第二十三話 悪夢……その2

 大変な事態が起こった。俺と優菜の生活を俺が邪魔している。って書いても何のことかわからないけど、とにかく、俺の前に俺じゃない俺が現れて優菜とイチャイチャしてやがる。俺はそのことを優菜に必死に伝えようとしているのだが、俺は猫語しか話せないので、優菜はちっとも気づいてはくれない。


 それから俺はしばらくキッチンで夕食を作る優菜の足元でミーミーと鳴いて、彼女に訴え続けたが、さすがに料理に支障が出たのか、俺を持ち上げるとキッチンから出して、キッチンの入り口を猫用バリケードで塞がれてしまった。それでも、俺はバリケードを乗り越えようとしばらくもがいていたが、不意に小さな体を誰かに持ち上げられた。


「ほら、ゆうちゃん、優菜ちゃんを困らせちゃダメだよ。お兄さんと一緒にこっちで遊ぼうね」


 と、偽俺は強制的に俺をリビングへと運び出した。


 なんだ、俺は客観的に自分を見るのが初めてだからよくわからんが、傍から見た俺はこんなにも臭くて気持ち悪い男なのか? 妙に心配になりながら偽俺に抱きかかえられながらリビングに降り立つと、偽俺はビニールボールを手に取ると、それを部屋の端へと転がす。


 俺はすかさずボールの方へと駆けていく。


 ああ、悔しい。悔しいけど、動くものを見ると体が勝手に反応してしまう。俺は泣きそうになりながらボールを取りに行く。


 それからしばらく俺は偽俺とボール遊びを続けていたが、カレーのいい匂いが鼻をくすぐりはじめたところで、エプロン姿の優菜が皿を二つ持ってリビングへと戻ってきた。


 美味そうだ……。


 気がつくと、俺はテーブルの上に登ってカレーを見下ろす。カレーの上には大きなハンバーグが乗っており、思わず涎がしたたり落ちそうになる。が、俺がカレーに口を近づけようとしたところで、優菜が俺の顔を通せんぼするように手を出す。


「もう……ゆうちゃんはこっちでしょ」


 そう言って優菜は買い物袋からニャオチュールを取り出して、封を切った。そして、俺の顔の前に出すので俺はかぶりつく。


 う、美味い……。


 止まらない。俺の身体がニャオチュールを求めて、舌が止まらない。


 悔しい。俺は本当は優菜の作ったカレーが食べたいはずなのに、味覚が猫になっている俺には手作りカレーなんかよりもニャオチュールの方が美味いと思ってしまっている。


 それがどうしようもなく悔しかった。


 そうこうしている間にも、偽俺は優菜のカレーに舌鼓を打ってやがる。


「いや~優菜の料理は本当に最高だなぁ~。こんな女の子をお嫁さんにする男は幸せに違いない」


 うるせえ。ぶち殺すぞっ!!


 が、優菜はそんな偽俺の言葉にクスッと笑う。


「もう、先輩ったら褒めても何も出ませんよ……」


 ムカつく。なんで、こんな臭いセリフしか吐かない男のことなんか……。


 が、猫の俺には何も伝える手段は持ち合わせてはいない。ただ「ミーミー」とむなしく泣いてみるが優菜は偽俺に夢中なようだ。ちっとも聞いてやくれない……。


 それにしても、こいつ偽俺のこと相当惚れてるな……。


 何故か猫の姿になっているせいで、俺は優菜をいつもよりも客観的に見ることができた。よくよく考えてみれば、このおかしな猫になった俺と、俺に似ても似つかない偽俺はともかく、優菜はいつも通りの優菜だった。彼女はいつも俺に接するように、偽俺に接している。


 優菜の瞳孔はキラキラと輝いていて、偽俺の一挙手一投足にいちいち反応して可愛いしぐさを見せている。もしも、俺が人間だったころにも彼女がこんな風にいつも反応してくれえていたとしたら……。


 猫なのに胸がぎゅっと苦しくなった。


 そこで俺は初めて気がついた。


 自分が嫉妬をしているということに……。優菜が別の男、いや俺なんだけど、別の俺の言葉に笑ったり、顔を赤らめたりするのを見ていると胸が苦しくなる。


 こんなの初めてだ……。


 猫になってからそんなことに気がついてももう遅いんだけどな……。


「ねえ、先輩、一緒にテレビでも見ましょ?」


 気がつくと二人はすでにカレーを食べ終えていた。優菜は立ち上がると、偽俺の腕を掴んでソファへと引っ張る。偽俺はやれやれと言わんばかりの、ぶん殴りたくなるほどの余裕の表情でソファへと引っ張られていく。


