第二話 小悪魔美少女に抜かりはない
「なあ、お前さっき
教室に到着した俺が鞄から教科書を机に移していると、背中をペンでつつかれた。振り返るとクラスメイトの長谷川が興味津々で俺のことを眺めていた。
「おい、ちょっと待て。なんでお前が知ってるんだよ」
どう考えてもおかしい。俺が水川と会話をしたのはつい数分前のことだ。俺が教室に入ったときすでに後ろの席に座っていた長谷川がなんでそのことを知っているんだ。
「この教室にいる男子生徒は既に全員知ってるよ。この高校で水川と会話をした男子生徒の情報は逐一、すべての男子生徒にメッセージアプリで共有されることになっている」
「とんだ監視社会じゃねえか……」
「そんなことはどうでもいいじゃねえか」
「どうでもよくねえよ」
「そんなことよりもどんな会話をしたんだ? 俺が知りたいのはそれだけだ」
どうやら俺が想像していた以上に、水川優菜の一挙手一投足はこの高校に通う男子高校生にとって、重要な問題らしい。
「なあ、教えてくれよ。どうしてお前みたいな地味な学生が水川さんと会話する必要があるんだ?」
「余計なお世話だ。別に大した話はしてねえよ。俺が落としたカギを彼女が拾ってくれただけだ。それ以上でも以下でもねえ」
「本当か? もしもその発言に嘘があった場合、偽証罪として異端審問に掛けられる可能性があるぞ?」
「ねえよ。ってかなんだ。異端審問って。俺は民主主義国家に生まれたつもりだが」
長谷川は俺に隠し事がないか見極めるように、しばらくじっと俺を見つめていた。が、ふいにため息を吐くとやれやれと首を横に振る。
「まあ、それもそうか。水川さんがお前みたいな地味な学生にわざわざ話しかける理由なんてないわな」
「余計なお世話だよ」
が、俺が地味な学生であることが幸いだったのか、長谷川はそれ以上俺を追求することはなかった。俺はほっと胸を撫で下ろす。
とてもじゃないが、長谷川に再婚の話は伝えられそうにない。水川はこの学校では一種神格化されている。彼女と俺がこれから二人暮らしをすることになるなんてことが漏洩したら方々に敵を作りかねない。
鞄からラノベを取り出すと、ホームルームまでのわずかな時間を読書に費やすことにした。
……のだが、
「先輩」
耳元で誰かがそう囁いた。俺はその超絶聞き覚えのある声に心臓が凍りついた。本来、二年の教室で聞くはずのないその声に俺はラノベから顔をあげることもできない。耳元に小さな息遣いと、鼻腔にわずかなシャンプーの甘い香りを感じながら俺はちっとも頭に入ってこないラノベの一節を見つめていた。
「先輩って、本を読むのが好きなんですね。いったい、どんな小説を読んでいるんですか?」
間違いない。その声は水川優菜のものだ。俺は顔を前に向けたまま、恐る恐る視線を右側へと向ける。すると、俺の肩に顎を乗せるようにライトノベルを覗き込む水川優菜の横顔がわずかに見えた。
「ここは二年の教室だと思うんだけど……」
「そうですね。だけど、生徒手帳には上級生の教室に勝手に入ってはいけないなんて書いてないですよ?」
彼女は俺の耳元に口を近づけたまま、俺にしか聞こえない小さな声でそう囁く。彼女の息が耳たぶの裏側をわずかに振動させてムズ痒い。
俺は視線を教室内に向ける。教室内ではクラスメイト達がいつものようにホームルーム前のわずかな時間を談笑に費やしていた。が、いつもとは違う異様な空気が流れている。
男子生徒だ。
教室内の男子生徒たちは友人たちと談笑しているようで、ちらちらと俺に視線を向けて明らかに聞き耳を立てている。
これは異端審問の流れか……。
「何か俺に用か?」
俺は周りに会話が聞こえぬよう、できるだけ声のトーンを落として彼女に尋ねる。
「用ですか? そうですね、しいて言うのであれば、私のお兄ちゃんになる人が、どんな人なのか観察しにきました」
「そうか、確かに大切なことだ……」
確かにこれから俺と水川優菜は一つ屋根の下で生活をするのだ。その相手がどんな人間なのかは年頃の女の子にとってとても重要なことだ。が、今、このタイミングで観察されるのはなんというか、男子生徒たちの視線的にいろいろとマズい。
「心配しなくても、同棲のことは先輩が許可を出すまでは誰にも口外しませんよ」
「おう、それは助かる。けど、俺たちが兄妹になることを伏せるのは、かえって周りの生徒たちにあらぬ勘違いをさせないか?」
「確かに、それもそうですね。ならばいっそ、私たちカップルだってことにしますか?」
「いや、それはそれで色々とマズいような気がするんだけど……」
「そうですか? 私は別に先輩の彼女だと思われてもかまいませんが……」
いや、俺がかまう。校舎内で少し会話をしただけで長谷川から詰問をされているのだ。当然ながら長谷川含め、この教室にいる男子生徒たちは皆、俺たちに注目している。むしろ、俺が今考えるべきなのは、この状況をどうやって誤魔化すかよりも、辞世の句を考えることだ。
おそらく俺は今、この高校のすべての男子学生を敵に回している……気がする。
「先輩は、私が恋人だと勘違いされるのは嫌ですか?」
と、そこで水川はそう囁いてから、俺の顔を覗き込む。
俺の顔と水川の顔が数センチのところまで接近する。にもかかわらず、水川の顔はやっぱり可愛くて、この距離でも荒は見つけることができなかった。
見てはいないが、そんな俺たちの姿を周りの男子生徒たちが固唾を飲んで見守っているのが手に取るようにわかる。
正直に言うと水川が恋人だと勘違いされるのはマズい。が、逆にこの状況で俺と水川が何かしらの深い関係を持っていることは言い逃れできそうになかった。勘違いされるのが嫌かどうか以前に、すでに勘違いをされている。
が、俺と水川と兄妹になることを公表するのはそれはそれで問題がある。
父親はすでに水川の母親と結婚する意志を固めているようだが、あくまでそれはまだ予定に過ぎないのだ。まだ、籍も入れていない状態でそのことを公表するのは、それはそれでマズい。
八方塞がり。四面楚歌。
今以上にこの言葉がしっくりくる状況を俺は自分の人生の中で知らない。
キーンコーンカーンコーンッ!!
