第三話 プライベートレッスン?

「先輩、先輩、体育の授業、見てました?」


 放課後、俺たちはいつものようにスーパーに寄って食材を買ってから、帰宅の途に就いた。俺がスマホを弄りながら、歩いていると水川は俺の制服の袖を引っ張ってそう尋ねる。


「体育? 何の話だよ」


「三時間目の体育の授業です。体育祭の女子のダンスの練習だったんです。あのコスチューム可愛いと思いませんでした?」


「悪い、授業の内容があまりにも面白くて、気づかなかったよ。悪かったな」


 もちろん、覚えていないわけがない。何せ、彼女は校舎内にいる全ての窓際席の男子が注目する中、俺に向かって体を使ってからかってきたのだから。が、それを素直に認めるのは敗北を認めるような気がした。


 俺がしらを切っていると、水川は不思議そうに首を傾げた。


「あれ? 先輩がこっちを見ていような気がしたんですが、見間違えだったんですかねえ……」


「きっとそうだよ。俺は授業に集中してた」


「そうだったんですか。てっきり見ているのが先輩だと思って、私、手を振ったんですが」


「いや、お前は俺にL・O・V・Eって――」


「なんで見てなかったのに知っているんですか?」


 例の意地悪スマイルで俺の顔を覗き込む水川。しまった、小学生でも引っかからないようなトラップに引っかかってしまった……。


「先輩の鼻の下伸びてましたよ?」


「いや、あんなことされたら男子は誰だって――」


「伸びてたんですか?」


 またもや引っかかった。


 動揺を誤魔化すように前髪をいじる姿を見て、水川は可笑しそうにクスクス笑う。


「もう、先輩ったら素直じゃないですねぇ……」


 そう言って水川が頬をつついてくる。


「先輩、私のダンスどうでしたか?」


「どうでしたって言われても、俺はダンスのことはよくわかんないし……」


「悪目立ちしてませんでしたか?」


 ああしてたよ。別の意味でな……。


「ま、まあ、特に気にならなかったから、大丈夫じゃないかな……」


 と、素直に感想を述べると、水川はほっと胸を撫で下ろした。俺の評価なんか聞いたところで何の参考にもならないような気はするが、少なくとも、俺は一年のダンスを見ていて水川の動きが特別、他の生徒に劣っているとは思わなかったのは事実だ。


「だけど、やっぱり個人的には不安なところも多いんですよね……。なんだか周りの動きについていけていない気がします……」


 まあ確かに水川が不安に思う気持ちもわからないではない。団体行動で、一人だけ動きについていけないというのは、変に目立ってなかなか恥ずかしい。特に女子となると、その心配も男子より大きいだろう。


「まあ、頑張って練習することだな」


「はい、いっぱい練習します」



※ ※ ※



 家に帰ってきた水川は荷物をリビングに置くと、さっきから手に持っていた手提げ袋をテーブルの上に置いた。その手提げ袋を、ぼーっと眺めていると彼女は袋から何かを取り出した。


