第十話 二人の殺し屋の夢の競演

 昼休み、俺は水川の言いつけ通り放送室へとやってきた。どうやら午前中のうちに入部届は受理されて、俺は正式に放送部に入部してしまったようだ。


 放送室のドアをノックすると、中から「どうぞ」と聞こえたので一度深呼吸をしてからドアを開けた。よくよく考えてみれば俺は水川以外の放送部員を知らないのだ。確かに水川ともう一人、部長がいるはずで、どうやら中から聞こえてきたのは部長の声のようだ。


「失礼します」


 恐縮しながらもドアを開けると、相変わらず雑然とした部室の中央に立つ女子生徒の姿があった。


「え……」


 女子生徒の顔を見た瞬間、思わず目を丸くする。


 俺は彼女に見覚えがあった。


 冴木涼花さえきりょうか


 彼女は『後輩殺しの微笑み天使』の異名を持つ美少女だ。少なくともこの学校で水川と並んで立ってモブキャラに降格しないのは彼女ぐらいである。


 意外な登場人物に俺が困惑していると、冴木さんはその異名にふさわしい天使のようなさわやかな笑顔で俺のもとへと歩み寄ってきた。


「あら? もしかして岩見くんが新しい部員さんかしら?」


「あ、はい、一応……」


「なんだかおもしろい偶然ね。さあ、中に入って。ちょうど紅茶を淹れたところなの。一緒に飲みましょ?」


 そう言って冴木さんは俺を中へと促した。部屋に入った瞬間、彼女のフローラルな香りが鼻腔をつついて、思わず卒倒しそうになる。


「ごめんね、落ち着いてお茶を飲めるほど広い部屋じゃなくて。そこのパイプ椅子に座って待っててね」


 俺は部屋中央のパイプ椅子へと腰を下ろした。どうやら今日新入部員が来ることは知っていたようで既に用意していた紅茶の入ったマグカップのうちの一つを俺に手渡した。


 紅茶を渡し終えると、俺のパイプ椅子にぴったりとくっ付けるように置かれた右隣のパイプ椅子へと冴木さんは腰を下ろした。


「ごめんね、窮屈な部屋で……」


「いえいえ、お構いなく」


 とは言ってみたが……さすがに近すぎねえか、これ……。


 俺の座るパイプ椅子と冴木さんのパイプ椅子はぴったりとくっ付くように並べられている。その椅子に二人で座るということは、結果的に俺と冴木さんの身体もぴったりと密着することになる。


 口ではお構いなくなんて言っているが、内心穏やかではなかった。一応は前を向いているが、視線の端には冴木さんの胸元の大きく膨らんだブレザーと、プリーツのスカートから伸びる真っ白い脚が否応なしに見えてしまう。さらには彼女の例のフローラルな香りが俺の動機を激しくする。


 俺は緊張を隠すように紅茶に口を付ける。甘い風味が口内に広がる。


 と、そこで俺はふと思う。そう言えば水川の姿がない。俺の記憶が正しければ彼女は昼の校内放送のパーソナリティのはずだ。彼女がいなければそもそも放送が始められない。


「優菜ちゃんなら、職員室にコピー用紙を取りに行ってもらっているわ。五分ぐらいで戻ってくるんじゃないかしら」


「あ、ああ、そうなんですね……」


 偶然にも質問する前に答えが返ってきた。つまり、俺は五分間、冴木さんと二人きりで過ごさなければならないということだ。とてもじゃないが、俺の緊張が五分間も持つとは思えなかった。


 しばらく沈黙が続いた。が、不意に冴木さんがクスッと笑う。


「ど、どうかしましたか?」


「ごめんね。だけどそんなに緊張しなくてもいいのよ。これから一緒に放送部を盛り上げていくんだから、もっとフランクに話しかけてくれたほうが、私もやりやすいわ」


「す、すみません……」


 なんだか自分が情けなくて思わず謝ってしまう。


 それにしても……。


 さすがは笑顔の天使だ。間近で微笑む彼女の顔は本当に天使のように美しい。彼女の笑顔には水川と違った大人の魅力があった。


「友一くん」


 唐突に俺の名前を呼ぶ冴木さん。


「な、なんすか、突然」


「こっちの方が心の距離が近くなるかしら?」


 そう言ってにっこりと微笑む冴木さん。


「岩見くんって呼ばれたい? それとも友一くんって呼んだほうがいいかしら?」


 と、俺の呼び方の話題になった。


 友一くん……少なくとも俺は彼女から名前で呼ばれて、彼女と平常心で会話ができるとは思えなかった。


 だから、


「岩見……でいいですよ」


 せっかくの提案だが、俺は丁重に辞退する。


 が、


「わかったわ。じゃあこれからは友一くんって呼ぶわね」


「なっ……」


 全然わかっちゃいねえ……。


 俺が困惑していると冴木さんはまたクスクス笑う。


「ごめんね、友一くんって可愛い反応するから、思わずからかいたくなっちゃうの」


 そんな冴木さんを見て、俺は思った。


 なんだかこの人、水川に似ている。というか、もしかしたら水川は彼女の影響を受けて、あんな俺をからかってばかりの小悪魔になってしまったのではないかとすら思う。


 と、そこで冴木さんはティーカップを机に置くと、上体を俺の方へと向ける。


 そんな彼女を首を傾げながら眺めていると、冴木さんは両手を俺の方へと伸ばしてきた。


 え? なんだっ!?


