第二十四話 バズる
悪夢にうなされた翌朝、なんとなく予想はできていたが、朝から優菜の機嫌がすこぶるいい。昨夜は恐怖のあまり夢の内容を、優菜に聞かれるままに答えてしまったが、それが完全に仇となった。
「おはようございます……ゆうちゃん」
ホントこの女、性格悪い……。
寝ぼけ眼でリビングにやってきた俺の顔を見やると、いつもの笑顔でそんなことを口にする。
「ゆうちゃん、今日の朝ごはんは何にしますか? 食パンですか? それともニャオチュールですか?」
と、嬉々として俺のことを煽ってきやがる。
俺は優菜を一度睨んでからため息を吐く。
「おう、じゃあこの際、ニャオチュールを食って、お前の彼氏の主食がキャットフードだって学校中に言いふらしてやるからな」
と、返すと優菜はクスクスと笑った。そして、俺のもとへと歩み寄ってくると「もう、冗談ですよ。そんなに怖い目で見ないでください」と、俺をギュッと抱きしめる。
「ボール投げてあげるんで、機嫌なおしてください。ね?」
「おう、てめえ一回表に出るかっ!!」
と、おふざけの過ぎる義妹兼恋人を嗜めるが、優菜は俺をぎゅっと抱きしめることでうやむやにする。
「だけど、先輩が悪夢だと思ってくれて、ちょっと嬉しかったです……」
「はあ?」
「そんな夢を見て先輩が顔色一つ変えなかったら、私、嫉妬してましたよ……」
「…………」
本当にずる賢い女だ。そう言われてしまうと俺も返事に困ってしまう。
優菜はしばらく俺にハグをしてから体を放すと、キッチンへと戻っていく。俺は頭を掻きながらテーブルに腰を下ろした。
しばらく優菜の後ろ姿を眺めてから、自分の掌を眺める。
よし、人間の手だな。
※ ※ ※
俺と優菜はいつものように家を出て、いつものように学校へとやってきた。少なくとも、このときの俺にとって、この日は何事もない平凡な一日だと思っていた。
が、教室へとたどり着いた俺は、そこでようやく教室の空気がいつもと違うことに気がついた。
教室に入った瞬間、生徒たちが一斉に俺の顔を見やる。
ん? なんだなんだ? もしかしてまた優菜との関係を長谷川に問いただされる日が来たのか? ここのところ誰も俺に関心を持たなかったので、気が緩んでいたが、やっぱりまだ俺への疑いは払しょくされていないのだろうか?
と、俺の不安をよそに教室の奥から長谷川がこちらへと歩いてくるので、俺は息を飲む。
「おう岩見っ」
「お、おう……」
この張り詰めた教室とは裏腹に、妙に笑顔の長谷川に危機感を抱きつつも返事をすると長谷川は俺の前で立ち止まった。
そして、
「おい、岩見っ!!」
と、そこで長谷川は突然、教室の床に膝をつくと、俺に向かって頭を下げ始めた。
「は、はあっ!? お、お前、何やってんだよっ!?」
「なあ岩見、これは一生のお願いだっ!!」
「一生のお願いっ!? 何の話だよ……」
「決まってんだろ。片岡紗々ちゃんと水川さんのサインをくれっ!!」
「は、はあっ!? 何の話だよ……」
そう言うと長谷川は顔を上げてポカンと口を開く。そして、不思議そうに首を傾げる。
「お前、SNSとか見ないのか?」
「まあ、あまり見るほうではないけど……」
と、そこで長谷川は立ち上がり、ポケットからスマホを取り出す。そして、某有名な写真投稿サイトを開くと俺にスマホを見せる。
「この写真、知らないのか?」
俺は写真を見やった。そして、事態を理解した。
「なっ!? あ、あの野郎……いや、野郎ではないけど……」
それは数日前に我が家に遊びに来た片岡紗々のアカウントだった。片岡紗々のアカウントに投稿された写真には彼女自身と、隣で少し照れながらカメラを見つめる可愛い義妹の姿が写っていた。
「これ、水川さんだよな?」
「そ、それは……」
俺は答えに困って画面から目を逸らす。が、そんな誤魔化しで長谷川が納得するはずはなく、俺の顔を覗き込む。どうでもいいけど野郎に顔を覗き込まれると、心の底から殺意が芽生えてくる。
