第十六話 マシュマロみたいな感触

「友一くん、そこの支柱おさえてくれる?」


「こうですか?」


 放課後、三人で俺の自宅マンションへと帰宅した俺たちは、ちょうど配達されてきた水川のベッドを組み立てていた。できれば冴木さんは抜きで二人でやりたかったが、冴木さんへの嫌悪感を水川の前で露骨にするわけにもいかず、とりあえずは冴木さんを慕っている風を装って一見仲良く作業を進める。


 どうでもいいけど、数週間前の俺に自分の家に先輩殺しと後輩殺しがいるなんて話しても絶対に信じないだろうな。


 冴木さんは俺の支える支柱にフレームをはめ込むと、押し入れで眠っていた電動ドライバーを使って、それを固定する。


 どうやら、俺よりも彼女の方がこの手の容量はいいようだ。


「あとは、マットレスを乗せれば完成ね」


 そう言って冴木さんは満足げに額の汗を拭う。


「さすがは涼花さんです。先輩と二人だったらあと二時間は完成に時間がかかっていましたよ」


「それはさすがに謙遜しすぎよ。ここのお店は素人でも簡単に組み立てられるのが売りなんだから」


 と、冴木さんは照れたように頭を掻いた。


 が、確かに俺と水川ならば二時間は掛からないにしても、長丁場になっていたのは事実だ。なんてたって俺は、昔親に買ってもらったカンプラの顔のパーツと足のパーツを、間違えてはめるレベルの工作音痴だ。認めたくはないが冴木さんの助力がなければと思うとぞっとする。


「ありがとうございます」


 ここは素直に感謝の言葉を述べておこうと頭を下げておく。


「お礼なんて言わないで。友一くんがサポートしてくれたから予定よりも早く終わったの。きっと私と友一くんの相性が抜群なのよ」


 俺が頭を下げたのがさぞ、嬉しかったのか冴木さんはわけのわからないことを言うので、俺はすかさず「いえ、相性の問題ではないです。ただ、冴木さんの容量がいいだけです」と、相性の部分だけそれとなく否定しておく。


 そんな俺と冴木さんの姿を交互に眺めながら、水川は少し不思議そうに首を傾げる。


「さっきから不思議だったんですが、先輩と冴木さんっていつそんなに仲良しになったんですか?」


「仲良くなんかねえよ」


 俺がすかさずツッコミを入れると水川は「そ、そんなに強く否定しなくてもいいじゃないですか……」と驚いたように俺を見つめる。


「い、いや、なんていうかこれは……」


 しまった……。


「そうなの。実は昨日の夜、ばったり友一くんと会って、そこで軽く話したらすっかり打ち解けちゃって」


 と、そこで冴木さんが俺に助け舟を出すようにそう言った。


「そうなんですね。先輩と涼花さんが思ったよりも早く打ち解けてくれて、私も嬉しいです」


 何も知らない水川は本当に嬉しそうに屈託のない笑みを浮かべる。


 俺は冴木さんを見やった。彼女は俺のことを微笑みながら眺めていたが、その目からは『可愛い優菜ちゃんを悲しませたくなければ、私とは仲良くしておくことね』というテレパシーを受け取る。


 その顔は『微笑みの天使』というよりは『ほくそ笑む悪魔』と言ったほうがよっぽどしっくりくる。


 が、冴木さんのそのテレパシーには一理あるのも事実だ。俺と彼女が露骨にドンパチやるのはおそらく水川を悲しませるだけだ。


 俺は下唇を噛みしめてほくそ笑む悪魔を睨んでやったが、彼女は満足げに笑みを浮かべるだけだ。


「ねえ、優菜ちゃん、シャワーを借りてもいいかしら?」


 と、そこで冴木さんは再び額の汗を拭いながら水川にそう尋ねる。冴木さんの言葉に水川は少し困ったように俺を見やる。


 どうやら、俺に判断をゆだねたいようだ。


「ええ、構いませんよ」


 そう答えると冴木さんは「気を遣わせてごめんね。だけど、ちょっと汗を流したくて」と表向きは申し訳なさそうに俺を見やる。


「いや、手伝ってもらったんですから、シャワーぐらい自由に使ってください」


「じゃあ先輩、シャワーの使い方を涼花さんに教えてあげてください。私も一応は使い方はわかりますが、先輩ほど詳しくはないので。あ、あとタオルとかは私のを使ってください」


