第九話 大悪夢と突然の入部宣言

「ご主人様、私はご主人様のメイドとして許されないことだいをしてしまいました」


 そこは少なくとも高校の教室ぐらいの広さはありそうな大広間、絨毯張りのその広間には十人は腰掛けられそうな巨大なテーブルが鎮座している。テーブルの上にはローストビーフに季節の野菜のサラダ、さらにはデザートのフルーツなど、とても一人だ食べ切れないほどの贅をつくした料理が所狭しと並んでいる。


 俺は誕生日席に一人腰掛けて隣に控える少女を見上げていた。


 メイド服姿の水川優菜みながわゆうなは何やら気恥ずかしげに頬を赤らめて、俺のことを見つめていた。


「ご主人様、私はもうこのお屋敷のメイドとしてお仕えすることはできません……」


 真っ赤な顔の水川は今にも泣きだしそうに瞳に涙を浮かべている。


 そして、なぜかタキシードを身にまとった俺は。


「メイドよ。お前は何をそんなにも憂いているのだ」


 なんだ俺……。


 俺は当たり前のようにローストビーフを頬張ると、そんな水川を満足げに眺めている。


 そうだ。俺は資産家で、この屋敷の主人だ。そして、彼女は半年前からこの屋敷で俺の身の回りの世話をする給仕……だった気がする。


 なんだか偉そうな態度の俺に水川は両手で胸を抑える。


「わ、私はいけないことをしてしまいました。それは……それは……ご主人様に恋をしてしまったのです……」


 水川の瞳からはポロリと一縷の涙が零れ落ちる。


 なんなんだ。なんだかよくわからないが、ホント何なんだこれ……。


 が、恐ろしいことに俺はそんな彼女の涙にも一切動揺せずに、感極まる彼女のことをやっぱり満足げに眺めている。


「きみは、いけないメイドだな……」


 え? 何言ってんの俺。あぁ……気持ち悪すぎてげろ吐きそうだわ。頼む、誰か俺を金属バットでぶん殴ってぶっ殺してくれ……。


「私はもうこの家にはいられません。ご主人様のお顔を見ていると胸が苦しくて……辛いのです……」


 そんな彼女の姿を見た俺は立ち上がる。俺は頭一つ背の低い水川の前に立つと、彼女の顎に触れて強引に俺の方へと向かせる。


「ご、ご主人様……」


 彼女の目は涙で真っ赤に充血していた。なぜか彼女は泣いてる姿さえ美しい。彼女は何やら怯えるように俺のことをじっと見つめていた。


「ご主人様、わたくしめをこの家から追い出してください。私はもう耐えきれません」


「それはできない」


「どうしてそんな意地悪なことをおっしゃるのですか? 私はメイドの分際でご主人様を愛してしまったのです……」


「だめだ。お前には一生この家に仕えてもらうつもりだ」


 そう言って俺は手の甲で水川の涙を拭う。


「きみには私の妻として、一生この家にいてもらうつもりだ」


 ああキモイ。俺、何言っちゃってんの。キモ過ぎてキモ死しちゃうよ。お医者さんにカルテに死因キモ死って書かれちゃうよ。


「ご、ご主人様……好きです」


 このキモイ男の何がいいのか水川は、そう言って俺の胸に飛び込んでくる。


 直後、視界は暗転して、暗闇の中に『Fin』の文字とともにエンドロールが流れ始める。


 なんだかわからないが、俺たちはハッピーエンドを迎えたらしい。


「先輩……」


 耳元でそんな声がして俺はぴくぴくと瞼を震わせた後に、ゆっくりと瞳を開く。


「先輩っ、そろそろ出ないと遅刻してしまいますよ……」


「ん、んん……」


 薄ぼんやりとした視界が徐々にはっきりとしてきて、ベッド脇に立って俺の顔を覗き込む義理の妹、水川優菜の顔が現れた。


 そこにはいつもと変わらぬ、俺の部屋が広がっていた。


 俺は水川の顔をしばらく見つめて、今自分の身に起こっていることを整理する。


 さっきまで俺と水川は大豪邸の広間にいて……ってっ!!