 優菜は偽俺をソファに座らせると、自分も隣に腰を下ろして、偽俺の腕にしがみつく。


 しがみつかれた偽俺はというとこれまた余裕の表情で優菜の頭を撫でやがる。ホントその余裕な顔面を引っ掻いてやりたい。偽俺は優菜の顔を覗き込むように見やると、ゆっくりと唇を優菜に近づけていく。


 あんな奴に優菜とキスなんてっ!!


 俺は助走をつけて偽俺に向かって飛びつこうとした。が、その直前に偽俺が腕を振り俺の腹にクリティカルヒットする。俺はそのまま部屋の端まで吹き飛ばされた。が、すぐに体制を整えるとソファのもとへと駆け戻り、優菜の名を呼ぶ。


 が、


「ミーミーッ!!」


「ミーミーミーッ!!」


 どんなに優菜の名を呼ぼうとしても、俺には人間の言葉は話せない。


 頼む聞こえてくれ優菜。その男は俺みたいだけど、俺じゃない。優菜が見つめるべき相手はそのくせえ男じゃねえんだよっ!!


「ミーミーッ!!」


 が、俺の声は優菜には届かない。何故ならば俺は猫だから。猫の言葉は人間には伝わらない。それでも俺は諦めない。


「ミーミーッ!!」


 そうこうしている間にも、偽俺と優菜はゆっくりと接近していく。俺はスローモーションの映像を見せられているように。


 ダメだっ!! 優菜は俺のものだっ!!


 頼む、届いてくれっ!!



※ ※ ※



「ゆうなああああああっ!!」


 やったっ!! ようやく人間の声がっ!!


 と、歓喜した直後、視界が真っ暗になった……。


 というよりは初めから真っ暗だった。気がつくと、俺は深夜の寝室にいた。そして、何故か隣に眠っていた優菜は。


「きゃっ!!」


 と、俺の叫び声に慌てて目を覚まして、上体を起こした。うっすらと寝癖で頭頂部の髪の撥ねた優菜の顔が見えた。


「せ、先輩っ!? ど、どうかしたんですか?」


「いや、俺はさっきまで猫になっていて、それで偽物の俺が」


「猫? 偽物? 何の話ですか?」


 その支離滅裂な俺の言葉に優菜は面食らったような表情で首を傾げている。


 そんな彼女の表情を眺めているうちに、徐々に頭が覚醒してくる。


 夢落ちだ……。


 と、そこでそのことに気がついた俺は自分がたった今、優菜の名前を叫んだことと、猫だとか偽物だとか、わけのわからん説明をしたことに対する羞恥心がこみ上げてくる。


「もしかして、怖い夢でも見たんですか?」


 俺は何も答えられなかった。恥ずかしさでもだえ苦しみそうだ。俺が何も答えられないでいると優菜は頬を緩める。そして、俺の手に優しく包み込むように触れると、俺に顔を近づける。


「何の夢を見たかはわかりませんが、そんな大きな声を出さなくても、私は目の前にいますよ? それに私はどこにも行ったりしませんから」


「あ、あぁ……わかってる……」


 なんだか母親に慰められる子どものような気分だ。が、優菜に手を握られていると安心する。優菜はしばらく俺の手の甲を摩っていたが、さすがに眠かったのか口元を抑えて大きなあくびをした。


「悪かったな、変な寝言で起こして……」


「クスッ……確かに変な寝言でした。時々、ミーミー言ってましたしね」


「なっ!? そ、それも聞いてたのかよ……」


「はい、なんだか可愛い寝言だなって、しばらく聞き耳を立ててたんですが、急に大きな声で私ことを呼ぶからさすがにびっくりしました……」


 突然、恋人がミーミーと寝言を言い始めて、その後大声で自分の名前を呼んで来たら、それはもはやホラーだな……。恥ずかしさと申し訳なさで胸がはち切れそうになりながらも、俺は再び横になる。


 すると、布団の中で優菜が俺の手を繋いだ。


「先輩」


「なんだよ」


「次はもっと幸せな夢が見られるといいですね……」


 そう言うと優菜は「おやすみなさい」と言って握った手にぎゅっと力を入れた。

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