第二部 小悪魔美少女を世間は放っておかない

第一話 スクランブルエッグ

『課長、対象がただいま自宅近くの公園を通過しました。予想通り例の同棲相手と一緒のようです。まもなく課長の車の前を通過するものと思われます』


 閑静な住宅街の一角に停車した黒塗りの車。その運転席に腰掛けた女は、部下からの電話に「わかったわ。こちらも準備するから」と小さく答えて通話終了をタップする。どうやら目的の人物は間もなくやってくるようだ。


 それにしても変な虫が付いたものだ。


 女は助手席に置かれた、ハンドバッグから双眼鏡を取り出しながら考える。


 水川優菜みながわゆうなは間違いなく、芸能界に嵐を巻き起こす逸材。そんな彼女をものにするために彼女、廣神月菜ひろかみつきなはもう半年にもわたって彼女に接触を試みている。その均整の取れた顔に、艶やかな髪、そして、大きすぎず、かといって小さくもないバスト。彼女は男の求める全てを持っている女の子だと月菜は考えている。


 これまで十年近く、芸能界という大海原に才能を送り込んできた彼女だったが、これほどの逸材は初めてだった。


 何が何でも彼女に陽の光を当てなければならない。


 が、そんな水川優菜には、ここのところ放っておくわけにはいかない虫が付いている。


 と、そこで彼女の覗き込んだ双眼鏡に、二つの人影が姿を現した。


 一方は水川優菜。


「うん、今日も可愛いわね……」


 そして、その隣には……。


 その隣にはとてもじゃないが、彼女とつり合いが取れるとは思えない地味な高校生。部下たちの報告によると、この地味な高校生が彼女の周りに付きまとっているようである。


 まあ、それはまだいい。


 看過できないのは、水川優菜はここのところずっと、この地味な高校生の家に入り浸っているという事実だ。月菜の受けた報告によると、彼女は一人っ子らしく、少なくとも兄などいなかったはずだ。兄でもない男の家に入り浸っているということはつまり……。


 彼女たちは同棲をしている。


 さすがにこれから芸能界のトップに立つかもしれない逸材が、こんな何のとりえもなさそうな地味な高校生と同棲をしているという事実は、彼女には許すことができなかった。


 が、彼女には男の存在を危惧する反面、楽観視しているところもあった。


 ――あんな高校生を払いのけることぐらい、私、廣神月菜には朝飯前ね。


 双眼鏡の先では、水川優菜が愛らしい笑みを浮かべながら、隣の男と談笑をしていた。



※ ※ ※



 両親がシンガポールに旅立って二週間が過ぎた。つまり、それは俺と水川の二人暮らしが始まって二週間がたつことを意味する。まあ、実際にはもう少し前から、彼女は俺の家に入り浸っていたわけだけど、いざ、二人暮らしを始めてみると、やっぱり学園一の美少女が当たり前のように家にいるという事実に、時折、違和感を覚えることもある。


 が、今のところ、二人での生活は順調だ。


 とある平日の夜、俺はいつものように水川と二人、ソファで並んで座って、彼女の好きなバラエティ番組を視聴していた。からからと十年物の扇風機が、わずかに俺たちに生ぬるい風を送り続けている。


 番組が終わり、そろそろ自室に戻ろうかとリモコンのスイッチを押した俺だったが、ふと、左肩の重みに気がつく。水川を見やると、彼女は俺の身体をもたげたまま静かに寝息を立てていた。


 どうやら、テレビを観ている途中で、睡魔に負けたらしい。


 週に一度のお楽しみじゃなかったのかよ……。


 見ていた番組は彼女の見るバラエティ番組でも、彼女一押しの番組らしく、毎週、十分前にはソファに腰掛けて、今か今かと番組が始まるのを待っているのだ。


「おい、水川、こんなところで寝たら風邪ひくぞ」


 そう言って、俺は彼女の身体を揺する。が、彼女はむにゃむにゃと口を動かすだけで、目を開けようとはしない。こうなったら彼女はなかなか目を覚まさない。俺はなんどか彼女の肩を揺すったが、やはり、彼女は目を覚まさず、俺は諦めて立ち上がる。


「あとで文句言うなよ……」


 聞こえてないのは百も承知だが、一応、そう断りを入れると、彼女の首と膝の裏にそれぞれの腕を入れるて、軽い彼女の身体をひょいと抱き上げる。


 彼女を自室まで運ぶのだ。


 俺は足元に気をつけながらも、彼女の部屋へと歩いていく。


 それにしても……。


 寝顔まで非の打ちどころがない……。毎日のように彼女と顔を合わせているにもかかわらず、俺は時々、彼女の美しさに思わずドキッとしてしまうことがある。気持ちよさそうに眠る水川の寝顔に思わず見惚れてしまう。


「私の顔に何かついていますか?」


「うわぁっ!?」


 と、その時、彼女が唐突に口を開いたので、俺は本気で心臓が口から飛び出しそうなほどに驚いた。俺が目を剥くと、水川は少し眩しそうに右目だけをわずかに開けると、例の意地悪な笑みを浮かべた。


