10 三つの質問(1)
塔子はびくりと肩をふるわせた。
「……もうこの状況自体がゲームじゃないんですか」
柊一があきれたように声をあげる。
「そうだよねえ」。榊葉がくく、とわらう。
「ゲームのなかのゲーム、だねえ」
マトリョーシカみたいだ。
塔子は早まる心音を聞きながら思った。入れ子になっているロシアの人形みたいに――この学校はいつも入れ子状だ。
ゲームのなかにゲーム。
伝統のなかに伝統。
「――まあ、
「それにしては豪華……っていうか凝りすぎだろう」
榊葉の言に、一樹がまぜっかえすので場にわらいがおきる。
「いいじゃない、豪華だから花道なんだ」
榊葉は大きな笑みを浮かべた。
あたたかなランタンの灯が、ゆらゆらと揺れている。寄せてはかえす、波のような葉擦れの音が聞こえる。
夜はますます深度を増していく。
「じゃあ、ゲームの説明をしようか」
榊葉は塔子をしっかりと見つめた。
「獅子を探るには、まずそのひとを知らなくてはいけない。そのひとがどんなひとか、何を大切にしているのか。そういうことは、少しでも知っておいた方がいいと思うんだ。だからまず他己紹介をしようと思う。――他己紹介って聞いたことは?」
問われるので塔子は首をふった。彼がうなずく。
「自己紹介ならぬ他己紹介。ある他人のことを大勢の人に対して紹介するってこと。――これからみんなには、いま座っている右隣の人を紹介していってもらいたい」
面々が戸惑ったように顔を見合わせる。
榊葉は隣の良司にふりむいた。
「おれの右隣は坂本だ。だからおれは坂本を紹介する。そして坂本は、篠崎さんを紹介する」
良司の右にいる塔子に目を移して言う。
「そして篠崎さんは隣の鷹宮を紹介する。鷹宮は史信を、史信は佐伯さんを、佐伯さんは志津香を……というふうに、順繰りに紹介していく」
「自己紹介じゃだめなの?」
一樹がきょとんとしてたずねる。
榊葉は肩をすくめた。
「名前、学年、部活、趣味……自己紹介ってこんなものだろ。どうせ決まりきったことしか話さなくなる。それなら他人に紹介してもらったほうがずっと面白い。
篠崎さんと坂本をのぞけば、みんな知り合った仲だ。そういう人に紹介してもらうと、本人が言わないことや、“他人から見たそのひと”を知ることができる」
「なるほど」
――だからね。ぐるりと全員を見回す。
「みんなには、その人の基本情報だけじゃなくて、“自分から見てその人はどんな人か・どう映っているか”を、できるだけ率直に、細かく話してほしいんだ。それが他己紹介の醍醐味だから」
「なんだかこわいなあ」。壮平が苦笑する。
「ここにいるみんなはこわいこと言わないでしょ」
彼は泰然とわらう。
「大丈夫。紹介された内容がまちがっているなら、その場で本人が訂正すればいい。みんなも、おとなしく聞いていなくてもいいんだよ。かしこまらずにわいわいやろう。――いいかい?」
念を押され、みながおずおずとうなずく。
「じゃあ、まずお手本として。おれがやってみるよ」
榊葉は良司を向いた。
【1】
「彼は坂本良司。一年三組」
良司はおっかなびっくりといった表情で榊葉をみあげた。
見あげられた当の本人は、良司と目を合わせる余裕すら見せて、笑みをつくる。
「八月一日生まれ、獅子座、O型」
「……なんでそこまで知っているんだよ」
「館の住人として迎えるんだから、素性は調査しないと」
うそか本当か、榊葉はにやにやとわらう。
良司が気持ち悪がって首をすくめるので、一同にわらいがおこった。
「なんでも知ってるもんな。敵に回すといちばん怖いタイプ。まったくいい趣味してるよ」
「でしょう?」
壮平の言に、榊葉はすまして応える。
良司はにがりきった顔で、彼とすこし距離を離して座り直した。
「続けるよ」
榊葉が苦笑する。
「坂本は陸上部所属。短距離をメインにやっている。かなり有望株。インターハイも狙えると聞いている」
へえ! と周りから声があがった。塔子も驚いて良司を見やる。
「それはおれも知ってる」と一樹がクッキーを呑みこんで声をあげた。
