第十一話 人気者になるということ

 その後もあれやこれやと撮影は続いた。いったい、別に売り物にするわけでもないのに、そこまで本格的にやる必要はあるのかと思わないでもなかったが、どうやらそれも廣神さんの作戦のようだ。彼女一人のために大勢の大人を使うことによって、所属を断りづらくしているようだ。


 まあ、廣神さんがそれほどまでに水川の才能を高く評価していることの証左でもあるのだけれど……。


 俺は次の衣装に着替えるために、どこかに行った水川を待つために椅子に座っていると、誰かがツンツンと肩を指先で叩く。


 振り返った俺は、愕然とする。


「さすがにこれはちょっと恥ずかしいです……」


 そこに立っていたのは水着姿の水川だった。


「っ…………」


 純白のビキニを身につけた水川は、さすがに恥ずかしいのか頬を真っ赤にして俺を見つめていた。


「ど、どうですか? 似合ってますか?」


 と、水川は俺に感想を求めてくる。


 いや、そりゃ似合ってるけどさぁ……。


 情けないことに、俺の視線は無意識に彼女の胸元に行ってしまう。彼女の適度に膨らんだ胸はやや小さなビキニに締めつけられて、谷間を作っている。みずみずしいその肌はスタジオの照明に反射して、つるつるしている。


「先輩、目がえっちぃです……」


 と、どうやら水川もそんな俺の視線に気がついていたようで、俺の顎のしたに手をやると、俺の顔を強引に上に向ける。


「ど、どうですか……」


「いや、ま、まあ……悪くないとは思うけど……」


 何とも言えない空気が二人を覆う。が、すぐにスタッフに呼ばれた水川は用意されたセットの方へと歩いていく。


「いやぁ、可愛いねえ。きみみたいな女の子が、まだ素人だなんて、本当にこの業界は色々と損しているよ」


 と、カメラマンは彼女を持ち上げると、カメラを彼女に向けた。


「じゃあ優菜ちゃん、そのイルカに乗ってみようか」


 と、いつの間にか用意されていたイルカの浮き輪に彼女を跨るように促す。


「こ、これにですか?」


 そんなカメラマンの指示に水川は動揺したようにイルカを指さす。


「そうそう、いやあイルカが羨ましいなあ」


 と、カメラマンに煽てられながら、水川はイルカに跨る。


「こ、こうですか?」


「うん、いいよ。あぁ……その恥ずかしそうな顔がまたいいねえ。ちょっとこっちを見ようか?」


 水川が躊躇いがちにカメラを見やると、バシャバシャと一眼レフからシャッター音が何度もなる。


「いいねぇ……、じゃあ、今度は少し俯き加減になって、カメラ見てみようか」


「これでいいですか?」


「いやぁその上目遣い最高だよっ!! 自分が世界一可愛い女の子だと思って、もっと甘えるように見てみようか?」


「は、はい……」


 と、カメラマンの指示になんとか答えようと、必死に表情を作る水川。どうやら衣装も四着目になり、少しずつ慣れてきたようだ。


 そんな彼女を眺めながら、なんだか俺は彼女が雲の上の遠い存在のように思えてくる。まあ、もともと俺とは接点のないような雲の上の存在なのだ。だから、再認識したといったほうが正しいだろうか。


「兄妹だって話……本当なの?」


 と、水川の撮影に夢中になっていた俺の耳元で誰かが囁く。


「なっ!?」


 不意打ちに驚いた俺が慌てて振り返ると、そこには片岡紗々の姿があった。


 しかもなぜか水着姿……。


「撮影は終わったんじゃなかったのか?」


「まあね。だけど、優菜ちゃんが撮影しているのを見ていたら、私もいてもたってもいられなくなってついね」


「なるほど、全然わからん……」


 片岡紗々は真っ赤なビキニを身に着けて、その上にバスローブを羽織っていた。そのあまりにも刺激的な格好に思わず、頬が赤くなる。


「先輩っ!! 鼻の下っ」


 と、そこで水川の声が後方から聞こえてくる。彼女を見やると、水川はイルカに跨ったまま、頬を膨らませて俺を睨んでいた。


 が、


「いいねえ、そのふくれっ面、すごく可愛いよ。そのままカメラの方見てみようか?」


 と、カメラマンが言うので水川は慌ててカメラを見やる。直後、またバシャバシャと連写の音がスタジオに響く。


「ねえ、本当にあなたあの子のお兄ちゃんなの?」


 と、また片岡紗々は俺にそう尋ねるので、俺はあえて彼女の水着を見ないように顔を背けながら答える。


「ああ、嘘じゃないよ。血はつながってないけどな……」


 そう答えると片岡紗々は「ふ~ん、なんだか色々と複雑なんだね」と呟いた。


「優菜ちゃん、あなたにメロメロみたいね」


 と、不意に彼女がそう言うので、俺は慌てて彼女を見やる。


「そんなことないよ。俺と水川はあくまで兄妹だ」


 そう釈明すると、片岡紗々はクスクスと笑った。


「まあ、それならそれで別にいいんだけどね」


 そう言って、片岡紗々は俺の椅子の隣にしゃがみ込む。


「だけど、もしも彼女が芸能界に入ったら、関係性は少し考えた方がいいわね」


「はあ?」


「きっとあの子、すぐに人気が出るわよ。それは何年もこの世界にいる私ならわかる。もしも、人気が出たとき、あの子はもうあなただけの女の子じゃなくなっちゃうわよ」


 そう言って、にっこりと微笑みながら俺を見上げた。


「もともと俺だけの彼女じゃないから問題ないよ」


「きっと、家を空けることも多くなるだろうし、事務所だって、あの子があなたとイチャイチャしているのを快くは思わないわよ」


「いや、いつ俺が水川とイチャイチャしたんだよ」


「少なくとも、事務所的には十分にイチャイチャしていると思うけど」


「何が言いたいんだ?」


「別に、だけど、彼女が人気者になったとき、あなたがそれに耐えられるか少し心配になっただけっ」


 そう言って片岡紗々は立ち上がると、俺の頬を一度、ツンツンと突いて水川の方へと歩いていった。


「カメラマンさん、私、優菜ちゃんとツーショット撮りたいですっ」


 片岡紗々はバスローブを脱ぎ捨てると、水川の隣に立った。そして、彼女を後ろからぎゅっと抱きしめると、カメラに向かってにっこりと微笑む。水川は憧れの存在にハグされて、恥ずかしそうに頬を赤らめた。


「いやあいいよ。この写真が市場に出回らないのが本当に惜しい」


 そう言ってカメラマンは嬉しそうにシャッターを切る。


 そんな美少女二人を眺めながら俺はふと物思いに耽る。


 たしかに片岡紗々の言う通りかもしれない。俺と水川はあくまで兄妹だが、彼女が今世界に入ってしまっても、俺たちは今まで通りの生活を続けられるのだろうか?


 俺たちが兄妹だと思っていても、事務所は血のつながっていない兄妹の同棲を、ただの兄妹の同棲だと見るのだろうか? それ以前に、もしも人気者になったとき、事務所はまだ十代半ばの彼女が、何のセキュリティもなく俺と暮らす彼女を放っておくのだろうか?


 俺は深く考えずに彼女のやりたいことを後押ししようと思ったが、もしかしたらとんでもないことをしてしまったのではないかと、少し心配になった。

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