第十八話 誕生日の寂しい夜に

 一難去ってまた一難。ようやくイヤリングを見つけ出したと思ったら、また振出しに戻ってしまった。が、当然ながら、俺のイヤリングが見つかったらといって、俺だけ帰るようなことはできない。これはとことん付き合うしかなさそうだ。


 それに彼女の青ざめた顔を見れば、そのイヤリングが大切な物だってことぐらい、すぐにわかる。


「特徴を教えてください。正直、どんなのだったか覚えていないです」


「特徴っ!? そ、そうね、金属製で耳たぶにつける飾りみたいなやつかな」


「いや、イヤリングの概念は知ってます……。そうじゃなくて形とか大きさとかもっとこう具体的な……」


 彼女はとんでもない美人だ。高校生の俺なんかにはどう頑張っても手の届きそうもない、色気のある大人の女性だ。


 が、なんだか彼女はその美貌と引き換えに、何かとんでもないところが抜けているような気がする。


 呆れる俺を見て彼女はハッとしたような顔をして、そこでようやく特徴を伝える。


「え、え~と、ハートの形で一センチぐらいかな……。シルバーで出来ていて、ハートの中は薄ピンク色の宝石がはめ込まれているの……」


「わかりました。とりあえず探してみます」


 とりあえずそれだけわかれば大丈夫だ。俺は再び草むらに足を突っ込むと、手で草木を丁寧に描き分けていく。が、スマホのライトをしようしてもなお、視界ははっきりとしない。


 彼女は俺のイヤリングを探すために、動き回っていたし捜索範囲は広すぎる。正直なところ、見つけ出すのは絶望的だ。


「ごめんね、私、余計なことしちゃったね……」


 女性は申し訳なさそうに俺を見やる。


「今は俺に謝っている場合じゃないでしょ。それに、あなたがいなければ俺のイヤリングもきっと見つかっていないです。困ったときはお互い様ですよ」


 と、彼女をフォローするが、やはり彼女は何度も「ごめんね」と繰り返しながらイヤリングを探す。


「そんなに大切なイヤリングなんですか?」


 草木をかき分けながら尋ねる。


 まあ、大切なのだから必死に探しているんだろうけど……。


「う、うん、あのイヤリングはどうしても、なくすわけにはいかないの……」


「理由を聞いてもいいですか? ほら、理由がわかれば、何が何でも探し出さなきゃって、やる気も出てきますし」


「え、え~と……それは……」


「あ、ごめんなさい。冗談です。無理に話さなくても必死で探しますから……」


 何気なく尋ねたつもりだったが、変に気を遣わせてしまった……。


「ううん、やっぱり話さないとね。あなたにも聞いたんだから」


 そう言って俺の方を向いて微笑む。


 本当に化物だ。四〇代でこんな天使のような微笑みが浮かべられる彼女の三〇代、いや二〇代のときにどれほど美しかったのか、想像もできない。


 ん?


 と、そこで俺はふと思った。


 俺は彼女の顔をどこかで見たことがあるような気がする……。


 俺は彼女の顔を観察した。どう考えても、彼女との接点なんてありそうもないはずなのに、俺は彼女の顔にどことなく見覚えがある……ような気がする。


「もう、一〇代の男の子にそんなに見つめられたら、おばさん照れちゃうわ」


 しまった。じろじろと見すぎた。


 彼女はわずかに頬を紅潮させているのが暗闇でもうっすらとわかる。


 ってか、その美貌で自分をおばさん呼ばわりするのはもはや暴力のような気もする。


「あのイヤリングはね……上の娘に貰ったものなの……」


 と、そこで彼女は語りはじめる。


 なるほど、愛娘から貰ったイヤリングとなれば、必死に探すのも無理ない。


「娘から貰ったイヤリングをこんなに必死に探すなんて、いい母親じゃないですか」


 何気なくそう言った。いや、もちろんそう思ったから口にしたのだけど、俺は直後、その自分の軽率な言葉に後悔する。


「私、いい母親なんかじゃないわよ。きっと私は最低な母親だから……」


 彼女は笑みを浮かべていたが、わずかにその表情が曇るのが分かった。


「実は私、シングルマザーで上の娘とは、ほとんど会えないの……」


「そ、そうなんですね……。すみません、余計なことを聞きました」


「ううん、いいの。私はその事実から逃げるつもりはないから。私は自分が未熟だったせいで、下の娘ほど上の娘に愛を注いであげられなかったの。どんな理由があっても、それは事実だから……」


