第七話 秘密の花園
結局、冴木さんとお茶をして、そのあと、適当に街を散策していると夕方になっていた。本屋の袋をぶら下げながら公園を歩いていると、前方の茂みがガサゴソと動くのが見えた。
猫か?
足を止めて首を傾げる。が、なんだか猫にしては音が大きい気がする。俺は恐る恐る、茂みに近づくとぎょろりと目玉が二つ見えて、驚きのあまり尻もちをつく。
「うわっ……」
「私の隠れ身の術を見破るとはなかなかね」
そんな声とともに茂みから誰かが立ち上がる。
それはさっき猫カフェで窓にへばりついていたスカウト、廣神月菜だった。
「いや、あんた、普通の登場のしかたはできないのかよ……」
「ごめんね、仕事柄どうしてもね」
「スパイでもスカウトすんのかよ……」
廣神さんのその度肝を抜かれる登場に、俺はドン引きしながらも彼女を見つめていると、彼女はスーツについた草を払って微笑んだ。
「私がどうしてここに来たかは……わかるわよね?」
と、尋ねるので俺は彼女から顔を背ける。
「さあ、皆目見当が付きませんね」
「じゃあ、もう一度説明するわね。私は水川優菜をトップスターにするために、ここに来たの」
「へいへい、そうですか。ならば水川本人のところに行けばいいんじゃないですか?」
そう尋ねると廣神さんはため息を吐く。
「それができれば、困らないんだけどね……。あの子、私の話には聞く耳を持たないのよ」
「まるで、俺が聞く耳を持っているような言い方しないでくれませんか?」
そう言うと、廣神さんはぬっと俺に顔を近づける。
「ほら、あなたなら色仕掛けをすれば、少しぐらいは話を聞いてくれそうじゃない?」
「なっ……」
廣神さんは接近した俺の顔の前でニヤリと不敵に笑みを浮かべる。
本当に顔だけは、本当に顔だけは良いだけに、思わずドキッとしてしまう自分が心から憎い。
が、残念ながら、俺のところに来たところで埒は明かない。
「残念ながら、俺のところに来ても無駄ですよ……」
スカウトが水川を芸能界に入れたいとして、俺には関係のない話だ。
「そうかしら、水川優菜はあなたにひどく肩入れをしているみたいじゃない? あなたが私の代わりに説得すれば、あの子だってもしかしたら……」
「それはないと思いますよ。だいたいあいつは芸能界には興味がないって言ってましたし」
そうだ。確か前に彼女はその手の業界には興味がないと言っていたはずだ。だとしたら、仮に俺が何を言ったところで時間の無駄である。
が、そんな俺の言葉に廣神さんは再びニヤリと笑う。
「それは嘘ね」
と、やけに確信めいた言い方をする廣神さん。
「へぇ……ずいぶん自信があるんですね。何か根拠でもあるんですか?」
「スカウトとしての勘よ」
想像以上に根拠が薄かった。
が、愕然とする俺に構うことなく、彼女は続ける。
「それにね、私が彼女を見つけたきっかけは鳥プロに所属するアイドルのライブに彼女が一時期通っていたからよ」
「水川がアイドルのライブにっ!?」
「きっと彼女はアイドルや芸能活動に興味があるはずよ。だけどきっと自分に自信がないのね。あんなに可愛いのに可愛そうだわ……」
その予想外過ぎる言葉に俺は耳を疑う。少なくとも俺には彼女の口からアイドルに興味があるなんて言葉は一度も聞いたことがない。
「嘘だと思うのなら、本人に聞いてみれば?」
「…………」
呆然とする俺に水川は再び名刺を渡す。
「いや、持ってますけど……」
「それは会社用の名刺よ。こっちは個人的な名刺。私のプライベート用のメッセージアプリのアカウントと、ケータイ番号が書かれてるからネットに拡散しないでね」
そう言うと廣神さんは「じゃあ、またね」と俺の肩をポンポンと叩いてどこかへと歩いていこうとしたが、すぐに「やばっ、駅ってこっちだったっけ?」と首を傾げるので、黙ってい昨日方向を指さすと、そちらへと駆けて行った。
※ ※ ※
正直なところ、廣神さんの話は信じられなかった。そりゃそうだ。あの怪しい女が言うことを鵜呑みに出来るほど俺の脳みそはピュアではない。俺はマンションのカギを回して部屋に入る。リビングの明かりはついていた。既に水川は帰宅しているようだ。
「ただいま」
と、言ってみるがリビングから返事はない。
ん?
