第十七話 妹の誕生日と娘の誕生日
休日。朝食を終えて、リビングのソファでくつろぐ俺と、何やら鼻歌を歌いながら、カレンダーにバツ印をつける水川。どうでもいいけど、空想の世界以外でカレンダーにバツ印を付けている人を俺は初めて見た。
何気なくそんな姿を眺めていた俺は、ふとあることに気がつく。
「その星マークなんだ?」
水川が義務のように毎日バツ印を付けるカレンダー、最後にバツの付けられた昨日から一日後、つまりは今日の日付にでかでかと星マークが付いている。
「あぁ、これですか?」
「それそれ」
水川が何故か嬉しそうに指さす星マークに頷くと、水川は「それはですねぇ……」と妙にもったいぶる。
「私がこの世に生を受けて一六年が経ったことを教えてくれる日です」
「素直に誕生日って言えよ」
「そうとも言います」
なるほど、水川が嬉しそうに語るわけだ。正直、俺にとってはあまり意味を持たない通過点でしかないが、世間一般的の女の子的には高さ三センチもある星を書くレベルには大事なイベントのようだ。
ましてや相手は
「おめでとうございます」
馬鹿丁寧に頭を下げると、水川も「ありがとうございます」と馬鹿丁寧に頭を下げてきた。
誕生日か……。妹のいたことのない俺には妙に考えさせられるイベントだ。何せ、俺は十年前後父親と二人暮らしを続けてきたのだ。いつか父親に誕生日プレゼントを買ってきたこともあったが、アラフォーの男にとって誕生日とは、年老いていく自分に憂鬱になる日でしかないらしく「嫌なこと思い出させてんじゃねえ」とぶん殴られて以来何もしていない。
まさか十六歳の水川が、そんなことを憂うとも思えないとなると何かしらのプレゼントを渡した方が無難か。ただでさえ彼女と兄妹になってから俺は彼女の世話になりっぱなしだ。この間、ペンダントをプレゼントはしたが、その時は彼女も俺に同じものをくれたし、ここは一つどでかい恩返しをしておいたほうがいい。
そんなことをぼーっと考えていると、いつの間にか水川は俺の前に立っていた、いつもの意地悪な笑みで俺の頬をつついてきた。
「本当に先輩は、優しいお兄ちゃんですね」
「俺、何かまた独り言を言っていたか?」
「さあ、どうでしょう?」
水川はすっとぼけると、そのまま俺に背を向けて玄関へと歩いていく。
「どこか行くのか?」
「はい、今日は涼花さんと遊ぶ約束をしているので」
なるほど、人気者の誕生日は忙しいらしい。
※ ※ ※
結局、俺は昼過ぎまでソファでダラダラしてから家を出た。
家を出た目的は彼女の誕生日祝いを買うためだ。当然ながら、俺には彼女の趣味はわからない。が、俺にだって策はあるのだ。
俺は彼女がテーブルに置きっぱなしにしていたファッション雑誌を開くと、彼女がドックイヤーしていたページをいくつかカメラで取り込むと、その中から、俺でも手の届きそうな物をいくつか絞り込んだのだ。
が、結局、隣町のショッピングモールまで足を運んでも、同じものは見つからず、似たようなイヤリングを買って家路に就く。が、のどが渇いたので、帰宅途中の公園でジュースを飲むことにした……のだが……。
急に不安になってくる。
同じ物と似た物では雲泥の差があるのではないか……。
残念ながら、俺は女の子のセンスなんてわかりっこない。俺は似ていると感じて購入したイヤリングだが、彼女にとっても似ているとは限らないのだ。下手な物を買って、彼女が気を遣って、義務を感じながら好きでもないイヤリングを付けられた日には目も当てられない。
「やばいな……」
安くはなかったその買い物が、まったくもってありがた迷惑だったとしたら……。
そんなことを考えていると、今更後悔の念が沸いてくる。
俺は今一度、購入したイヤリングと雑誌のイヤリングが本当に似ているのかどうか、確認するために袋を慎重に開ける。プレゼント用のリボン付きのステッカーを馬鹿丁寧に外すと、中身を取り出した。
「俺の目には瓜二つなんだけどなあ……」
と、あくまで俺の主観的には似ていることを確認する。が、ひとたび女の子の目と言うものを気にし始めると、本当に似ているのか不安になる。
「まあ、なるようになるか……」
俺はこれ以上、考えても無駄だということにようやく気がついて、イヤリングを袋に戻そうとした……が。
その直前に俺の掌の上を黒い何かが申すピートで通過した。直後、それまで手のひらに乗っていたはずのイヤリングがきれいになくなっていた。
「なっ!?」
俺は慌てて上空を見上げると、そこにはどこかへと飛んでいくカラスの姿と、そのくちばしで太陽に反射して光る何かが見える。
嘘だろ……。
その決して手の届かぬカラスを、鼻水をたらしながら驚愕のまなざしで眺めていると、直後、カラスのくちばしからイヤリングが落下した。落下したイヤリングは公園の茂みへと落ちていく。
俺は慌てて茂みへと駆けつける……が、
「この中から探せって言うのかよ……」
巨大な公園を囲むその茂みは落ちたであろうと思われる一角だけでも、十メートルほどの長さはあり、とてもじゃないがひと目でイヤリングの落下地点など特定できない。
が、探す以外の選択肢はない。
俺の懐事情ではもう一度買いなおすことなんて出来そうもない。
ため息を吐くと、渋々茂みの中に足を踏み入れる。