「すごいやつが入ってくるって、入学前から陸上部がさわいでたからな。うちの陸上って、あんまりパッとしなかったろう? だから坂本は期待の星。それはもう鳴り物入りで入部だったわけ」
また座が沸いた。
「うわ、これ恥ずかしいな……」
良司がはにかんでうつむく。耳が赤くなっている。
塔子はまじまじと彼を見つめてしまった。
陸上は“いい線いってる”とは、本人の談だったが、まさかこれほどとは思わなかったのだ。
――人より優れているところって、たしかに自分からは、なかなか言えないな。
なるほど、と思う。
このゲームの趣旨がすこしわかってきた。
「それから――」
と榊葉は周囲をみわたす。
「彼は、われらが
うつむいていた良司の肩が、ぴくっとふるえた。
「総司先輩は、二年前の緑風会会長。学校全体を巻き込んで、多くの改革をおこなった、まぎれもなくカリスマだった」
塔子と柊一を見て榊葉は説明した。
「品行方正、清廉潔白、頭脳明晰……。だまされているんじゃないかって思うくらい、絵に描いたような傑物だった」
良司はすこし目線をあげた。「うそじゃない」。
「……兄貴はそういうひとです。……いやになるくらい」
「そうだね」
榊葉が微笑む。
「最初きみに興味をもったのは、その
良司の目つきが変わる。口を開こうとして、榊葉に先を制された。「でもね」。
「それはあくまできっかけに過ぎなかった。坂本は、総司先輩とまったくちがっていたんだから。だけどちがうから、おれはいいと思ったんだよね」
「……は?」
「素直なんだよな」
榊葉はわらう。
「ストレートに物を言うし、すぐカッとなる。でも友達が多い。素直だからこそ、明るくて魅力的なんだ。坂本を慕って人が集まる。だからクラスでは中心人物だろ?」
塔子を見るので、こっくりとうなずいてみせる。
とたん、良司の頬が紅潮した。
「総司先輩はね、すこし近寄りがたいくらい、まぶしかった。でも坂本の明るさは、人が集まってくる明るさなんだ。おれは逆に尊敬するね。兄があんなに出来物なのに、よくひねくれずに、こんな屈託ない性格になったなって。劣等感に押しつぶされて、もっと暗い性格になったっておかしくないはずなのに」
「……」
「だから思ったんだよね。さては、よっぽど兄に可愛がられて育ったんじゃないか。愛されて育ったんじゃないかって。つまり――」
榊葉は眉をあげた。
「なんだかんだ、
「うるさい」
とたん良司が大声をあげる。
一拍置いて、弾けるようにみながわらった。微笑ましくて、塔子もついつい笑みをつくった。
彼の紅潮した頬、泳ぐ瞳がすべてを物語っていた。
まあまあ、と榊葉が静める。
「というわけで。そういう素直さ、明るさをおれは買っているし、だから執行部に勧誘したわけ。そして陸上だけじゃなく、執行部でも今後の活躍に期待している、というわけ。もちろん、審判としてもね」
――これが、おれから見た坂本。
彼は笑み、そうして話をしめくくった。
「さて、異論はあるかい?」
良司にふりむく。
当の彼は真っ赤になりながらも、あえて反論はしなかった。
わあっと拍手が起こる。
「おれ、こんなに上手に紹介できないけど」
「上手になんて望んでないよ。正直に紹介すればいいだけ」
肩をすくめる一樹に、榊葉が苦笑する。
座は、気安く親しげな空気に包まれた。
塔子はふしぎな気持ちで紅茶を口にふくんだ。ひとり紹介するだけで、全員がぐっと打ち解けた雰囲気になる。それはとても奇妙な感覚だった。
ダージリンの爽やかな香りが、口内にひろがる。
「これが他己紹介。――そしてね」
榊葉が身をのりだした。
「こうしてひとり紹介したあとに、篠崎さんにしてほしいことがあるんだよね」
こちらを向く。
ふいをつかれた塔子は飛び上がりそうになった。
「え……」
「これは獅子探しのゲームだ。他己紹介をするだけじゃ、獅子は見つからない。だから、質問をしてほしいんだ」
「質問?」
彼はうなずく。
「三つの質問をしてほしい」
彼は三本指を立てた。
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