少し不審に思いつつもリビングのドアを開けると、テーブルに突っ伏して静かに寝息を立てる水川の姿があった。テーブルにはファッション雑誌が無造作に広げられており、どうやら雑誌を読んでいるうちに寝落ちをしてしまったらしい。
きっと初めてのバイトで疲れたのだろう。彼女を起こすのは可愛そうだと思った俺は、彼女をそのまま寝かしてやることにした。が、そのままでは風邪を引いてしまいそうなので、彼女の部屋まで毛布を取りに行く。
彼女の部屋のドアを開けて、蛍光灯をつけると俺と同じ家だと思えないほどに片付いて、かつ何やらいい匂いのする空間が目の前に広がった。俺はそのまま例のお姫様ベッドに腰を下ろして、毛布を手に取った。
が、そのときふと彼女の勉強机に目が行く。
そして、さっきの廣神さんの水川が芸能界に興味があるという言葉を思い出す。
しばらく、机を眺めていたところで、不意に魔がさした。
ちょっとぐらいなら……。
机の引き出しに手が伸びる。どうしようもなく、自分のやっていることが、モラル的に問題があることはわかっているが、一度、火のついた好奇心を沈下させることができなかった。
できるだけ音が立たないように、ゆっくりと引き出しを引く。
「…………」
中にはノートとペン入れが整理整頓されて並べられていた。一番上のノートを手に取ってペラペラと捲ると、俺がちょうど一年前に習った数学の計算式がきれいな文字で記入されている。半分の懐かしさと、半分の背徳感に苛まれながら水川の文字を眺めているとふと、我に返る。
いかんいかん……何やってんだ俺……。
慌ててノートを引き出しに戻そうとしたとき、ふとノートの下に、布の表紙の分厚い日記帳を俺は見つけてしまった。
「さすがに……やばいよな……」
と、頭では理解しているのだが、俺の手はゆっくりと日記帳へと伸びていく……。
ちょっと見るだけ……これはあくまで兄として妹の生態を理解しておく必要が……いやいや全然、擁護できねえ……。
気がつくと日記帳を開いていた。
『七月○日、先輩と一緒にお母さんとお父さんのお見送りに空港に行った。お母さんとお別れするのは寂しいけど、先輩と一緒なら我慢できる。先輩は不器用だけど、心優しいお兄ちゃん。お兄ちゃんになる人が先輩で本当によかったと思う。今日の先輩は私の作ったカレーを美味しそうに食べていた。本当に先輩は子どもの好きな食べ物が大好きで可愛い』
…………。
読んだ瞬間に胸が締めつけられるような気がした。本当に水川は健気で優しい女の子だ。そんな彼女の日記帳を読んでいる自分の、汚さに反吐が出る。
が、俺の探しているページはこれではない。俺は日記帳の初めのあたりを捲る。そして、見つけた。
『二月○日 お姉ちゃんにSAKURAMOCHIのライブに連れて行ってもらった。今日は紗々ちゃんのセンターの曲が多くて嬉しかった。今日の紗々ちゃんの髪型が可愛かったので、今度真似してみようかな。同じ年の女の子があんなに大勢の人の前で輝いているのを見ると少し羨ましく思うときがある。私もあんな風にステージに立ってみたいなぁ』
「っ…………」
なんというか衝撃的だった。少なくとも俺は水川がアイドルに憧れを抱いていたことを、この時初めて知ったのだ。つまり、廣神さんの言っていたことは本当だったというわけだ。本当に芸能界に入りたいと思っているかはわからないが、少なくとも、その世界に興味があるという事実だけでも俺にとっては衝撃的な事実だった。
他にもないのか?
気がつくと、日記帳を夢中で眺めていた。
『七月○日、先輩と少し気まずくなってしまった。先輩は私を心配してくれてシンガポールに行けと言ってくれた。だけど、私の気持ちは揺れている。できればお母さんと一緒に暮らしたかったはずなのに……いつの間にかそうじゃなくなっていた。私は本当は自分の気持ちがわかっているのに、シンガポールについていくなんて言っちゃった。でも、本当は先輩と一緒に暮らしたい。だっては私は先輩のことが――』
「私の下着が欲しいのなら、あっちの引き出しですよ?」
と、そこまで読んだところで、誰かが耳元で囁いた。
「うわぁっ!!」
俺は驚きのあまり大声で叫んでしまった。その叫び声に水川は「きゃっ!?」と短い悲鳴をあげた。
「み、み、水川、起きてたのかよっ!?」
依然として心臓がバクバクになりながら、俺はかろうじてそう答える。
「ちょっと物音がして目が覚めました。先輩ったら、私が眠っている間に、私の下着を物色するなんて、本当にイケないお兄ちゃんですね」
「い、いや、そんなんじゃないから……」
と、否定しつつも何も弁明ができない。日記を読んだのがバレたという事実に、俺の動揺は隠せない。
そして、水川もまた俺をからかいつつも、頬がわずかに紅潮しているのがわかった。
「じゃあ、何をやってたんですか……」
「それは……その……」
と、とっさに言い訳を考えようとしたが、何も思いつかない。こうなったら、もうどうしようもない。
「ごめん、水川、出来心だったんだ」
俺は素直に水川に頭を下げるという選択肢を取った。
そんな俺に水川はしばらく何も答えなかったが、不意に「頭を上げてください」と呟いた。
「実は今日、廣神さんに会って水川がアイドルに興味があるって聞いたんだ。それで、それが本当なのか確かめるためについ、日記帳を……」
最低な兄だな。本気でそう思った。水川は俺の釈明にさらに頬を紅潮させると、俺から視線を逸らす。
どうやらそれは図星だったようで、さらに言えば、そのことを俺に知られることは彼女にとっては恥ずかしかったようだ。
が、しばらく俺から顔を背けて、不意に視線だけをこちらに向けた。
「ま、まあ、私も先輩の小説を勝手に読んだのでお互い様です……。それに私、先輩にバレないように時々先輩の部屋を物色してますし……」
「なんかこの状況で怒れないけど、それは知らなかったぞ……」
だいたい、俺の部屋を見て何の得があるんだよ。
「残念ながら、先輩のえっちぃ物は見つけられませんでした……」
「どさくさ紛れに何言ってんの? まあ、今の俺には何を言う資格もないけど……」
あと、えっちぃのは全部データで持っているから、きっと見つけられないぞ。
「えっちぃのはパソコンからしか見つけられませんでした」
バレてたんかいっ!!
「今回はお互いさまってことでいいんじゃないですか? お互い、プライバシーは守るってことでここは手を打ちましょう」
「そ、そうだな……」
そう言って水川は俺に右手を差し出したので、俺はその手を掴んでがっちり握手を交わした。
と、何とか和解に持ち込むことのできた俺だったが、肝心の疑問がまだ残っている。
「それはそうと……水川……」
「なんですか?」
「お前、本当に芸能界に興味はないのか?」
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