第八話 芸能人のお仕事

「確かに一時期アイドルを応援していたのは本当ですよ。だけど、それと、私が芸能界に入りたいかという話は別です……」


 食卓で水川の作ったハンバーグを食べながら、俺は改めて彼女の意思確認をしておくことにした。が、水川はあくまで芸能界には興味がないというスタンスらしい。俺にはそれが本音なのか嘘なのかはわからないが、とりあえず彼女はそう言った。


「なんでそんなこと聞くんですか?」


 と続けて水川はそう尋ねて、首を傾げる。


「いや、それはなんというか……」


「きっと廣神さんに何か言われたんですよね?」


「…………」


 どうやらバレバレのようだ。


「まあな。さっき公園で会ったんだ。それでお前が芸能界に本当は興味があるって言われて、それで気になって……」


「まあ、いずれあの人が先輩に何かしらの接触をするのは予想していたので別に驚かないです」


「なあ水川、本当に全く興味はないのか?」


 確かに廣神さんの言葉はどちらかというと眉唾物だ。が、確かに水川がアイドルを好きだったのは事実だし、ある種の憧れを抱いているのも事実のようだ。が、水川は意外と自分のことを話したがらない性格だ。だから、俺は彼女の本心を聞いておきたかった。


「…………」


 俺の質問に水川は黙り込む。彼女はハンバーグを頬張りながらしばらく考えるように天井を見上げた。


「先輩はどう思いますか?」


「はあ、なんでそうなるんだよ」


「先輩は私に芸能界に入ってほしいですか?」


 と、水川は少し俺を試すように笑みを浮かべてそう尋ねてきた。その予想外の質問に俺は困ってしまい下唇を噛む。


 そして、


「お前が少しでもやりたいという気持ちがあるのなら、話を聞いてみるぐらいのことはしてもいいんじゃないかと思うけど」


「でも、私がアイドルになっちゃったら、先輩だけのものにはなくなってしまいますよ?」


「いつお前が俺だけのものになったんだよ……」


 そう答えると水川はクスクスと笑う。本当にこいつは俺の言葉をいつも巧妙にかわしてきやがる。


 が、またクスクスと笑うと俺を見やる。


「冗談ですよ。そもそも私なんかに芸能界は無理です。私はただの女子高生ですから」


「いや、そんなことはないだろ。兄の俺が言うのは恥ずかしいものがあるけど、お前はこの学校では一番見た目はいいし、もしも、お前がアイドルグループにいたとしても、違和感はないと思うぞ?」


 俺には女の子の容姿の良さを品評できるほどの目利きではないが、素人目に見ても彼女の見た目はずば抜けている。だからこそ廣神さんも彼女にしつこくアタックしているのだ。


 俺の言葉に水川は少し照れたように頬を掻いた。


「先輩ったら、こういうときだけは素直に私を褒めてくれるんですね……」


 彼女の反応から察するに、彼女は芸能界というものに全く興味がないわけではないようだ。が、彼女は自分の才能をあまり高く評価していないようにも思える。が、俺はもしも彼女がその世界に興味があるのならば、全力で応援したいと思ったし、自分の気持ちに嘘を吐いてほしくないとも思った。


「な、なんていうかその……水川は俺なんかよりも夢に近い位置にいると思うぞ」


「どういうことですか?」


 水川は首を傾げる。


「自分のことを話すのは恥ずかしいけど、俺はなんていうかその……小説を書くのが好きで、それでお金を稼げるようになったらいいなとか、恥ずかしいことを考えているんだ」


 あぁ、やばい。水川を説得するためとはいえ、自分のことを話すのは顔から火が出るほど恥ずかしい。


 が、そんな俺の羞恥心とは裏腹に、水川は俺に優しく微笑みかける。


「いいじゃないですか。私、先輩の夢、応援していますよ」


「あ、ありがとう……。だけど、俺の夢はまだ手の届くようなところにはないんだ。自分が天才だとは思っていないし、プロになるためにはまだまだ長い道のりを進まなければいけないことも知っている」


