第七話 小悪魔美少女と絶体絶命かくれんぼ

 数日後の日曜日、俺と水川の姿は自宅近くにある外資系の大手家具屋にあった。


「なんだか新婚ほやほやの夫婦みたいですね」


 北欧産の家具の並ぶ巨大な店内で、大きなショッピングカートを押す俺を見て水川がジャブを打ってくる。


 水川が俺を落してみせると宣言した日から、水川は本気になったようで、こうやって隙あらば、俺の心をかき乱してくる。


「そうか? 俺にはあくまで兄妹にしか見えないけどな」


 俺は俺で彼女のそんなジャブにいちいち反応するような真似はしない。俺は『こんなに可愛い女の子が俺を好きになることはない』と頭の中で念じ続けて平常心を保つ。あくまでこれは彼女が俺を試すための罠なのだ。


 何せ彼女は先輩殺しの小悪魔美少女なのだから。


「じゃあ、これならどうですか?」


 が、彼女もまた負けてはいない。水川は俺の腕にしがみつくと、悪戯な笑みを浮かべながら俺のことを見上げる。


「まあ、凄く仲のいい兄妹といったところかな?」


 そう答えると水川はツンと唇を尖らせる。


「先輩って意外と意地悪なんですね」


「俺はあくまで健全な兄妹関係を築きたいだけだ」


「へぇ……先輩は妹想いの優しいお兄ちゃんなんですね」


「そう思ってくれると兄として嬉しいよ」


「じゃあ、昨晩、私を抱き枕にして眠っていたのも健全な兄妹関係を築くための一環なんですか?」


「おい、ちょっと待て、そんな話は知らないぞっ!?」


 思わず動揺の色が顔に出てしまった。それを見た水川は俺の腕にしがみついたまま満足げに笑みを浮かべた。


「あれ? 気づいていなかったんですか? 先輩ったらあんなに強く抱きしめるもんだから、私、窒息するかと思いましたよ」


「なっ……」


「先輩って意外と夜は強引なんですね」


「その語弊のある言い方はやめろ」


 俺はどうやらとんでもない失態を犯してしまったらしい。


 実はここ数日間、水川は俺の家に泊まっている。これは父親と、水川の母親がともに深夜まで残業しており、水川を心配した母親が俺の家に泊まるよう彼女に言いつけているのが原因だ。その結果、水川がいつもの調子で一緒に眠ろうと言うものだから狭いベッドを共有して眠っている。


 水川は彼女に完全敗北を喫した俺を満足げにしばらく眺めていたが、不意に「あ、あそこのベッド可愛いです」と俺の腕を引いて歩き出す。


「な、なあ、さっきの話は本当なのか?」


「さっきの話ってなんですか?」


「決まってんだろ。俺がなんていうかその……お前を抱き枕にして眠ったって話だよ……」


「私、そんなこと言いましたっけ?」


 水川は足を止めると、平然とした顔で首を傾げるので、俺は彼女に二重に完全敗北を喫したことにようやく気づく。


「先輩はずっと私の隣でぐっすり眠っていましたよ」


 女って怖いわ……。


 こんな風に数多くの男子生徒が彼女に勘違いをして英霊になったことを改めて思い知らされる。


「そんなことよりも先輩、このベッドはどう思いますか?」


 そう言うと水川はモデルルームに置かれたベッドを指さす。


 それを見て俺は目を見開く。


 そのベッドは上部から天蓋カーテンの付いたいわゆるお姫様ベッドというやつで、素直に認めたくはなかったが、水川のイメージにぴったりの、いかにも女の子という感じのベッドだった。


 今まで母親以外の女家族のいなかった俺にとって、そのベッドが自宅にあるのはかなり違和感があった。


 女の兄妹がいるというのはどうやらこういうことらしい。


 が、俺が驚いたのはそのデザインではない。


 驚いたのはそのサイズだ。


 そのベッドはダブルサイズだった。俺には小柄な水川の身体にここまで大きなサイズのベッドが必要な理由が全く思いつかない。まるで、隣で誰かが眠ることを前提としているサイズだ。