 人には人の事情がある。俺には彼女の悲しみのわけはわからないが、少なくとも俺には彼女が娘を悲しませるような母親には見えなかった。


「イヤリング、見つけ出しましょうね」


「え?」


 俺には彼女に軽率なことは言えない。たとえ理由を聞いたとしても、本当の意味で彼女の悲しみの理由は理解できないから。だけど、彼女が娘から貰ったイヤリングを何よりも大切にしているのは事実で、俺はその手助けがしたいと思った。


 彼女は俺の顔をしばらくじっと見つめていたが、不意に笑みを浮かべると「そうね。何が何でも見つけ出してみせるわ」と力こぶを作ってみせた。


 が、現実とは非情なものだ……。


 見つからない……。


 それから俺と女性は数時間、イヤリングを求めて草木をかき分け続けたが、一向にイヤリングは見つからない。


 そこで女性は腕時計を見やった。


「大変、もうこんな時間っ!?」


 俺もスマホの時計にふと目をやる。気がつくと時間は一〇時を回っていた。


「やばい……今日は二人でお誕生日会をするって約束してたのに……」


 きっと下の娘のことを言っているのだろう。きっと彼女は娘想いの優しい母親だ。娘の誕生日を精いっぱい祝おうと思っていたに違いない。現に、近くのベンチには娘に渡すのであろうケーキの箱と小さなプレゼントボックスが置かれている。


「やっぱり、私、母親失格だね……」


「そんなことっ!!」


 と、言いかけたところで俺は彼女の瞳にうっすらと涙が浮かんでいることに気がついて、そこから言葉が続かなかった。


 彼女のことを慰めてあげるには俺の言葉はあまりにも軽すぎる……と思った。


「とりあえず、娘さんに連絡をしてあげたほうが、いいんじゃないですか?」


 そう無難なアドバイスをすると彼女は「そ、そうね」と答える。


「なんなら、そのプレゼントだけでも家に届けてくればどうですか? その間、俺、ここで探していますので」


「それはさすがにダメよ」


 と、そこで彼女が真剣な顔で俺を見た。


「あなた高校生でしょ? こんな時間に高校生のきみにこんなところで一人で探させるわけにはいかないわ」


 と、そこまで言って彼女はわずかに笑みを浮かべると、俺の左手に掴まれたプレゼントを指さした。


「それに妹さんにも待っているんでしょ?」


「そ、そうかもしれないけど……」


「一人の大人として、まだ子どものあなたに、そんなことさせられないわ」


「子どもって俺はもう――」


「あなたはまだ高校生よ。まだ人生の酸いも甘いも知らない高校生。もしもあなたの身に何かあったら、私はあなたのご両親に顔向けができないわ。だから、もう帰りなさい」


「…………」


 彼女は優しく俺に諭した。


 そう言われてしまえば、俺には何も返すことはできない。結局、俺はまだ大人に守られている存在なのだ。そんな俺がいくら大人ぶったことを言ったところで、目の前の一人前の大人の前では、ただのませた子供に過ぎないのだ。


 俺は立ち上がる。


 そして、彼女に親指を立てると精いっぱい笑った。


「イヤリング、必ず見つけ出してくださいね」


 そんな俺を彼女はしばらく黙って見つめていたが、不意ににんまりと笑みを浮かべると俺と同じように親指を立てる。


「当然よ。絶対に見つけ出して見せる。そんでもって家に帰ったら精いっぱいお誕生日をお祝いしてあげるわ」


 きっと俺を安心させるために強がっていたのだとは思う。けれど、俺は彼女の笑顔に賭けてみたいとも思った。


 だから、俺は歩き出した。



※ ※ ※



 結局、俺はその足で水川の自宅マンションへと向かった。夕方の時点で水川から今晩は母親と実家で誕生日会をすると聞いていたのだ。何とか今日中に彼女にプレゼントを渡しておきたかったのだ。それに、一目新しい母親の顔も見ておきたかった。


 が、結果から言うと水川の自宅には誰もいなかった。


 どうやら外食にでも出かけたようだ。が、あとになって考えれば、親子水入らずの空間に水を差さずに済んだのかもしれない。プレゼントは絶対に、今日渡さなければならないものでもないのだ。


 俺は素直にあきらめて自宅マンションへと戻った……のだが。


「ん?」


 ドアを開けたとき、俺は違和感に気付いた。


 行くときには消したはずの室内の電気が点いているのだ。


 父親か?


