7 夜の茶会(1)

 月がのぼる時刻だった。あたりは薄闇に包まれている。


 塔子は両手いっぱいにブランケットを抱え、緑の館を出た。

 目指すは十メートルほど先にある銀杏の木。取り落さないよう慎重に歩きだす。

 手に持ったこのブランケットは、館の倉庫から仁科にしな壮平そうへいが取り出してきたものだ。軽々とこちらに渡してくれたはいいが、顔が隠れるくらいうず高く積まれてしまい、歩くことさえままならない。


 よろよろと進めば、案の定その山が傾き、雪崩を起こしそうになる。

「あっ」

 落ちる、と思った瞬間、突如視界がひらけた。

 目の前に柊一がいる。

「まったく」

 あきれた顔つきで彼はこちらを見た。気付けばブランケットのほとんどを奪われている。塔子の手元には、二枚ほどしか残っていない。

 塔子はぽかんとした。助けてくれたのだ、と理解するまでにすこし時間が要った。

「あ、ありがとう」

 あわてて言えば、彼がまなざしをよこし、息をつく。そのまま歩き出すので、塔子も追いかけた。


 銀杏の木の下ではいま、執行部メンバーがいそしんでいた。生成りのラグを地面に敷いて、ランタンを枝に取りつける。保温ポットやバスケットを持ってきて、茶会の準備をする。なごやかな声が宵闇に響いている。



 ――そもそもこんな成り行きになったのは、榊葉の一声のせいだった。

 あのとき。館の全員が注視するなか、彼は唐突に提案したのだ。

『それではみなさん。銀杏の木の下で、夜のガーデンパーティーといこうじゃないか』

 ――特別な話には、特別な趣向を凝らすべきだからね。



 塔子は肩を落とした。

 つまり眼前の風景は、獅子でんとうのため――すなわち塔子のための舞台というわけなのだ。そう思えば、ますます気持ちが滅入ってくる。


「……大丈夫なのか」

 ふと柊一がつぶやいた。

「え?」 

「今からの話」

 塔子の内心を見透かすかのようなタイミングだ。彼はこちらを見やった。

「獅子探し、目途が立っているのか?」

 塔子はうっと詰まった。少し黙り、やっと声をあげる。

「……合っているかはわからないけれど……」

 にがい顔になる。

「でも、こうじゃないかなって、おもっていることはあって……」

「へえ」 

 柊一は意外そうにこちらを見た。

「じゃあ、問題ないのか」

「そんなことは……」

 しぜんと眉がさがる。


 問題ないどころか、山積みだ。


 だいたい、自分の考えを皆のまえで発表することすら、とても気がひけるのに。こんなに大げさなことになってしまって、本当に肩身が狭い。本音を言えば、一刻も早く逃げ帰ってしまいたいくらいだ。


 考えるとどんどん不安になってくる。ブランケットをぎゅっとだきしめてうつむいていると、ぽつりと声が降ってきた。

「そこまで思い詰めることないだろ」

「でも……」

「ただの茶会だ」

 険のない声音。

 顔をあげると、柊一は相変わらずの無表情だった。薄闇の景色のなか、ただきれいな横顔をこちらに晒している。

 塔子はまばたきをした。

 なぐさめてくれたのだろうか?

 ふと思ったけれど、柊一はそれ以上何も言わなかった。



「とーこさん」



 ふいに銀杏の木の方から声がした。見やれば、大きな脚立を持った良司が梢の下にいる。もう一度、とーこさん、と呼ばわる。

 一瞬、だれのことを呼んだのかわからなかった。塔子がきょとんと良司を見やれば、彼がこちらをじっと見て手まねきをする。自分のことだと理解し、塔子の心臓が大きくはねた。