 困惑する俺に構うことなく冴木さんは俺のカップを持った右手に両手で包み込むように触れると、優しく俺の手からティーカップを取り上げて机に置いた。


 突然のスキンシップに俺が顔を真っ赤にして彼女を見つめていると、俺の右手を観察し始める。


「深い傷ではなさそうでよかったわ……」


 そう言って、冴木さんは俺の右手のかさぶたを眺めていた。


 そこで俺は彼女が俺の手に触れた理由を理解する。そう言えば数日前に俺と彼女は教室の前で衝突したのだ。


 が、その理由がわかったところで、彼女が俺の手に触れている事実に変わりはない。彼女は親指の腹で優しくかさぶたを撫でる。


「もう痛くない?」


そう言って俺を上目遣いで見つめる冴木さん。


「だ、大丈夫です……」


 ダメだ。さすがにこの距離で見つめられるのは、もはや拷問に等しい。俺は慌てて冴木さんから視線を逸らした。


「そういえば……」


 と、そこで冴木さんはハッとしたような顔をする。


「そういえば、友一くんって優菜ちゃんとはどういう関係なの?」


「え?」


 唐突にそんなことを言われ、俺は頭が真っ白になる。


 が、彼女がそんなことを尋ねるのも無理はない。何せ、俺を誘ったのは水川なのだ。きっと冴木さんは水川ともそれなりに仲がいいはずだ。だとしたら俺と水川にこれまで接点がなかったことも知っているはずだろうし、そんな水川が俺を新入部員として連れてくるのを不思議に思うのも無理はない。


 が、生憎、俺にはその質問に適当な回答ができるほど機転は聞かない。


「そ、それは……」


 と、言葉に詰まるという最悪の返答をしてしまう。そんな俺を見て冴木さんは少し悪戯な笑みを浮かべる。


「何か隠してるなぁ……。お姉さんに素直に話してみなさい」


「い、いや、少なくともみんなが噂をしているような関係ではないですから……」


 そこで一度深呼吸をする。


「なんていうかその……俺の父親と水川の母親が同じ会社に勤めているんですよ。そのことを会社のお互いの親が最近知ったらしくて、それで最近は家族ぐるみの付き合いを……」


 と、きわどい嘘を何とかひねり出す。


 少なくとも水川の許可なく彼女に本当のことを話すのは気が引けた。


 明らかに動揺しながら答える俺だったが、意外にも冴木さんは「そうだったのね……」と、あっさりと俺の説明に納得をした。


 ほっと胸を撫で下ろす。


 が、その直後の冴木さんの言葉で俺の心臓が凍りついた。


「ってことは、私にも友一くんの恋人になるチャンスは残っているってことかしら?」


「なっ……」


 え? なんだ? 変な物でも食ったのかこの人……。


 そのあまりにも俺の予想の斜め上を行く発言に俺はポカンと口を開く。そんな俺を冴木さんはしばらく上目遣いで眺めていた。


 が、不意に。


「クスッ……クスクス……」


 冴木さんは両手で口を抑えて笑い始める。


「ごめんね、その可愛い反応を見たら、また意地悪したくなっちゃった……」


 どうやら、またからかわれたらしい……。後輩殺しの異名は伊達ではない。


 いや、ホント洒落になってないです。少なくとも女性経験がほぼ皆無の俺には、ただただ心臓に悪いだけです。


 が、さすがに冴木さんもやりすぎたことに気がついたのか、俺の手を握ると心配そうに首を傾げる。


「もしかして、本当に傷つけちゃったかしら?」


「え? いや、そこまでではないです……」


 そう言うと、冴木さんはほっと胸を撫で下ろした。


 と、そこで、


「失礼します」


 ドアの外から声が聞こえてきた。どうやら水川が戻ってきたようだ。扉が開くとコピー用紙の束を両手に乗せた先輩殺しが中に入ってくる。


「あ、先輩、来ていたんですね」


 水川が俺の顔を見つけて嬉しそうに微笑む。


 そこで冴木さんが壁の時計を見上げて、少し慌てた様子で立ち上がる。


「ちょっとゆっくりしすぎたみたいね。優菜ちゃん、本番大丈夫?」


「はい、大丈夫です」


 そう答えた水川はマイク前のパイプ椅子に腰を下ろした。


「じゃあ始めるわね。三、二、一……」


 と、冴木さんのカウントダウンが済んだところで、室内にクラシックの音楽が流れ始める。そして、次に水川が手前のレバーのような物を奥に倒すと、話始める。


「全校生徒の皆さん、こんにちは。お昼の放送を担当させていただく水川優菜です。短いお時間ですが、どうぞお付き合いくださいね」


 水川の声は校庭のスピーカーからディレイになって放送室まで聞こえてくる。


 それと同時に各教室から、男子生徒の雄たけびのような声も廊下伝いに聞こえてきた。


 先輩殺しと後輩殺し、二人の殺し屋の放送が幕を開けた。

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