 そして、取り出された物を見た、俺は目を見開く。


「おい、お前、何するつもりだ」


「何って、ダンスの練習ですけど……」


 水川が取り出したものはダンスの衣装だった。


「は? 今からやるのか?」


「練習しろって言ったのは先輩じゃないですか……」


 と、不思議そうに首を傾げる水川。


「まあ、練習するのは百歩譲ってわからなくもない……けど、わざわざユニフォームを着る必要はないだろ」


 そう言うと、水川は「ちっちっ!! 甘いですよ先輩」と人差し指を立てる。


「こういうのは雰囲気が大事なんです。可愛いユニフォームを着れば、私のやる気は三倍増しになります」


「全然、言ってることがわからないけど……」


「とにかく、私はこれを着て練習がしたいんです」


 と、何が何でもそのユニフォームを着て練習つもりらしい。俺が呆然と彼女を眺めていると、水川はワイシャツのボタンをはずし始めるので俺は慌てて、彼女の腕を掴んだ。


「おいおい、何やってんだよ」


 突然、着替えだす水川に思わず待ったをかける俺。


「ご、ごめんなさい。そうでしたよね……」


 俺の言葉に彼女はようやく、俺が目の前にいるという事実を理解したようで、ボタンから手を放すと、少し恥ずかしそうに頬を染めた。


「わかればいいんだよ」


「先輩は自分でボタンを外したい人でしたよね? はい、外してもいいですよ」


「いや、俺は目の前で着替えるなって言ってるんだよ」


「私たち兄妹なんだから別にいいじゃないですか。それとも先輩は妹の着替えで興奮するいけないお兄ちゃんなんですか?」


「都合のいいときだけ妹設定持ち出してくるんじゃねえよ。あと、お前は妹ってものを根本的に誤解してるからな」


 やっぱり油断も隙もねえ……。俺のツッコミに水川は少し不満げに唇を尖らせる。


「わかりましたよ……。じゃあ、先輩、あっち向いててください」


「いや、自分の部屋で着替えればいいだろ……」


 俺は水川に背中を向けると目を瞑る。万が一にでも何かに反射して、彼女の身体が見えないための配慮だ。


目を瞑ってしばらくしていると、がさがさと服の擦れる音が背後から聞こえはじめる。


 なんというか、想像力を触発する音だ。極力、意識をしないでおこうと自分に言い聞かせては見るものの、その服の擦れる音についつい変な想像をしてしまう。


 ぱたりとブラウスが床に落ちる音が聞こえて、今度はスカートのファスナーを下ろす音が聞こえて、思わず頬が火照る。


 ダメだ……音の刺激が強すぎる。


 またぱたりと今度はスカートが床に落ちたらしき音が聞こえる。


「先輩、もう大丈夫ですよ」


「嘘つけっ!! さっさとユニフォームに着替えろ」


「よく私が下着姿だってわかりましたね?」


「音がするから嫌でもわかるんだよ……」


「やっぱり下着姿だって気づいてたんだ……」


 と、水川が言うので耳たぶまで赤くなる。


 本当にこいつは隙あらば鎌をかけてきやがる……。


「いいから早く着替えろっ」


 俺がやや強い口調でそう言うと、水川は「わかりましたよ……」と不貞腐れたように返事をして着替えを再開する。


 またがそごそと彼女がユニフォームを身に着ける音が聞こえる。が、不意にその音が止まり「あぁ~」と水川の声がした。


「こんなところにニキビができてる……」


 いったいどこに出来てるんだ……。見えていないせいで変に想像力がかきたてられる。


「先輩」


「なんだよ……」


「どこにニキビができたか知りたいですか?」


「どうでもいいよっ!!」


「す、少しくらいは私の身体に興味持ってくださいよ……。私、何だか少し寂しいです……」


「お前は兄に何を求めてるんだよ……」


 ため息を吐いていると、再び、ガサゴソとユニフォームを着る音と、ファスナーを上げる音がして、音が止んだ。


「今度こそ、大丈夫です」


 どうやら、本当に着替え終わったようだ。


 振り返ると、そこにはチアリーダーのような色鮮やかなユニフォームを着た水川の姿があった。


 水川は少し恥ずかしそうにスカートの裾を掴むと、小首を傾げる。


「ど、どうですか? 似合ってますか?」


「ま、まあ、悪くはない……と思うぞ……」


 そりゃ似合うに決まっている。何せ身に着けているのは、先輩殺しの小悪魔美少女なのだ。鬼に金棒だよ。


 水川はそこで手首に巻いていたヘアバンドを口に咥えると、後ろ髪をまとめ始める。そして、ゴムを髪に通すと、体育の授業のときのようにポニーテール姿になった。


 いつもと違う水川の姿に俺は思わず、恥ずかしくて目を逸らしてしまう。


 再び、水川に視線を戻すと、彼女は両手にポンポンを掴んでいた。彼女は何やら楽しそうにポンポンを揺らすと、俺のもとへと歩み寄ってくる。


「先輩っ!! うりうりっ!!」


 そう言って水川はポンポンを俺の頬に押し付けてくる。


「やめろ」


「やめませんよーだっ。うりうりっ!!」


 と、完全に俺をからかうモードに入った水川が悪乗りを始める。クスクスと楽しそうに笑いながら俺に何度もポンポンを押し付けてくる。俺は逃げようと二、三歩後ずさりしようとした。


 が、その時だった。


 ツルッ!!


 と、靴下がフローリングに滑って俺は思わずバランスを崩した。そして、俺に半分体重を預けていた水川もまたバランスを崩し前のめりになる。


 俺はそのままドスンと床に尻もちを着いた。


 そして水川もまたそんな伸し掛かるように倒れてくるが、俺は慌てて彼女の両肩を掴んですんでのところで止めた。


「先輩、ごめんなさ――」


 俺と水川の顔の距離が数センチまで迫る。さすがにこれは水川も想定外だったようで頬を朱色に染めて目を見開いていた。


「ご、ごめんなさい。ちょっとはしゃぎ過ぎました……」


 小さくそう呟くと、恥ずかしそうに俺から顔を背けた。

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