 その瞬間、俺はまたしても彼女にしてやられたことに気がついた。


「俺を騙したな」


「騙した? 私は、たまたま今目を覚ましたんです。そしたら先輩が、何だか鼻の下を伸ばしながら私のことを見つめていたので、尋ねただけです」


 本当に油断も隙もない女だ。


「私の顔なんか見ても面白くもないと思いますが、先輩がどうしても見たいって言うなら、もっと近くで見てもいいですよ?」


 俺は思わず頬を赤らめて彼女から目を逸らす。


「ってか、目を覚ましたんだったら、自分で部屋に戻れよ」


 目を逸らしたままそう言うと、水川はわざとらしく寝息を立て始める。どうやら、俺に自分の足で移動をするという発想は彼女にはないらしい。俺は仕方がないので彼女をベッドへと運んだ。


 こんな軽い女の子を少し運んだだけなのに、やや息が荒れるあたり運動不足がシャレになってない。俺はなんとか彼女をベッドの上に乗せると、掛け布団を掛けてやる。


 もはや介護だな……。


「今日はちょっと先輩に甘えてみました……」


 水川はベッドの上で冬眠するリスみたいに小さく丸まると、俺を見上げる。そして、何やら目をとろんとさせると俺のことをじっと見つめる。


「先輩は、私に甘えられると迷惑ですか?」


「いや、べ、別にそんなことはないけど……」


 普段の身の回りの世話をしてもらっている手前、この程度のことで文句を言うわけにもいかない。と、そこで水川は不意に布団から細い腕を出すと、俺の腕を掴んで、自分の方へと引き寄せる。その不意打ちに俺は思わず、バランスを崩して前のめりになる。慌てて、空いていた手を伸ばしてベッドに手を付いたが、俺と水川の顔が間近に接近する。


「先輩……」


 水川は相変わらず目をとろんとさせたまま、俺をじっと見つめる。


「な、なんだよ……」


 俺は頬を赤らめると、彼女から目を逸らす。


 しばらく水川はじっと俺のことを見つめていた。


 が、不意に笑みを浮かべると囁くように言った。


「冷蔵庫に夕方作ったプリンが入ってますよ。本当は二人で食べようと思っていたんですが、今日は眠いので一人で食べてください」


 そう答えると水川は俺から手を放して瞳を閉じた。


 本当にあの女は普通に会話ができないのか……。


 すっかり水川に掌で転がされた俺は、ため息を吐いてからリビングへ戻り、冷蔵庫を開ける。すると、そこには彼女の言うようにカップに入ったプリンが二つ並べて置いてあった。俺は心の中で彼女にお礼を言うと、そのうち一つを取り出してテーブルへと腰を下ろす。


 さて、やるか……。


 俺はテーブルの上に置かれたノートパソコンを引き寄せる。電源ボタンを押すと、デスクトップの文書作成ソフトを開いた。ソフトが立ち上がるのを待つ間に、俺はプリンをすくって口へと運ぶ。


「うまっ!?」


 あまりの美味さに思わず声が漏れてしまった……。俺が水川の料理のセンスに感嘆していると、いつの間にかソフトが立ち上がっていた。


 俺は一度、水川の部屋に顔を向けて、彼女の姿がないことを確認するとキーボードへと手を置いた。



※ ※ ※



 目を開くと、カーテンの隙間から日が差し込むのが見えた。


 朝?


 顔を上げると見慣れたリビングの景色がぼんやりと視界に現れた。


 どうやらテーブルに座ったまま寝落ちをしてしまっていたようだ。


 ん?


 と、そこで俺は自分の肩にタオルケットがかぶせられていることに気がつく。あたりを見渡すと、制服の上のエプロンを付けた水川が、キッチンで何かをフライパンで炒めているのが見えた。と、そこで俺の気配に気づいたのか、彼女がこちらを振り返る。


「目、覚めましたか?」


 どうやらタオルケットを掛けてくれたのは水川のようだ。まあ、二人暮らしなんだから、彼女以外ありえないのだが。


「もうすぐ、朝ごはんができるので、そこでそのまま座って待っててください」


「ああ、悪い……」


 俺は寝ぼけ眼を擦りながら、ふと、目の前のノートパソコンを見やった。画面には昨晩の俺が寝落ちする直前まで入力をしていた文書作成ソフトが表示されている。


 やばっ!?


 俺は慌ててノートパソコンをぱたんと閉じた。ノートパソコンには決して水川には見せられない文章が表示されていたからだ。


 もしかして、見られたか?


 俺は水川を見やった。彼女はキッチンでスクランブルエッグを皿に移しているところだった。


 そこで水川は俺の視線に気がつき「どうかしましたか?」と尋ねる。


「い、いや、なんでもない……」


 俺が慌ててそう答えると水川は不思議そうにしばらく首を傾げていたが、皿を二つ手に取るとテーブルの方へと歩いてくる。彼女は俺の椅子の前と、隣の椅子の前に一つずつ皿を置くと、そのまま隣の席に腰を下ろした。


 どうやら見られていないようだ。俺は一安心して皿に目を落した。


 そして、俺の心臓は凍りついた。


 皿の上には食パンと、その上にスクランブルエッグが乗せられている。そして、その隣にはレタスとポテトサラダ、さらには炒めたソーセージが一本乗っている。


 全く一緒だった。


 昨晩、俺が執筆していた小説に出てきた朝食と全く同じものが皿に乗っていた。


「龍二くん、あ~んしてあげようか?」


「ああああああああああっ!!」


 しっかり読まれていた。俺がひそかに執筆していた小説はしっかりと水川に読まれていた。

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