4 伝言(1)


 翌朝は快晴だった。空は抜けるように青く、さんさんと陽が降り注いでいる。目に映る景色はすべて、枝葉に切り取られているこの学校でも、空の青さがいつもと違うことは感じとれた。


 塔子が登校すると、良司と紗也加が待ち構えていた。良司は陸上部に、紗也加はテニス部に所属している。彼らは朝練をこなすため、塔子よりもずっと早くに登校するのだ。

 ふたりの表情は対照的だった。


「おはよう、塔子」

「おはよ」

 紗也加はぶすっとした表情で、良司はにこやかに迎える。塔子はといえば、ただただ困惑しきりの顔でふたりにあいさつをした。

「おはよう……」


「あ、付けてるね。ペンかぁ」

 良司が塔子の胸元を指さす。胸ポケットに挿した、素っ気ない緑のペンを目ざとく見つけたのだ。

 塔子はこっくりとうなずいた。

「ふたりは……付けてないの?」

 紗也加は何も言わず首をひねった。美しい黒髪のポニーテールが跳ねる。その髪ゴムは、ラメの入った緑色をしていた。

「おれはこれ」

 良司が楽しげに学ランのズボンをまくり、くるぶしを見せる。浅黒く締まった足首に、緑の糸を編み込んだアンクレットが揺れている。

 塔子はなんだかほっとした。みんな、昨夜同じ話を聞いているのだ。


まとえ緑を、その緑……」

「緑の国よ、栄えあれ、ってね」

 塔子のつぶやきを、良司が引き取った。



 “マトエミドリヲ ソノミドリ ミドリノクニヨ サカエアレ”



 詩織から“獅子の伝言”を聞いたときには、何かの暗号かと思った塔子である。しかしよくよく聞いてみると、きちんとした日本語だった。古めかしくいかめしい、謎めいた言葉。



 “つまり、緑のものを身に付けなさい、という伝言よ。”纏え緑を“、と言っているでしょう。”



 詩織の解説によって、やっと意味が氷解したのだ。ひとりで考えても、まったくわからなかっただろう。


「面白いよなあ。兄貴が言っていたのはこのことだったんだ」

 良司が教室をぐるりと眺めるので、塔子は一緒に目をやった。クラスメイトはふだんよりもずっと落ち着きがない。それぞれが身に着けた“緑”を見せあい、そして昨夜起こったことを話し合っている。

