第十四話 負け戦

 目を向けるべきところから目を逸らし続けた結果、ツケが回ってきた。いつもならば二人の通学路を一人で歩きながら、俺はそんなことを痛感する。唇を指で摩ると水川の柔らかい唇の感触が蘇る。


『先輩の妹にはなれません』


 俺に口づけをした水川ははっきりと言った。そして、俺は彼女の言葉の意味をしっかりと理解していた。


 いったい、いつからだろうか。水川は俺のことを『兄』としてではなく『先輩』としてでもなく、異性として見ていることには薄々と気がついていた。確かに彼女は初めから俺のことを落して見せるなんてうそぶいてはいた。が、初めは俺に懐いていて冗談のように言っていたその言葉も徐々に冗談ではなくなっていることには薄々気がついていた。


 だけど、俺は極力、そんな彼女の気持ちを無視して生活してきていたのだ。


 それがどうしてなのかは俺にもわからない。けど、俺はこうも考えていた。家族になることを強制されてきた俺と水川の間に、兄として、そして、妹としての感情が入り混じることは、とても背徳的で、あるべき姿ではないのではないかと……。


 けど、俺は明確に水川を妹として認識していない側面もあった。彼女がいまだに俺を兄と呼ばず先輩と呼び続けていることだって、どこか心地よさを感じていたのも事実だ。


 結局、そんな俺の中途半端さに水川は耐え切れなくなったのだ。


 それはきっと全面的に俺のせいだ……。


「はぁ……」


 自分の情けなさ、優柔不断さにため息が漏れる。


「優菜ちゃんと喧嘩したでしょ?」


 と、そんな俺の耳元で、誰かが突然、囁くので俺は「ひゃっ!!」と情けない声が漏らしてしまう。気がつくと、いつの間にか俺の隣には冴木涼花が歩いていた。


「と、突然、現れるの、やめてくれませんか?」


「突然? 私、何回かあなたに声を掛けたけれど?」


 どうやら、気づかなかった俺の方が悪かったらしい……。


「な、何か用ですか?」


「用もなく、恋人のそばにいたらダメなのかしら?」


 と、冴木さんはお馴染みの悪戯な目で俺のことを見つめてくる。


「いや、別に俺はあんたの恋人じゃ……」


「そういう中途半端な態度が、優菜ちゃんのことを傷つけているんじゃないかしら?」


「…………」


「だけど、友一くんは女の人から虐められると興奮しちゃう変態さんだもんね……。私から離れようとしても体が許してくれないのよね……。わかるわよ。その気持ち……」


「いや、変な勘違いするの、やめてくれませんか?」


「そうかしら? だけど、他の人から見れば、友一くんはどっちつかずの優柔不断な男にしか見えないわよ?」


「…………」


 悔しいけど、何も言い返すことができない。そんな俺の顔を覗き込むと冴木さんは優しい笑みを浮かべる。


「だけど、私はそんな友一くんのことを諭したりなんてするつもりはないわよ?」


「諭す……ですか?」


「私はね、決めたの。優菜ちゃんに変な気を遣うのは止めたって。だから、私は友一くんに何かを諭したりなんてしない。私は私の欲望のために生きるわ」


「なんすか、冴木さんの欲望って……」


「それを察することができない時点で、今のあなたには優菜ちゃんを笑顔にすることはできないかもね」


「…………」


 俺のそういう優柔不断さが、結果的に水川のことを傷つけているのだ。


「友一くん、好きよ」


 と、冴木さんは不意にそんなことを言うと、俺の腕にしがみついた。


「な、なんすか、いきなり……」


「恋人に好きって言っちゃいけない法律でもあるの?」


「いや、そういうことじゃなくて、思ってもないことを口にするのをやめてくださいって言ってるんです……」


「なんで、思ってもいないなんて友一くんにわかるのかしら?」


 冴木さんは俺の二の腕に胸を押し当てるようにしがみついたまま、俺を見上げる。意外にも彼女の表情は、いつもの悪戯な笑みではなく、真剣だった。


「そ、それは……」


「どうして、私が友一くんのことが好きじゃないだなんて、あなたに言えるのかしら? それともそう思いたくないの?」


「別に、そんなことは……」


「そうかしら? 私が友一くんのことが好きじゃない方が、あなたにとっては都合がいいんじゃない? だって、私に好意がなければ、こんな風に私があなたに触れたとしても、ただの冗談だってことにできるものね?」


「そ、そういうわけじゃ……」


 やっぱり何も言い返せない。なんというか今の俺にとって冴木さんの言葉はどれもこれも耳が痛いのだ。冴木さんの言っていることが間違えていないとわかっているけれども、それを受け入れる自信が俺にはない。


「知ってる? 私がこんな風に友一くんといちゃいちゃしているとき、優菜ちゃんはしっかりと傷ついているのよ?」


「…………」


「だけど、私はそれでも友一くんのこと許してあげる。だって、私は友一くんの恋人なんだもん。恋人といちゃいちゃすることで、誰かが傷ついたとしても、その人に気を遣う必要なんてないものね? それは友一くんも一緒よ?」


 そう言うと冴木さんは、俺の前に回り込んだ。そして、俺の首に手を回すと、彼女は背伸びをする。


「んん……」


 と、その直後、彼女はあろうことか、俺の唇に自分の唇を押し当てた。


 要するに彼女は俺にキスをした。そのあまりの不意打ちに、俺はよけることができなかった。冴木さんはしばらく、俺と唇をかわすとゆっくりと唇を離した。


「意外だと思うかもしれないけど、私のファーストキスよ?」


「い、意外過ぎますよ……」


 俺はそう言って彼女か目を逸らす。


「ねえ、友一くん」


「なんですか?」


「どうして、私がこんなことしたかわかる?」


「は、はあ? どういうことですか?」


 そう尋ねると、冴木さんは俺から体を放した。そして、彼女は不意に十メートルほど離れた校門を見やるとニヤリと笑みを浮かべる。俺も反射的に校門を見やる……そして、愕然とする。


「み、水川……」


 校門のそばに水川が立っていた。彼女は遠く離れた校門から俺たちのことをじっと見つめていた。が、俺の視線に気がついた瞬間、俺から顔を逸らすように俯くと、俺たちに背を向けて校舎へと歩いていった。


「他の女に狙われる前に、マーキングしておいたのよ」


 そう言って冴木さんはにっこりと微笑む。


「負け戦には負け戦なりのやり方があるのよ」


 そう言って、俺の頬をツンツンとつつくと立ち尽くす俺を置いて、そそくさと校門へと歩いていってしまった。


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