「…………」


「だけど、お前の場合は別だ。お前は大きな夢を掴むためのチャンスが目の前に転がっているんだ。俺が心配なのはその夢を掴まずに、お前が後で後悔をしないかだ」


 俺と水川では事情が違う。本当に水川がその世界に憧れを抱いているかはわからないが、もしもそうだったら後悔のないようにしてほしいと素直に思ったのだ。夢を追うには遠慮はしてはいけないのだ。


「わ、私は……」


 俺の熱意が伝わったのか、水川はようやく少し真剣な顔で考え込む。


「私もまだよくわかっていません。確かにアイドルの子たちみたいに大勢の人の前で輝いてみたいと思わないでもないですが、それが私の夢かどうかなのかは自分でもわからないです……」


「まあ、そうだよな……」


 きっとそれが彼女の本音なのだろう。自分の本当の夢が何かなんて、そう簡単にはわからない。それどころか、本当の夢なんてものがあるかすらわからない。にもかかわらず、すぐに決断をしろと言われても困るのも無理はない。


「変に決断を迫ったみたいで悪かったな。お前のやりたいことはお前が決めればいいよ」


 そう答えると、俺は空になった皿を重ねて流しへと運ぶ。


「先輩」


「ん? どうした?」


「私、一度廣神さんに詳しい話を聞いてみます」



※ ※ ※



「先輩……起きてください、先輩っ」


 翌日、ベッドの縁に腰を下ろした水川に体を揺すられて俺は瞼を開いた。瞳を開くと水川の顔が目の前にあった。


「ん……どうかしたのか?」


「今朝、廣神さんに連絡をしたら、今日にでも話がしたいって言われちゃいました」


「はあ? ってことは、今日話を聞きに行くのか?」


「今日……というか、今、もう家の前まで来ちゃってます……」


「はあっ!?」


 俺は慌てて上体を起こす。


 どんだけ行動力のある女なんだよ……。


「先輩、私ひとりじゃ心細いです……先輩にもついてきて欲しいです……」


「いや、俺がついていっても何の戦力にもならないぞ?」


「いいです。だから、先輩もついてきてください」


 俺は寝ぼけ眼を擦るとベッドから降りた。


 それから十分ほどで支度を終えて、水川とともに家を出ると、すでにマンションの前には高級車が横付けされていた。


 たしかに、この車に一人で乗るのは気が引ける……。水川が俺を呼んだことに納得しつつも車の横に立つと、サングラス姿の廣神さんが窓を開けた。


「せっかくだから、ちょっとドライブにでも行きましょ? 二人とも後ろに乗って」


 というので、俺と水川は車に乗り込んだ。



※ ※ ※



 それから俺たちは三〇分ほど車に揺られることになった。車内では廣神さんがわけのわからない世間話をしていたが、俺と水川は適当に相槌を打つだけだった。


 どうでもいいけど、この車、どこに向かってるんだ?


 車は俺たちの住む町を抜けると高速道路に乗って、都心の方へと走っていく。そして、都心部へと到着すると車は高速を降りて、大都会の街中を猛スピードで突っ走った。


「着いたわよ」


 と、そこで廣神さんはブレーキを踏んだ。彼女の運転は少々荒いようで、急停車する車内で俺と水川は前のめりになる。


 廣神さんは車を降りて、歩き出すので俺たちもとりあえず車を降りた。


 俺は廣神さんの後を追って歩くと、水川は俺の背中をぎゅっと掴んだまま後ろを歩く。


「あの……」


 俺は廣神さんの背中に声を掛ける。すると廣神さんは前を向いたまま「何かしら?」と尋ねる。


「俺たちはどこに向かっているんですか?」


 と、そこで廣神さんは足を止めると振り返る。


 そして、


「スタジオよ」


「スタジオっ!? 俺たちは別にまだ芸能界に入るなんて……」


 そう言うと廣神さんはにっこりと微笑んだ。


「わかってるわよ。だけど、水川さんには芸能界のお仕事がどういうものなのか、知ってもらいたくてね」


 そう言うと廣神さんはスタジオらしき建物へと歩いていってしまった。

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