が、当然ながら、そうやすやすと見つかるわけもなく、気がつくと両脚はくっつき虫だらけになっていた。
あたりも薄暗くなり始めている。
俺はスマホのライトを点灯して、捜索を再開しようとするが、その直後、耳元から声がして振り返る。
「探し物はなんですか? 見つけにくいものかしら?」
いつの間にか、俺のすぐ隣にスーツ姿の女がしゃがみ込んでいた。女性はなにやらにっこりと笑みを浮かべたまま首を傾げていた。
とんでもない美女。
「何か落としちゃったの?」
「え? い、いやなんというかそれは……」
突然、目の前に現れた美女にあたふたしていると、美女はクスクスと笑う。
「人には見せられない物でも落としちゃったのかしら?」
「い、いや、ただの誕生日プレゼントですよ」
慌てて釈明すると女性は目を見開く。
「それは大変っ!! 私も一緒に探してあげるから、暗くなる前に見つけましょ?」
「いや、そこまでしてもらう必要は……」
「だって、そのプレゼント、きみの大切な人に渡す物じゃないの?」
「そ、そうですけど……」
「じゃあ、一緒に探しましょ?」
と、言ってスーツが汚れるのも厭わず、女の人は茂みに入ってくる。そんな彼女を眺めながら、とてつもなく申し訳ない気持ちになってくる。
俺も慌てて、茂みに戻るとスマホのライトを使って捜索を開始する。
いよいよ見えづらくなってきた。これは本格的にあきらめなければならないかもしれない……。
五分ほど探したところで、不意に美女は俺の方を見やった。頬には少し湿った葉っぱが張り付いている。
「一つ聞いてもいいかしら?」
「なんですか?」
「あなたが落としたものって何かしら?」
「逆に、この五分間、何を探していたんですか?」
もしかしたらこの美女は少し馬鹿なのかもしれない……。
※ ※ ※
それから一時間ほど二人で探した。さすがにあたりもすっかり暗くなり、とてもじゃないがこの茂みからたった数センチのイヤリングを探し出すのはキツくなってきた。が、美女は相変わらず、躊躇うことなく茂みに足を踏み入れてイヤリングを探してくれている。
「もしかして、恋人にプレゼントするの?」
茂みに手を突っ込みながら、美女はそう尋ねてきた。
「いや、そんなんじゃないです」
「ってことは、まだ片思いなのかしら?」
「違います。渡すのは妹です。今日は彼女の誕生日なので」
そう答えると美女は「あら?」と不思議そうに首を傾げる。
「奇遇ね、うちの娘も今日が誕生日なのよ」
「へえ……奇遇ですね。今、何歳なんですか?」
「上の娘が高三で、下の子が高一よ」
「はあっ!?」
俺は思わず目を見開いて彼女を見やった。そんな俺に今度は美女が目を見開く。
「私、何か変なこと言ったかしら?」
「いや、だって……」
信じられなかった。少なくとも俺は彼女を二〇代だと推測していたのだ。とてもじゃないが、高校生の娘が二人もいるような年齢にはとてもじゃないが見えない。
「あんた何歳なんだよっ」
言ってからため口を聞いたことと、女性に年齢を聞いたことの二重で失礼なことを口にしたと気がついた。
「す、すみません……」
慌てて謝った。が、美女はそんな俺を見てクスクスと笑う。
「私、四〇代よ? 高校生の娘がいてもおかしくない年齢だと思ってたけど、そうでもないのかしら?」
「いや、とても四〇代には見えないから驚いているんですよ……」
美魔女……。
俺は我が目を信じることができなかった。何をどう頑張っても彼女が四〇代には見えない。
「ありがとう。お世辞でもそう言ってくれると嬉しいわ」
そう言ってまたクスクスと笑いながら、茂みに手を突っ込む。
が、その直後。
「もしかして、これかしら?」
そう言って彼女は茂みから手を引っこ抜いた。その手に握られていたのは、小さなフィルムにくるまれたイヤリングだった。
「そ、それですっ!? 間違いないですっ」
慌てて彼女に駆け寄ると、イヤリングを確認する。
やっぱりこれだ。
半ば諦めていただけに、俺が驚いた表情でイヤリングを眺めていると、彼女はにっこりと笑みを浮かべたまま、そのイヤリングを俺に差し出した。
「見つかって良かったわね。大切妹さんのプレゼント」
「あ、ありがとうございますっ!!」
俺は深々と頭を下げる。
「いや、なんてお礼を言えばいいかわからないぐらい嬉しいです。そんでもってすみません……」
「いいわよ。そんなに喜んでくれるんだもん。私も頑張りがいがあるわ」
天使だ。まるで天使のような美女。俺は、世の中まだまだ捨てたもんじゃないと、思いながら何度も何度も頭を下げる。が、頭を上げてふと彼女を見やり、俺は疑問に思った。
何かが足りない。
彼女を見てふとそんなことを思い、その疑問の答えはすぐにわかった。
「イヤリング」
「大切なイヤリングだもんね」
「いや、そうじゃなくて……」
俺は彼女の右耳を指さす。
「イヤリング、してませんでしたっけ?」
と、そこで彼女はようやく俺の言葉の意味を理解して、自分の右耳に手を触れた。そして、その直後、彼女の表情が青ざめた。
「大変っ!? 落としちゃったみたいっ!?」
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