「何が面白いのよ」

 感慨にふける良司を、紗也加が一蹴し息をつく。

「なんていうか、無駄に力が入ってるわよね。たしかこんな和歌あったような」

「八雲立つ、だね」

 小さく口にすると、ふたりともいぶかしむ顔をする。仕方なく塔子はそらんじてみせた。


「“八雲やくもつ 出雲いずも八重垣やえがき妻籠つまごみに 八重垣やえがきつくるその八重垣やえがきを”……」


「ああ、それそれ」

「お、すげー」

 紗也加と良司の声が重なる。塔子は微かにはにかんだ。古文は得意科目だった。

「そういう技法があったよね。同じ言葉を重ねて詠むことで、格調を高めるとか、意味を増すとか……」

「なんだかんだ言って、楽しいんじゃないの、織部」

 ちがうわよ。紗也加が眉をぐっとひそめる。

「気が付かないの。この“伝言”だけでもわかるでしょう」

「なにが」


が」


 そう言って、勢いよくこちらを振り返る。

「塔子は、話を聞いてどう思った?」

「えっ?」

「伝統のこと」

 うっと言葉に詰まる。

「どう思った?」。重ねて訊かれ、しどろもどろになった。

「その……」

「うん」

「そのう……よく、わからなかった」

 紗也加が相づちを打つ。

「どこが?」

「あ、ええと」。塔子はあわてて考えをまとめた。


「……なんでこんな伝統が百年続いてるんだろう、って。それが本当にわからない、かな」

 自信がないので小声になる。

「こんな空想の王国をつくって、儀式も大まじめに取り組んでいるけど……やっていることは子どものいたずらみたいだし」


 いまこのときも、“獅子の伝言”を遂行中なわけで――。


「それなのに、参加は強制だし。何がしたいんだろうって、なんで参加しなきゃいけないんだろうって。ぜんぶわからない、かな……」


 ――トンネルでおどかされた理由もわからないままだし。


 紗也加がうなずくので、塔子はほっとした。

「まあ、そうだよね」。良司が頭のうしろで両手を組む。

「おれはそこが面白いと思うけど。冷静に考えたら変な話だよな」

「……それどころか」

 紗也加が低い声をだす。

「どころか?」

 じろりと彼女は目を向けた。


「――ねえ、怖くない?」


 塔子の心臓がはねた。

「え、何。どうしたの?」

 良司の反応に紗也加がまた息をつく。

「……塔子、さっき言ったよね。“大まじめに取り組んでいる”って。――この伝統を、みんなが」

「……うん」

「それって、すごく異常なことに思えるの」

 良司が眉を跳ねあげた。

「異常?」

「考えてみて。こんな伝統を義務付けられて、いままでに抗議する人はいなかったのか」 

「うーん。さすがにいたでしょう」。からっと良司は笑う。

「こんな変な伝統。嫌がる奴だって当然いたと思うよ。いまもいるでしょ、織部が筆頭」

 まぜっかえされているのに、紗也加はうなずいただけだった。


「……当然そう思うわよね。でも、伝統はなくならなかった。百年続いた」


「何が言いたいんだよ」

 紗也加の瞳が、何かをこらえている。――つまりね。

「……この百年間ずっと、伝統を支持しない人、抗議する人は少数派だったということよ。逆に言えば――」



「この学校の生徒たちの大半は、伝統を支持してきた……」

 塔子の微かな呟きに、紗也加が首肯した。



「そう。百年間。しかも、自発的にね。――消極的だったのなら、いつのまにか伝統は消えていたでしょうから」


 教室の隅で、一部のクラスメイトがひときわ大きくさざめいた。楽しげな笑い声。こちらの温度とは対照的だ。


「……この学校の生徒は、百年間何をしているの? どうして伝統を大まじめに続けているの?」

 途方に暮れたように彼女はこちらを見る。

「わたしは理解できないものが怖いのよ」

 しばらくの沈黙があった。賑やかな教室で、ここだけがぽっかりと無音の世界にいるようだった。


 そうだなあ、と良司がおもむろに声をだす。

「ここは、本当に王国なんだろうなあ」

 紗也加が眉間にしわを刻む。

「どういうこと」

「ここじゃ現代の常識が通用しない。なら、ここでまかりとおっているのは何か。それは王国の価値観だ。それ以外にないだろ」

「つまり?」

 良司は肩をすくめた。



「ここの生徒は、身も心も緑の民だってことさ。伝統の批判もできないくらいにね」



 授業が始まった。教員が教壇に立つと、クラスメイトは興奮も最高潮だった。

 外部の人間が“王国”を見破ればゲームオーバー。伝統は終わる。

 それだというのに、みんな同じ色のものを身に着け、王国の存在を匂わしている。相手を挑発しているのだ。


 いたずらをする子どものように、どこか甘い後ろめたさで、クラスメイトは教員を見つめた。視線が合えばすぐにそらした。

 気付くだろうか、気付くだろうか、とみんなどこかで期待しながら。


 塔子もそのひとりとして息を詰めていたが、しばらくして、考えをあらためることになった。

 教員は、良くも悪くもいつも通りだったからだ。生徒達が身に着ける“緑”など、教員は気づきもしない。淡々と、単調なリズムで講釈をたれている。


 クラス中がみな、肩透かしにあったようなムードになった。

 塔子は吐息をもらす。


 よく見ればわかるのに、教員というものはなんて鈍感なんだろう。



 髪留め、胸にさしたペン、腕時計、チャーム、靴のライン、ボタン。

 ブレスレット、バッチ、シュシュ、Tシャツ、リストバンド、靴下……

 どこかしこにも緑があるのに。



 ――あれ? 周囲をくるりと見回し、塔子は違和感を覚えた。クラスの空気って、こんなものだったかな。

 いつもより濃密に思える。濃密で、そして内向的な気配。



 秘密を分かち合う者同士の、どこか共犯者めいた空気――。



 塔子はふと鳥肌が立っていることに気付いた。

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