 俺はそこでようやく、自分がとんでもない夢を見ていたことに気がついて、慌てて布団の中に潜り込む。


 ああやばいやばいっ!! 今の夢はさすがにやばい。ってか、俺、なんちゅう夢を見ちゃってんのっ!? 俺がご主人様で水川がメイド……ああダメだっ!! 殺してくれっ!! だれか俺を殺してくれ。


 布団の中で悶絶する俺。


 が、包まっていた布団は水川によってばっとはぎ取られる。


「もう、さすがに怒りますよ? 先輩、早く着替えてください」


 水川が苛立つ顔を俺はこのとき、はじめて見た。が、今の俺にはそんなことを珍しがっている精神的余裕はない。


「なあ、水川」


「なんですか?」


「俺、なんか変なこと言ってなかったか?」


「変なこと? 何の話ですか?」


 可愛らしく小首を傾げる水川。当然だ。水川には俺の焦りの意味など分かりっこない。


「よくわかんないですけど、早く着替えてきてください。お弁当はリビングのテーブルに置いてあるので、忘れないでくださいね」


 すでに制服に着替えて、身だしなみも整えている水川はそう言って俺に背を向けて歩き出す。が、不意にこちらを振り返ると、何故か堪えきれないようにクスクスと笑う。


「な、なんだよ……」


「ごめんなさい。でも、可笑しくって……」


 そう言って両手で口を押えながらクスクスと俺を見て笑う水川。


「なんなんだよ。何かあるならはっきり言え」


「クスクス……ごめんなさい。だけど、先輩がメイド萌えだったのが意外過ぎて、つい……」


「なっ!?」


 何で知ってるっ!? だって夢だぞっ!? なんで水川が俺の夢の内容を知っているんだよ。


 俺が愕然としていると水川が「ごめんなさい」とクスクス笑いながら俺に謝る。


「でも、先輩が悪いんですよ。先輩ったら夢の内容が寝言で駄々洩れですから……」


「ぎゃあああああああっ!!」


 俺は顔を真っ赤にして絶叫した。


 ダメだ。耐え切れない。羞恥心でこのまま心停止してしまいそうだ。


「先輩、そんなに恥ずかしがらないでください。変な夢なんて誰でも見ますから」


「そういう問題じゃないっ!! ぐぬわっああああっ!!」


 恥ずかしさに今まで発したこともないような声が出る。それを見て水川がまた堪えきれなくなってクスクスと笑う。が、不意に腕時計を見ると少し焦ったような顔をする。


「せ、先輩、やばいですよ。本当に遅刻します」


 俺は何とかベッドから降りると、ボサボサの頭を強引に手櫛して洗面台へと歩いていく。


「ご主人様、お着替えをお手伝いしましょうか?」


「ぎゃああああああっ!!」


 羞恥心に頭を抱えてうずくまる俺を水川はしばらくクスクスと笑っていた。



※ ※ ※



 俺は何とか五分ほどで身支度を終えて家を飛び出した。その間、水川はやっぱり何度もクスクスと両手を抑えていた。


 やや、急ぎ足で歩く俺のすぐ後ろを水川がついてくる。


 そこでようやく水川は笑いが落ち着いたのか、いつものにこやかな笑みに戻って俺のブレザーの裾をクイクイと引っ張る。


「先輩、そのニワトリみたいな髪型で学校に行くつもりですか?」


「しょうがないだろ。さすがに髪を直す時間はなかったんだ」


「先輩は私のお兄ちゃんになる人なんですよ。さすがに、私もお兄ちゃんがニワトリなのは恥ずかしいです。ちょっとこっち向いてください」


 そう言って俺の腕を掴んで半ば強引に彼女の方へと向かせると、ポケットから折り畳みの櫛を取り出す。


「だ、大丈夫なのか?」


 俺は腕時計を見やる。が、水川は櫛を俺の頭へと伸ばすと、俺の髪を解きはじめる。


「どうせ、今から走っても間に合うかどうかわかりません。別に一日ぐらい遅刻しても退学になんてならないですよ」


「そ、そうかもしれないけどさ……」


「毒を食らわば皿まで食らえです。堂々と遅刻しましょう。体調が悪くて休んでたって言えば、先生も怒れないはずです」


 そう言って丁寧に俺の髪を整えてくれる。


「あ、そう言えば、入部届は昨日提出しておいたので、昼休みに放送室まで来てくださいね」


 と、そこで水川はわけのわからないことを言う。


「なんだよ入部届って……」


「放送部の入部届ですよ。先輩の名前で出しておいたので、今日の昼には受理されているはずです」


「はあっ!? 聞いてないぞ。そんな話」


 俺は突然の宣言に目を見開く。


「まあ細かいことはいいじゃないですか。部長も新しい部員を歓迎するって言ってくれましたよ」


 どうやら、そこに俺の自由意志のようなものはないらしい……。


「私と同じ部活じゃ……嫌ですか?」


 と、そこで水川は少し悲しげな顔で俺を見つめるので、俺の胸が少しざわつく。


 明らかに俺は悪くないのに、そんな水川の顔を見ているとわずかに罪悪感が芽生えてくるから恐ろしい。


「別に、嫌じゃないけど……」


 そう答えると、水川はすぐさま笑みに戻ると「じゃあ、先輩、お昼休みに放送室まで来てくださいね」と一言、櫛をポケットにしまって歩き出した。


 

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