第九話 憧れの的
俺たちは廣神さんに連れられてスタジオに入った。どうやら廣神さんがスタジオに入場するために、許可を取っていたようで、俺たちは警備員に止められることもなく通路を進んでいく。廣神さんの後ろを歩いていた俺だったが、ふと後ろを振り返ると、水川が珍しくそわそわした様子で立ち止まっていた。
「どうかしたのか?」
「え? あ、いや、なんでもないです……」
そう答えると水川はすたすたと俺のすぐ後ろまで歩いてきて、俺の背中に身を隠すように、俺の背中を掴んだ。
「大丈夫か? 廣神さんに引き返してもいいんだぞ?」
「だ、大丈夫です……」
借りてきた猫のように、いつものような異性の良さを失う水川。
「ここよ」
と、そこで廣神さんは通路に並ぶ扉の一つの前で足を止める。一度、唇に人差し指をあててると、ゆっくりと扉を開いた。
俺は先に入室する廣神さんの後を追って部屋に入る。当然ながら俺の背中にくっついている水川も部屋に入ったが、部屋に入ると水川はなお一層力強く俺の背中を握る。
スタジオには無数のスタッフとカメラマン。そして、カメラの先には花束を持つウエディングドレス姿の美少女が立っていた。
「なんすか、これ」
俺が首を傾げると廣神さんはにっこりと微笑んだ。
「これは写真集の撮影よ。きみはあの子のこと見たことない?」
と、言われるので俺を被写体の少女を見やる。なんとなくだが見覚えがあった。が、芸能界には疎い俺には彼女が何者なのかまではわからない。
「さ、紗々ちゃんだ……」
と、そこで相変わらず背中に体を隠す水川が顔だけをひょっこり顔を出す。
「誰だよ紗々って……」
「先輩知らないんですか?
なるほど、俺がうっすらと見覚えがあるわけだ。ほとんどテレビを観ない俺ですらうっすらと見覚えがあるということは、彼女はよっぽど人気のあるタレントだということは容易に想像できる。
「優菜ちゃんも芸能界に入ったら、あんな風に売れっ子になれるわよ。私が保証するわ」
ここが好機とばかりに廣神さんが水川のすぐそばに立ってそう囁く。
「かわいい……」
水川は目を輝かせながら、撮影を見守っていた。
「はい、じゃあいったん休憩入りますっ!!」
と、そこで現場監督なのかなんなのか、それなりに地位のありそうな男が撮影を中断した。片岡紗々嬢はスタッフに花束を返すとペコペコと周りのスタッフに頭を下げる。
「ねえ、紗々ちゃん、ちょっといい?」
と、そこで廣神さんが片岡紗々を手招きする。すると、片岡紗々はそこで初めて廣神さんの存在に気がついたのか、はっとした顔をしたあと、笑みを浮かべて廣神さんの方へと駆け寄ってくる。
いや、ぶっとんで可愛いなぁおい……。
芸能人とやらをこれまで見たことのなかった俺は、彼女の可愛さというかオーラのようなものに気圧されてしまう。
「あれ? 廣神さんどうしたんですか?」
と、片岡紗々はスカウトがここにいるのが不思議だったようで、首を傾げる。
「うん、ちょっと彼女に撮影を芸能界のお仕事を見せてあげようと思ってね」
そう言って水川の肩に手を置く。水川は「ひゃっ!?」と短い悲鳴を上げると、俺の背中から恐る恐る前に出る。
「お仕事中にお邪魔してすみません。私、水川優菜っていいます……」
そう言って水川は頭を下げる。
その普段とはあまりにも違う恐縮しきった姿に思わず笑ってしまいそうになる。それだけでも、彼女が芸能界という世界にいかに憧れを抱いているのかが想像できる。
水川の挨拶に片岡紗々はクスッと笑う。
「そんなに恐縮しなくてもいいんだよ。片岡紗々って言います。よろしくね」
そう言って水川に手を差し伸べた。どうやら握手をしようとしているようだが、水川は怖気づいて目を点にして固まっている。
「水川?」
俺が声を掛けると水川ははっとしたように、慌てて手を出して顔を真っ赤にして握手をする。
「か、かわいい……」
思わず水川からそんな声が漏れる。すると片岡紗々はクスッとまた笑う。
「あなたの方が可愛いじゃない。私、何年かこの世界にいるけど、あなたぐらい可愛い女の子ほとんどいないわよ」
と、営業トークなのか本音なのか片岡紗々は水川の顔を見つめながらそう言った。
「そ、そんなことないです。紗々ちゃんの方が可愛いです。私、紗々ちゃんのことSAKURAMOCHIにいたことから、応援しています……」
と、そこで俺はSAKURAMOCHIという言葉に引っかかる。そして、しばらく考えたところで思い出す。そうだ、彼女はきっと水川の日記に書かれていたアイドルの女の子だ。なるほど、水川が恐縮する理由がよくわかった。
と、そこで片岡紗々はハッとしたように目を見開いた。
「もしかして、あなた、何度かライブに来てくれたことがある子?」
そう尋ねる片岡紗々に水川は顔を真っ赤にしたままコクリと頷く。
「やっぱりそうだ。何となく見たことがあるなって思ってたけど、握手会に何度か来てくれた女の子だよね。覚えてるよ?」
承認欲求を満たされた水川は嬉しすぎたのか昇天しそうになっている。
と、そこで片岡紗々は俺を見やった。
「あなたは……マネージャーさん……にしては若すぎるよね?」
「あ、ああ、俺は――」
「え、え~と、この子はなんていうかその……そう、優菜ちゃんのお兄ちゃんなの」
と、廣神さんが急場しのぎの嘘のようにそう俺を紹介する。
いや、合ってますよ。なんで、まるで嘘をついているみたいに俺を紹介するんですか?
「彼女の兄です……」
と、俺が頭を下げると、片岡紗々はしばらく不思議そうに首を傾げていたが「そうなんだ。よろしくね」と、俺にも手を差し伸べた。
少し躊躇いがあったが、手を差し伸べて握手を交わす。
あ、柔らかい……芸能人って手も柔らかいんだ……。
と、妙に感心しながらしばらく握手をして手を放した。
「鼻の下、伸びてますよ……」
そんな俺を水川が冷めた目で見つめる。
「う、うるさいなあ……」
俺が顔を真っ赤にして顔を背けると、それを見て片岡紗々はさらに笑う。
「仲のいい兄妹さんなんだね」
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