「俺たちを舐めるなよ。この女の子が水川さんだってのは、目の肥えている俺たちには瞬時にわかるんだ。なあ、どうなんだよ」
ぎろりと長谷川が俺を睨む。
「し、知らねえよ……ってか、なんでそんなことを俺に聞くんだよ……」
そ、そうだ。そもそもそんなことを俺に聞く方がおかしい。事実が知りたければ優菜自身に聞けばいいじゃねえか。
が、長谷川はニヤリと微笑むと「ちっちっちっ」と人差し指を立てる。いちいち反応のうざい奴だな……。
「俺たちのネットワークを舐めてもらうと困るぜ? お前と水川さんが兄妹になったことは、この学校の男子生徒ならば周知の事実だ」
「なっ……」
少なくとも俺は一度もクラスの奴らに兄妹になったことを口外していない。まあ、言ってもよかったのだけど、今一つタイミングが掴めず今に至っていたのだ。
「いやぁおかしいなとは思っていたんだ。水川さんのようなお方が、お前ごとき凡夫に惚れるはずなどないってな。それで、信頼できる筋から情報を引っ張り出して、お前と水川さんが兄妹になったことを突き止めたんだ」
なるほど、どおりでここのところ優菜と一緒に登校しても、噂にもならなかったわけだ。つまりこの学校の男子の大多数にとっては、俺は水川と付き合えるような器ではないようで、そのことが逆に俺たちの関係を秘匿するのに一役買っているようだ。
ああ、よかった。地味な男子生徒で……。
あ、あれ、涙が止まらない……。
俺が目頭を押さえていると、長谷川は再びSNSを俺に見せる。
「お前、兄貴なのにこんなことも知らなかったのかよ。今、巷ではこの写真がきっかけで、この可愛い女の子がどこのなんていう子なのか、大騒ぎになってるんだぞ?」
「は、はあっ!?」
どうやら俺は水川の才能を甘く見ていたようだ。長谷川にいくつものSNSを見せられ、実際に水川についての詳細を片岡紗々に尋ねるコメントが無数に投稿されていることを知る。
「なあ、頼む。水川さんの兄貴なら、サインなんて朝飯前だろ? 最悪、水川さんのサインだけでもいいから一つ頼む」
そう言って再び長谷川は床に頭を擦りつけながら、俺に頼み込む。
どうやらこいつはプライドとやらは持ち合わせていないようだ……。
が、俺の答えは決まっている。
「いやだね。ってか、水川ぐらい、学校を適当に歩いてれば見つけられるだろ。そんなにサインが欲しけりゃ自分で頼め」
長谷川には申し訳ないが、俺は土下座する彼の横を素通りして自分の机へと歩いていく。
すると、
「おい、みんな聞いたか?」
と、背後から声が聞こえるので振り返る。すると、いつの間にか立ち上がっていた長谷川が笑みを浮かべている。
「お前ら友一お兄さんからの許可が下りたぞ」
「はあ? ってか、お前にお兄さんって言われる筋合いはねえっ!!」
長谷川は俺の言葉など耳に入っていないようで、右手を高らかに掲げる。
「友一お兄さんはたった今、自分でサインを貰えって言ったんだ。これはつまり友一お兄さんが水川さんにサインを求めてもいいと許可を出したのと同義だ」
「い、いや、俺はそう意味では……」
と、言いかけたが、そこで言葉を止める。
何故ならば、既に教室の男子の半数以上がいなくなっていたからだ。残された俺は呆然と立ち尽くす。
なんか、マズいことをしたような気がするぞ……。
俺は不安で仕方がなかった。
これから何か自分と優菜の身によからぬことが起こるのではないかと、心配で仕方がなかった。
「い、岩見くん……」
と、そこで誰かが俺の名を呼んだ。
振り返るとそこには一人の女子生徒が立っていた。女子生徒は何やらそわそわした様子で、俺の顔を見上げる。
「い、岩見くんから水川さんに一緒に写メ撮ってもらえないか、頼んでくれない?」
「はぁ……」
どうやら、俺の知らないうちに水川優菜は学園のアイドルという枠にはおさまらない存在になろうとしているようだ。
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