と、そこで教室に始業を伝えるチャイムの音が響き渡った。直後、水川は俺から体をすっと放すと笑みを浮かべたまま俺を見つめた。
「ということなので先輩。昼休みまでに放送室まで原稿を持ってきてくださいね。生徒の生の声を伝える『生徒の主張』のコーナーは先輩方が代々続けてきた名物コーナーなんですよ。一回たりともお休みするわけにはいかないんですからっ!!」
「は?」
ぽかんと口を開ける俺。
突然の水川の言葉にあっけにとられる俺とは裏腹に、周りの男子生徒から安堵のため息が一斉に漏れる。
「なんだ、放送部の原稿の催促かよ。俺、本当に岩見が水川さんと付き合ってるかもって心配したぞ」
「おいおい、岩見が水川さんなんかと付き合ってるわけないだろ。俺は初めから信じていたぜ」
「なあ、俺も原稿遅らせたら水川さんからあんな風に催促してもらえるのかな?」
と、男子生徒たちは口々にそんな会話をする。
なんだかわからないが、俺への疑いの目は彼女の一言で一気に霧散したようだ。
俺が呆然としていると、水川はそそくさと教室を後にした。
※ ※ ※
昼休み、俺の疑問は解消した。
どうやら水川は放送部に所属しているようで、彼女がパーソナリティを務める校内放送は男子生徒を中心に大人気らしい。その中の『生徒の主張』という生徒たちのプライベートを紹介するコーナーで、書いた覚えのない俺の原稿が彼女に読み上げられた。
昼休みは誰かと談笑しているか、イヤホンを耳にさしている俺はそんな放送があることをこの日、初めて知った。どうやら周りの生徒の認識では、あくまで彼女は俺に『生徒の主張』の原稿を催促しにきた可愛そうな後輩ということになったらしい。
何はともあれ、俺は異端審問に掛けられることなく、学校を後にすることができた。
学校を出た俺は本屋で愛読しているラノベの新刊を買い、喫茶店でそれを読むことによって放課後を有意義に過ごすこととなった。
そして、夜七時。いつも通り帰宅する。
「ただいま……」
家に上がると、ちょうど帰宅したばかりのスーツ姿の父親が「おう」と右手を挙げて出迎えた。いつもは家に上がるなりスーツを乱暴に脱ぎ捨ててパンツ一丁で家をうろうろする父親にしては珍しくスーツを着たままだ。
いつもとは様子の違う父親だが、とくにこれと言って不審に思うわけでもなく靴を脱ぎ捨ててマンションの廊下をリビングへと向かって歩いていく。
が、
「おかえりなさい」
唐突に明らかに父親のものではない女性の声がリビングから聞こえてきて俺は足を止める。
その直後、リビングの扉がばたりと開き、俺の前に制服姿の少女が現れた。
「先輩、カレーは好きですか?」
「なっ……」
そこには水川優菜の姿があった。彼女は制服の上にエプロンを身に着けて、その右手にお玉が握られている。
「お、おい、なんでお前がここにいるんだよ……」
「おい、優菜ちゃんに対してお前はないだろ」
愕然とする俺を父親が呆れたように眺める。
「優菜ちゃんは俺が呼んだんだ。ほら、俺はもうすぐ日本を離れるだろ? だから、今のうちに優菜ちゃんとはできるだけ一緒に時間を過ごしたいんだ」
「いや、そうかもしれないけど……」
「いやあ、優菜ちゃんは本当にしっかりものだな。これなら安心してシンガポールに行けるよ」
そう言って父親はリビングへと姿を消した。
「…………」
まさか水川が家にいるなんて夢にも思っていなかった俺が愕然としていると、彼女は少し心配げに首を傾げる。
「どうかしたんですか? もしかして、先輩、カレーは苦手ですか?」
「い、いや、カレーは大好きだけど……」
そう答えると水川はほっと笑みを浮かべる。
「よかった。じゃあ、早く一緒に食べましょうよ」
そう言って俺のもとへと駆け寄ると、俺の腕をとってリビングへと歩きはじめる。
俺は現実感をこれっぽっちも抱くことも出来ずに、彼女に連れられてリビングへと向かった。
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