「じゃあ友一くん、お願いね」


 そう言って部屋を出ていく冴木さん。俺はしぶしぶ彼女を風呂場へと案内する。


 バスルームへと彼女へと案内すると、極力手短にシャワーの使い方を説明する。


 必要最低限の説明を、素早く説明し終えた俺が早々に風呂場を後にしようと振り返ると、冴木さんは何やらニコニコと笑みを浮かべながら俺を見つめていたのだが……。


「お、おい、ちょっと待てっ」


 振り返ると既に冴木さんはブレザーを脱いでおり、スカートのファスナーに手を掛けようとしていた。


「え? シャワーを浴びるのに服も脱がせてくれないの? それとも友一くんはずぶ濡れの女の子に興奮するタイプなの?」


「あんたは俺をどんな変態だと思っているんですか? せめて服を脱ぐのは俺が出て行った後にしてください」


「別にいいじゃない。私、友一くんに裸を見られても全然平気よ?」


「俺が平気じゃないんです。とにかく、服を脱ぐのは少し待ってください」


 どうやらこの女は是が非でも俺となにかしらの既成事実を作って、俺と水川の関係にひびを入れたいらしい。


「友一くんも一緒に汗流す?」


「流さねえよ」


「そんなに強く否定されると、私、女のとしてのプライドが傷ついちゃうな。私の裸ってそんなに魅力がないかしら……」


「っ…………」


 そんなの興味がないわけがない。そりゃ、彼女の容姿だけは他を圧倒している。そんな彼女の身体に興味のない男子高校生なんて、少なくともうちの高校にはいない。


 が、それとこれとは話が別だ。


「ごめんね、もしかして私、友一くんを変な気持ちにさせちゃった?」


「そんなんじゃないです。と、とにかくシャワーは一人で浴びてください。タオルは水川のが、そのバスケットに入っているので、それを使ってください」


 顔を真っ赤にして説明する俺を見て、冴木さんは何が可笑しいのかクスクスと笑っていた。


 自覚のある美人ってのは本当に質が悪い。


「一人が寂しいなら水川とでも入ってください。じゃあっ」


 そう言って俺は半ば強引に風呂場を後にした。


 部屋に戻ると、ベッドには既にマットレスが敷かれており、水川がうつぶせで寝そべって足をパタパタさせていた。


「新しいベッドはどうだ?」


 そう尋ねると水川は顔を俺の方へと向けて、ご満悦気な笑みを浮かべていた。


「最高です~。このベッドまるで天国ですよ~」


 どうやらかなり気に入ったらしい。俺がそんな水川の姿に思わず頬をほころばせていると、彼女がベッドの縁をポンポンと叩く。


 どうやら俺に座れということらしい。


 お言葉に甘えてベッドに腰を下ろすと、尻がマシュマロのような感触に包まれる。なるほど、彼女がご満悦になるわけだ。


「まるで涼花さんのおっぱいみたいです……」


「いや、それを俺に言ったところで共感は得られないぞ」


「先輩」


 と、そこで水川が俺を呼ぶと同時に俺の制服の裾をぐいぐいと引く。


「なんだよ」


「先輩は涼花さんに相当気に入られたみたいですね」


「またまた御冗談を」


「そんなことないですよ。涼花さん、先輩と話してるとき、すごく楽しそうな顔をしています」


 なるほど、水川は冴木さんと長い月日を共に過ごしてなお、彼女の本当の姿を知らないようだ。あの女は決して『微笑みの天使』なんかではない。あの女は『ほくそ笑む悪魔』であって、それ以上でも以下でもない。


