第二話 L・O・V・E

「そうか……先輩はやっぱり年下の女の子が好きだったんですね……」


 最悪だ。心の底から死にたい……。こんな辱めを受けて俺は明日から水川と生活していく自信がない。


 やはり、水川は俺の小説を読んでいた。しかもプロローグから、今書いている最新の章までしっかり読破していやがった。彼女にだけは小説を書いていることを知られたくなかったのだが、逆に彼女が俺の唯一の読者になってしまった。


 なんで、寝落ちなんかするかな……俺……。


 しかも水川は俺の書いた小説に興味津々のようで、家を出てからずっとこの調子である。通学路には同じ制服を着た生徒で溢れているというのに、水川は俺の小説の話しかしない。


 まじで恥ずかしいからやめてくれ……。


「あのなあ、俺はあくまで小説を粛々と書いているだけで、作中の人物、団体名は全て架空のモノなんだ。俺は年下の女の子がいた方がストーリーがスムーズに進むと思ってだな……」


「じ…………」


 必死に弁明をする俺だが、水川は疑いのまなざしを俺に向ける。


「なんだよ……その目は……」


「先輩の目が私を騙そうとしています」


「そ、そんなことねえよ。俺はあくまで一作者としてだな――」


「へぇ……あくまで白を切るつもりですね……」


 水川はそう言って不敵な笑みを浮かべている。この顔は間違いなくよからぬことを考えている顔だ。俺が身構えていると、水川は不意ににっこりと柔和な笑みを浮かべる。


 そんな彼女を訝しげに眺めていると、水川は両手を目いっぱい広げる。


 そして、


「友一くん、お姉ちゃんにいっぱい甘えてもいいんだよっ。ほら、こっちにおいでっ」


「なっ……」


 何をしだすかと思うと、何やらわけのわからんことを言い出す水川。彼女の屈託のない笑みは年下とは思えないほどに母性に満ち溢れており、思わず彼女の胸に飛びたくなる。


 が、俺は心に宿るよからぬ感情を理性で必死に抑える。


 水川は不意に元の状態に戻ると、何かを見極めるようにじっと俺を見つめる。


「う~ん、なかなか隙を見せてくれないですね……」


「なんだよ、隙って……」


「こっちの話です……」


「そ、そうか……」


 水川はしばらく、俺の隙とやらを見極めていたが、今度は不意に俺のすぐそばへと歩み寄ってくる。


 そして、何やら唐突に俺の腕にしがみつくと、上目遣いで俺を見上げる。


「なっ……」


「お兄ちゃん……優菜はいけない女の子だよ。だって……だって、お兄ちゃんに恋しちゃったんだもん……」


 と、とびっきりの猫なで声でそんなことを言う水川。


 絶対お兄ちゃんって呼ばないって話はどこ行ったんだよっ。そうツッコミを入れたかったが、その目で見つめられると、何も言えない。どうでもいいが、こいつのこの演技力はいったいどこで身に着けたんだ……。


 水川はしばらく俺のことを上目遣いで見つめていたが、不意にまた元の顔に戻ると悩ましげに眉を潜める。


「何がしたいんだよ……」


「先輩が、年上好きなのか年下好きなのか試したんです」


「ほう……それはご苦労なことだな。で、わかったのか?」


「それがわからないから困っているんです……」


 と、水川は唇を尖らせた。どうやら俺の理性は勝利したようだ。


「どちらのときも鼻の下が伸びてたので、どっちの方がよかったかまではわかりませんでした」


 前言撤回、俺の鼻の下はしっかりと水川に反応していたらしい……。


 が、どちらかが良かったかと言われても、正直なところ俺にもわからない。


 なぜなら、


「まあ、水川は何をやっても水川は水川でしかないからな」


 結局、お姉さんのふりをしようと、妹のふりをしようと目の前の女の子が、学園一の美少女、水川優菜であることには変わりはないのだ。そりゃ何をされたって反応が一緒なのはしょうがない。


 そんなつもりで言ったのだが、水川は少し驚いたように「え?」と首を傾げた。


「俺、なんか変なこと言ったか?」


「え? い、いや、別にそんなことはないです……」


 と答えると彼女には珍しく頬を染めて歩き出した。


 なんか俺、変なこと言ったか?


 しばらく、俺と水川は黙ったまま高校へと歩いた。が、俺はふと背後に視線というか気配のようなものを感じて、後ろを振り返る。


 そして、


 な、なんじゃありゃ……。


 俺が振り返った瞬間、誰かが電柱の後ろに姿を隠した……ように思えた。


「先輩?」


 そんな俺を不思議そうに眺める水川。


「い、いや、なんでもない……」


 何かの見間違いか? 俺は首を捻りながらも再び歩き出す。


 と、思わせといてっ!!