 一瞬、そう思ったがすぐにそんなはずはないと思いなおす。何故ならばついさっき、父親から帰りが今日も遅くなると連絡があったばかりなのだ。一時は日本での仕事が片付いたと息巻いていた父親だったが、結局、それは水川の母親の仕事を一人で背負い込んだだけだったようだ。水川と母親が日本での残り少ない時間を二人で過ごせるようにと、父親が気を遣っていただけのようだ。


 となると残り選択肢は……。


 俺は恐る恐るリビングのドアを開ける。すると、水川はリビングでくつろいでいた。バラエティ番組を眺めながらクスクスと笑いを漏らしている。


 が、ドアの音で俺の帰宅に気がついたようで、こちらを振り返ると手を振る。


「先輩、おかえりなさ~いっ!!」


「…………」


 当たり前のようにそこにいる水川の姿に俺がポカンと口を開けていると、水川は不思議そうに首を傾げる。


「私の顔に何かついていますか? それとも見惚れているだけですか?」


「前者でも後者でもない。ってか、誕生会はどうしたんだよ?」


「何の話ですか?」


「いや、さっきメッセージで送ってきただろ? 今日は実家で母親と――」


「ああ、それですか。それならなくなりました」


 と、笑みを浮かべながらあっけらかんとそう答える。


「九時ごろまでは家で粘ってたんですが、帰ってこないのでこっちに来ちゃいました。そしたらさっき今日は帰れないってメッセージが来ました」


「そ、そうなのか……」


 あまりにもあっけらかんとそう答えるので、俺が拍子抜けしていると彼女が俺を手招きする。


「先輩、この番組面白いですよ? 一緒に見ましょ?」


「お、おう……」


 狐につままれたような気分でソファへと歩いていく。が、そこで俺はようやく右手に掴んでいたイヤリングの存在に気がついた。


「あ、そうだ。水川、これ……」


「え?」


「お前の趣味に合うかはわからないけど、誕生日プレゼント」


 そう言って丁寧にプレゼント用の袋に戻したイヤリングを彼女に差し出した。俺の言葉に一瞬、驚いたように目を見開く。


「もしかして、私のために誕生日プレゼントを買ってきてくれたんですか?」


「まあな、お前には色々とお世話になってるし」


 しばらく驚いたように俺を見つめていた水川だったが、不意に笑みを浮かべると俺のもとへとすたすたと歩いてくる。


 そして、


「ありがとう、お兄ちゃんっ」


 そう言ってぎゅっと俺をハグすると、そのまま胸に顔を埋めた。その彼女の大胆な行動に思わず顔が熱くなる。


「お、おい、スキンシップが過ぎるぞ」


「いいじゃないですか、兄弟なんだし」


「そうかもしれないけど……」


「私、本当に嬉しいです……」


 そう俺の胸の中でつぶやく水川。俺はしばらく彼女に抱きしめられたまま動揺していた。が、一〇秒待てど、二〇秒待てど、彼女は胸に埋めた顔を離そうとはしない。


「おい、そろそろ離せよ」


「…………」


「水川?」


 と、そこで俺はようやく水川の異変に気がついた。水川はまるで俺から表情を隠すように、俺の胸に顔を押し当てたまま動こうとはしない。


「先輩」


「なんだよ」


「私は恵まれています」


「なんだよ藪から棒に……」


 俺には彼女の言葉の意図が理解できなかった。


「私はいつでもお母さんと会いたいときに会えて、新しいお兄ちゃんからも誕生日を祝ってもらいました。だから、贅沢なんて言っちゃだめですよね……」


「話の筋が見えないぞ? 何の話をしているんだ」


「私は恵まれています。だから、私には寂しいなんて言う資格はないですよね?」


 なんだかよくわからない。が、水川の声はわずかに震えていて、少なくとも彼女が俺からのプレゼントに純粋に喜んでいるようには思えなかった。

 もしかしたら彼女は母親と最後の誕生会を開くことができなかったことを寂しがっているのかもしれない……。


「水川、大丈夫か?」


 いよいよ心配になってきた俺は彼女に尋ねる。が、水川は答えない。


「…………」


 胸の中で彼女が鼻をすする声が聞こえた。


「もしかして泣いてるのか?」


「泣いていません。私はこれぐらいのことで泣いちゃいけないんです。だって……だって……」


 と、そこで彼女は顔を上げる。


 やっぱり彼女の頬は涙で濡れていた。が、彼女はあくまで笑顔で俺のことを見上げていた。


「やっぱり私は寂しいなんて口にしちゃだめですよね? だって、私の何倍もお姉ちゃんの方が寂しい思いをしているんだから……」

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