 俺が言葉を失っていると、水川はクスッと笑う。


「心配しないでください。実際に購入するときはシングルサイズにします」


「え? あ、そ、そうだよな……」


 また水川の罠だと思い、危うく自爆するところだった。


「それともダブルベッドの方がよかったですか?」


「いや、俺は圧倒的にシングルベッドを支持する」


「そうですか……ならばシングルにします……」


「なんで、そこで残念そうな顔をするんだよ……」


「先輩はどうしてだと思いますか?」


「さあな。これっぽっちも想像がつかない」


 本当に油断も隙もない……。


 俺は入念にベッドの品定めをする水川をよそ眼に、あたりを見渡す。


 さすがは土日ということもあり、あたりは家族連れやカップルで賑わっている。これだけの人がいれば、一人や二人知り合いがいたとしても不思議ではない。


 と、そんなことを考えていた時だった。


「ん? ちょっと待て、あれって……」


 俺は見覚えのある顔を見つけてしまった。


 長谷川だ。数日前に俺と水川の会話の内容を詰問してきた水川優菜ファンの一人。その長谷川が家族と会話をしながらこちらへと歩いてくるではないか……。


 俺は慌てて、後ろを振り返ると水川はすでにベッドの品定めを終えており、モデルルームの奥にあるクローゼットを眺めている。俺は慌てて彼女のもとへと駆け寄る。


「おい、水川。ここはマズい。早く移動しよう」


「え? ちょっと待ってください。私、もう少し見たいです」


「わかった。後でたっぷり見させてやるから、一先ず今は移動しよう」


 焦る俺を水川は不思議そうに眺める。が、水川は不意にあたりを見渡し、長谷川の存在を見つけて笑みを浮かべる。


「見られたくないんですか?」


「ああ、今はまだ他の奴らに兄妹になったって言うわけにはいかないからな」


「ならば、付き合っていることにしておけばいいじゃないですか」


「お前は知らないかもしれないが、学校にはお前に恋人がいることを快く思わない奴らがいっぱいいるんだ。無用に敵を作るのは得策ではない」


「なんだかよくわからないですが、先輩がそうしたいのならば私は構いませんよ。ですが、どうやって移動するんですか?」


「え?」


 俺は後ろを振り返る。


「なっ……」


 いつの間にか長谷川はモデルルームの入り口付近へとたどり着いていた。幸いなことに入り口横のフィギュアケースに目を取られて、こちらの存在には気がついていないが、こいつが入り口に突っ立っている以上、俺たちはモデルルームから出ることはできそうにない。


 マズい……。


 顔から血の気が引いていくのが分かった。もしも長谷川に俺と水川が二人で大手家具店を歩いているのなんて見られたら、その噂は瞬く間に学校に広がるに違いない。


 学校で少し会話をしただけで厳しく詰問されたのだ。学外で、それも家具店なんかで一緒にいるところなんて見られたら、とんでもない誤解を招くのは必至だ。


 俺はあたりを見渡した。ここは何が何でも身を隠さなければならない。が、そう簡単に二人の大人が身を隠すスペースなど見つかるはずはなく、俺の焦りは募るばかりだ。


 後で考えてみればやり方など、いくらでもあった。


 が、この時は切羽詰まっていたのだ。


「おい、水川」


「なんですか? って、きゃっ!?」


 俺は水川の腕を掴んだ。そして、クローゼットの折戸を開けると、その中に入り、そのまま彼女の身体も引き込む。そして、素早く折戸を閉めた。


「ちょ、ちょっと先輩っ!?」


 折戸の隙間から差し込む光で、水川が彼女らしからぬ動揺した顔で俺を見つめているのが見えた。


「頼む。少しだけでいいから、ここでこうしていてくれ」


 そう言うと水川は黙って小さく頷いた。


 俺は折戸のわずかな隙間から外を覗くと、長谷川一家がモデルルームに入ってくるのが見えた。


「なんだか少しドキドキしますね」


 水川は耳元でそう囁くと、俺の袖をぎゅっと掴む。


「少しだけの辛抱だ。悪いが我慢してくれ」


「だけど、わざわざ二人して隠れる必要はなかったんじゃないですか?」


 彼女の言葉に俺はハッとする。


 今になってみれば確かにそうだ。


別に二人で入らなくても彼女だけをクローゼットに押し込んで、俺がその前に立っていれば長谷川と鉢合わせても、なんなくやり過ごすことができたのだ。いや、むしろそちらの方がよかった。二人して隠れてしまったことによって、長谷川がこのクローゼットの扉を開くという最悪のリスクを負うことになってしまったのだから。


「先輩って意外とおバカさんですね。だけど、そういうところは嫌いじゃないですよ」


 耳元で囁いて、クスクスと笑う水川。


 俺は顔が赤くなるのを感じつつも長谷川の行動を観察する。モデルルームへと入ってきた長谷川は、わざとじゃないかと思うほどに一直線にクローゼットへと歩いてくる。クローゼットの前に立つ長谷川は興味津々にクローゼットを眺めている。


 終わったかもしれない……。


 結果的に俺は最悪の状況を招いたかもしれないと、自分の大胆すぎる行動を猛省する。


 クローゼットの中に水川といる姿なんて見られてしまったら、誤解どころの騒ぎではない。最悪の場合はクローゼットの中でとんでもないことをしていたと、学校中に流布される可能性だってある。


 俺は無宗教にもかかわらず、神様に必死で念じ続ける。


 が、そんな俺の願いもむなしく、長谷川がクローゼットの扉へと手を掛ける。


 終わった。


「あ、あれ? 立てつけ悪すぎじゃね?」


 外からそんな間抜けな長谷川の声が聞こえた。


 クローゼットの扉は一向に開かない。


 当然だ。俺が内側から抑えているのだから。


 長谷川が必死に折戸を開こうとするが、俺はそれを必死に抑えるという攻防がしばらく続いた。


 が、その直後。


「隆文、先に食堂に行ってるぞ」


 という長谷川を名前で呼ぶ中年男性の声が聞こえ、長谷川が折戸から手を放した。


「待ってよ。俺も今行くから」


 長谷川はそう言ってクローゼットから手を放すとクローゼットに背を向け、父親らしき男性のもとへと歩いて行った。


 助かった……。


 俺はふぅ……と胸を撫で下ろすと、長谷川の姿が見えなくなったのを確認して、折戸を開いた。


「悪かったな。もう大丈夫だから」


 そう言って水川を見下ろすと、彼女は少しだけ頬を紅潮させて「本当に先輩って臆病なのか大胆なのかわからない方ですね」と小さく呟いて俺から目線を逸らした。



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