「ランタンつるすの、手伝ってくれない?」

 良司がのんびりと声をかける。

「う、うん」


 返事をして隣を見れば、もう柊一の姿はなかった。とっくに先へ行っている。

 塔子も小走りに木の下へ向かった。地に敷かれたラグの上に、持ってきたブランケットを置き、良司のもとへ駆け寄る。

 待っていた彼はニッとわらった。


「ありがと。脚立支えてくれる?」

 うなずくと、彼は脚立にひょいとのぼった。塔子の身長よりもずっと高い、その天板に腰掛け、ランタンをつるす手ごろな枝を物色しはじめる。

「――信じられないよな」

 何事もないかのように、のんきに良司が話しかける。

「ランタンも、敷物も、ブランケットも、食器も……。ここにあるもの全部、館の持ち物なんだぜ? とんでもない学校だよな」

「…………うん」


 彼はまっすぐで頑丈そうな枝にあたりをつけた。枝先にランタンの取っ手部分を通す。電池式のランタンだ。ブロンズのフレームのせいか、ずいぶんとレトロな雰囲気がある。

 良司は片手でそれを押さえ、ポケットから太紐を取り出した。

 ランタンの取っ手部分と枝をぐるぐると結わえる。そうして固定するのだ。


「――いやだった?」

 作業しながら唐突に言われ、塔子は目を瞬いた。

「え?」

「下の名前で呼ばれるの、いやだった?」

 さりげない口調。

 どきん、と心臓が鳴った。

「う、ううん」

「ほんと?」

 みあげれば、彼の視線はまだ枝先にある。淡々と結わえつけている。

 見られてもいないのに、塔子は大きくうなずいた。


「……うん。いやじゃない、よ」


 ぱちり、と音がした。とたん、目に橙色の光が飛び込んでくる。塔子は反射的に目をつむった。同時に周りから「わあ」と歓声があがる。

 良司がランタンを点けたのだ。

 また目をひらいたときにはもう、彼はこちらを向いていた。明々とかがやくランタンを背にして、しなやかな体躯がシルエットをつくる。

「よかった」

 そうつぶやき、脚立から飛び降りてくる。

「坂本くん……?」

「じゃあ、もう遠慮しない」

 びっくりする塔子に、良司はニイッとわらった。

 不敵な笑みだった。


 枝にランタンをつるしていたほかのメンバーも、良司のあとを追いこぞって点灯したので、たちまち銀杏の木に光があふれた。

 大きな梢のなかに、橙の明かりがいくつも灯る。その光を青葉がやわらかく包むものだから、まるで木が星を抱いているようだった。


 塔子はただ呆然とその景色に見とれた。

 きれいだなぁ、と隣で良司が感嘆する。ふり向けば、すがすがしい彼の笑顔がある。しぜんと塔子の顔にも笑みが広がった。

 すべての景色が、なんだかとてもきらきらして見える。それがとてもふしぎだった。


「思った以上にいい雰囲気だねえ」

 榊葉が感心したように声をあげた。頭上を眺め、足元のしつらえを眺め、満足げに笑む。

「なあんだ。なにもしなくても、チームワーク抜群じゃないか」

 気づけば周囲にはもう全員集合していた。ランタンの明かりに、それぞれが楽しげに沸き立っている。柊一もそのひとりとして灯にじっと見入り、心なしかやわらかな表情を見せていた。


「もう座ってもいいの?」

 高橋一樹たかはしかずきがいそいそと靴を脱ぐ。

「腹減ったー」と壮平が。

「紅茶が冷めないうちに」。志津香も声をあげる。

 さえずりだした面々に、くすりと榊葉がわらった。


「はいはい、わかってるよ」

 そう言って彼はちらりとこちらを見た。ドキッとして固まる塔子に、気安く声をかける。

「三月ウサギならぬ、四月ウサギの庭園ってとこかな。ね、篠崎さん?」

「え?」

 にや、と笑む。




「――では、夜のガーデンパーティー、開幕としましょうか」




 榊葉はひときわ明るい声をだした。



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