 と、そこで水川は上体を起こすと、俺の隣に座って、覗き込むように俺の顔を見つめた。


「なんだよ……」


 水川が俺の顔に手を伸ばした。俺が首を傾げていると突然、頬に激痛が走る。


「いててててっ!!」


「先輩ったら表情が強張ってますよ。もっと笑ってください」


 水川はそう言って俺の量頬をつねる。


「わはっはよ。わはったはら、その手をはなれ……」


 そこでようやく頬が解放される。


「なんなんだよいきなり……」


 水川を睨むと、彼女は「えへへ、ごめんなさい」と素直に謝ってきた。


「先輩、涼花さんから、私と仲良くするなとか言われなかったですか?」


「なっ……」


 唐突に水川がそんなことを言い出すので、表情が隠せなかった。


「なんだよ。知ってたのかよ……」


「はい、涼花さんは昔から私に近づく男の人を、遠ざけようとするので……」


 水川は苦笑を浮かべる。が、すぐに柔和な笑みを浮かべると俺を見つめる。


「だけど、涼花さんのことは嫌いにならないでくださいね」


「そ、それはどうだろうな……」


「まあ、先輩が涼花さんを鬱陶しく思うのもしょうがないです……」


 少しだけ表情を曇らせる水川。本当に彼女は表情豊かな女の子だ。


「だけど、先輩はちょっと違います」


「違う? 何の話だよ」


「涼花さんの反応ですよ。涼花さんはいつも私に近づいてくる男の人に、わざとらしく接近して好きにさせてポイするんです」


「本当にひどい女だな」


「まあ私もそのやり方はどうかと思います。だけど、きっと涼花さんは私のことを心配してくれているんですよ」


「にしたって、あれはやりすぎだ……」


「だけど、先輩に対しては少し違うような気がします。涼花さん、先輩をからかっているとき、凄く楽しそうな顔をしているので」


「俺には邪悪な笑みにしか見えないけどな」


「きっと涼花さんは天邪鬼なんですよ」


「天邪鬼ねえ……」


「きっと涼花さんは先輩のこと、嫌いじゃないと思いますよ。って言っても、これはあくまで私の予想ですが……」


 正直なところ水川の話を素直に鵜呑みにすることはできなかった。が、水川が俺と冴木さんに仲良くいてほしいという気持ちは伝わってくる。


「本当はちょっと嫉妬しているんですよ」


「嫉妬? 何をどう嫉妬する必要があるんだよ」


「ほら、涼花さんは美人だし、私にはない包容力もあります。正直、女としての魅力は涼花さんの方が圧倒的に上をいってますし……」


「あのなあ、俺とお前は兄妹で」


「知ってます。だけど、嫉妬ぐらいさせてください」


「…………」


 よくわからないが、彼女は何かを心配しているようだった。が、きっと彼女の不安は杞憂である。だから、そのことをちゃんと彼女に伝えて安心させてやらなければならない。


 俺は水川の頭の上にポンと掌を乗せる。掌に彼女のさらさらの髪の感触が伝わる。


「お前の本末転倒な兄妹愛には疑問はあるが、少なくとも俺は水川の兄になる覚悟は決めているんだ。それだけは信じてくれて大丈夫だ。俺はお前だけのお兄ちゃんなんだから」


 なかなか自分でもこっ恥ずかしいことを言ってなと思う。だけど、少なくとも水川の兄として、彼女の不安を取り除いてやりたいという気持ちに嘘はないと信じたい。


 そんな俺の顔を水川はしばらくじっと見つめていた。が、不意に悪戯な笑みを浮かべる。


「先輩ってなかなか臭いセリフを言いますね」


「なっ!! あ、あのなあ、俺はお前のことを心配してだな……」


「だけど、お兄ちゃんになるのが先輩でよかったとも思います」


「…………」


 俺が顔を赤くして反応に困っていると、彼女は俺の腕にしがみつく。


「これからもよろしくお願いしますね。お兄ちゃん」


 水川は俺の顔を見上げると屈託のない笑みを浮かべた。

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