 バッと俺は再び後ろを振り返った。すると、そこにはさっきまではいなかったスーツ姿の女性の姿があった。


「やばいっ、見られたっ!? 隠れなきゃっ!!」


 女性は露骨に慌てた様子で、近くの電信柱に身を隠す。


 なんじゃありゃ……。


 そのあまりにも怪しすぎる女性に俺は愕然とする。


「先輩? さっきから変ですよ?」


「水川、あれはなんだ?」


 そう言って俺は電柱を指さす。電柱に身を隠した女性は、バレていないとでも思っているのか、わずかに顔を覗かせながらこちらに視線を送っている。というよりも、水川を見ている。


「なんか、お前、すげえ見られてるぞ?」


 そう尋ねると水川は首を傾げつつも電柱を見やる。そして「あぁ……」と何かを納得したように頷くと歩き出す。


「あの人は放っておいても大丈夫です」


「いや、あきらかに怪しいけど……知り合いか何かなのか?」


「知り合いといえば知り合いですが、放っておいても大丈夫な人なので」


 と、わけのわからない説明をする水川。


「なんか、やばい人の香りがぷんぷんするんだけど」


「まあ、やばい人でありますけど……大丈夫ですから」


「本当かよ……」


 俺が、納得できないまま電柱を眺めていると、水川が俺に歩み寄ってくる。水川は俺の耳に口を近づける。


「もしかして、嫉妬してくれているんですか?」


「いや、何をどう嫉妬するんだよ。ってか、あの人、女だろ……」


 そう答えると水川は「それは甘いですね」と悪戯な笑みを浮かべる。


「女の子だって女の子のことを好きになることだって、あるんですよ」


「なっ……」


 つまりあれか? あのライトノベルやゲームの世界でしかお目にかかったことのない、百合というやつなのか?


 水川の恐るべき真実に俺が愕然としていると彼女はクスクスと笑った。


「もう、冗談ですよ。だけど、本当にあの人は放っておいても大丈夫なんで、行きましょ?」


 そう言うと、彼女は俺を置いて学校へと歩き出した。



※ ※ ※



 結局、俺たちを尾行していた女が何者かは最後までわからなかった。そのあとも、しばらく女は俺たちの尾行をしていたが、さすがに高校の中までついてこられなかったようで、俺たちが校門をくぐるのを見届けたところで、俺たちとは逆方向へと歩いていった。


 三時限目の授業中。


 俺はすっかり今朝の尾行女のことなど忘れて、退屈な授業にぼーっと窓の外を眺めていた。校庭では、ビニール紐で作った手作りポンポンを持った女子たちが、ラジカセから流れる曲に合わせて踊っているのが見える。


 どうやら一週間後の体育祭で披露するダンスの練習をしているようだ。彼女たちは本番で着るのであろうチアダンスのカラフルな衣装を身にまとって練習に興じている。


 しばらく、ぼーっと女子のダンスを眺めてから、再び教室へと視線を戻す。すると、なんだか教室の様子がおかしいことに気づいた。


 いや、日本史の授業はつつがなく行われている。のだが、なんだか窓際に座る男子生徒に落ち着きがないのだ。一番後ろの席に座っているからわかるのだが、窓側の男子たちはみんな授業そっちのけで、校庭に夢中なのだ。


「おい、水川さんはどれだよ……」


「はあ? そんなこともわからねえのかよ。一番手前の左端だよ」


「ホントだ。チアの衣装の水川さんとかどんなご褒美だよ……」


 と、ひそひそ話が聞こえてくる。


 なるほど……。


 俺は再び校庭へと視線を戻す。どうやら体育の授業を受けているのは一年の女子のようだ。確かに、手前の一番左には水川らしき女子の姿が見える。チアの衣装を身にまとった水川は髪を後ろで纏めて、ポニーテールにしており、彼女の激しい動きに合わせてテールが揺れるのが見える。


 と、そこで音楽が止まった。女子たちはダルそうに方々に散らばっていく。どうやら、休憩時間らしい。ここのところ日差しも強く、気温も高いため、教員は生徒たちの体調に細心の注意を払っているようだ。女子たちは校庭の端の木陰に座り込んでタオルで汗を拭っている。


 ん?


 と、そこで俺は気がつく。水川が校庭のど真ん中で、校舎を見上げていることに。


 なんか、顔がこっちを向いているような気がするんだけど……。


 俺はなんだか嫌な予感がしつつも彼女のことを眺めていると、彼女はポンポンを持った腕を上下左右に動かしている。そして、最後に大きくジャンプをして、足をくの字に曲げた。


 そんな動作を何度も繰り返す水川。


 なんだかよくわからんが、明らかにその動きは俺に何かを伝えようとしている。そして、彼女が同じ動きを三回繰り返したときに俺は彼女のメッセージを理解した。


 L・O・V・Eっ!?


 彼女の動きは明らかに俺にそれを伝えていた。


 俺はメッセージを理解した瞬間に、恥ずかしくなり慌てて教室内に視線を戻す。


 こいつのからかいには休憩という概念は存在しないらしい。


「おいおい、水川さんが俺にLOVEって言ってるっ!?」


「バカっ!! 何言ってんだよ。俺に言ってんだよっ!!」


 と、前の席の男子は小声で言い合いを始める。明らかに水川は俺をからかっているのだが、そのことを他の生徒に悟られないよう、必死に黒板の文字をノートに写した。

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