行する”こと。それも“絶対に外部の人間に悟らせないようにやりとげる”ことである。
獅子は命令する。ささいで謎めいたことを。
緑の民は忠実に命令を実行する。
これを審判が判定し、すべて秘密裏にやりとげることができれば、“王国”の勝ち。国は守られる。反対に、もし外部の者に見やぶられた場合は、“王国”の負け。審判はただちに伝統の
「これがしきたりのすべて。外部の者とはもちろん、誓約をしていない人のことよ。教員や学校関係者、親兄弟だって含まれる」
塔子はじっと黙り、やがてか細い声を発した。
「よく、わかりません」
うまく想像ができない。
「それなら言いかえましょう」。詩織がうなずいた。
「――わたしたちはいつもどおりの生活を送っている。いつもどおりの朝、いつもどおりの学校、勉強、部活。いつもどおりの夜。そのなかで、たとえば授業中に、食事中に、おしゃべりをしているときに、歯磨きをしているときに。ふと聞こえてくるの」
「何が」
「伝言が」
「誰からの」
「獅子からの」
塔子は身を縮めた。背筋が粟立った。
「獅子は姿を見せない王。だから命令はいつも伝言なの。独特な言い回しの、意味不明で、ささいな命令。それが生徒の間にひそやかに伝えられる。“校章をさかさまに着けてくること”や、“百葉箱に手紙を入れること”とか、ね」
ぞくっと、また背筋が震えた。
「獅子の命令を聞いた翌日、わたしたちはそれを実行しなくてはいけない。なにげなく、だれにも気付かれないようにして、校章をさかさまにして、百葉箱を手紙で埋め尽くす。それすらもみんな知らないふりをして、わたしたちはいつもどおりの日常を過ごす。いつもどおりの朝、いつもどおりの学校、勉強、部活。いつもどおりの夜。そして朝が来る」
すっと、詩織は塔子を見つめた。
「はたして命令は滞りなく遂行されたのか? 翌日の朝、審判がその判定を報告する。執行部の部室――緑の館の玄関扉に、緑の校旗がかかっていたら、わたしたちの勝ち。王国は守られる。けれどもし、赤の校旗がかかっていたら。そのときはわたしたちの負け」
「王国は終わる」
「そのとおり」
詩織は口の端をあげた。
「これが、こんなしきたりが百年?」
どっと疲れを感じ、塔子は床に手をやり重心をあずけた。
対面する彼女はただ首肯している。
「いったいなぜ、こんなことを」
「わからないとはじめに言ったでしょう。緑の王国という伝統が、どうしてつくられたのか。本当のところはまったく定かでない。けれど伝統は引き継がれ、守られてきた。そしてそれを、わたしたちも担わなければならない。そうね……いまの問いには、こう返した方が正しいかしら」
わたしたちは、松高生だから。
時計の秒針の音が響く。
塔子は口に手をやり、しばらく黙り込んだ。困惑の一言に尽きた。考えても謎が深まるばかりだ。
「もし――」。心もとない気持ちで、小さな声を発する。
「獅子の命令が横暴なものだったら? それもしたがわなければならないのですか?」
詩織は首を振った。
「そのために審判がいる。調停をするわ」
話を聞いて、塔子はまた困惑を深めるはめになった。
なんとも奇妙な調停だったからだ。
ひと通り話し終わると、詩織もさすがに疲れたらしい。コーヒーを飲み干しふうと息をついた。
塔子のミルクティーはといえば、ほとんど残っているにも関わらず、すっかり冷めきっている。
「――さて、長い話はこれで終わり。ご質問は?」
濃密な空気をはらうように、詩織は声色をかえた。
塔子は恨めしい気持ちで彼女を見やる。
「……奇妙なことが多すぎて」
「ええ」
「うまく言えませんが……。わかったことで、さらにわからなくなった気がします。質問したいのに、何を質問したらいいのか……」
「そういうものよ」。あっさりと詩織は返す。
「伝統は複雑でこみ入っているから。話しをしただけではいまいちわからないことが多いでしょう」
こくりと頷くと、詩織はわずかに目元を和ませた。
「だからね。実践してみましょう」
「実践?」
「あなたにさっそく伝言があるの」
塔子は目を見開いた。
「緑の王国のゲームへの、初めての参加ね。伝言の主は、もうわかるでしょう? ――とはいえ、これはもはや慣例なのだけど。毎年、入寮式の夜に必ずつたえることになっているの」
気持ちの整理ができていず、塔子は動揺した。
詩織は淡々と続ける。
「実際にやってみたらあなたもわかるわ。どんな雰囲気でゲームがおこなわれるか。全校生徒はどんな風にこれを受け止めているか。王国とは何なのか」
「あの、でも……」
「やってみるしかないでしょう? 獅子からの伝言よ。一度しか言わないわ。よく聞いてね」
途方に暮れた顔をした塔子に、詩織は明瞭に告げた。
「マトエミドリヲ ソノミドリ ミドリノクニヨ サカエアレ」
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