第十九話 衝撃の事実……
お姉ちゃんってなんだ?
水川の口から飛び出したお姉ちゃんという言葉が頭から離れない。少なくとも俺は水川が一人っ子だと聞いていたし、彼女もそんなことを言っていたような気がする。だとしたら、あのお姉ちゃんという言葉はなんなんだ? 何かの比喩か? が、少なくとも俺にはそんな風には聞こえなかった。
が、結局、落ち込む水川を目の前にして、俺には彼女に事情を尋ねる勇気はなかった。
そうこうしているうちに水川は泣き寝入りしてしまったようで、ソファで小さな寝息をたてはじめる。
「おい、水川。こんなところで寝たら風邪ひくぞ?」
「お母さん……帰ってきてくれたんだ……」
と、水川が口にするものだから、心臓が止まるほど驚いた。
どうやら寝言のようだ。きっと夢の中で母親とよろしくやっているのだろう。だとしたら、その夢を覚ますのはさすがに野暮だ。俺は一瞬、躊躇ったが、彼女の腕を自分の首に回すと、腕を彼女の膝の裏へと差し込み彼女を抱きかかえる。
やっぱり女の子の身体は軽い。非力な俺でも彼女の身体はすんなり持ち上がった。
そのまま彼女を寝室へと運ぶと、彼女の気に入りのお姫さまベッドへと彼女を寝かせる。
彼女に掛け布団を掛けてやると、彼女は何やら幸せそうに笑みを浮かべる。俺はしばらく、そんな彼女の寝顔を眺めていた。
その幸せそうな笑みを見ていると、なんだか自分がちっぽけな存在のように思えてくる。
水川の兄になるなんて覚悟を決めていたつもりだったが、結局のところは、それはおままごとなのだ。俺と彼女が兄妹になるには、お互いあまりにも成長しすぎたのかもしれない。水川の心の溝を俺が埋めてやろうなんて、大それたことを考えていたこともあったが、そんな自分が今はどうしようもなく恥ずかしい。
自分の未熟さを感じながら俺は彼女の寝室を出た。
俺はその足で玄関へと向かう。
とてもじゃないが、眠れそうになかった。
もちろん水川のことも心配だったが、同じように公園で出会ったあの美魔女のことも心配だった。
あの人は俺に帰れと言ったが、やっぱり彼女のことを放っておけそうにはなかった。
時刻は十一時を過ぎていた。
さすがにもう見つかったか、諦めたかのどちらかただとは思うが、そのどちらかであることを確認しないことには眠れそうになかった。
※ ※ ※
公園へとやってきた俺は一目散に例の茂みへと向かう。
「嘘だろ……」
驚くことに女性はまだ、イヤリングを探していた。女性はスーツが土まみれになるのもいとわずに、必死に茂みに手を突っ込んでいる。
女性は不意に背後に人の気配を感じたのか、手を止めて後ろを振り返る。
「す、すみません……」
なんだかよくわからないけど俺はとっさに謝った。
女性は少し驚いたように俺を見つめていたが、すぐにむっと口を尖らせると俺を睨んだ。
「おばさんはきみが、深夜に外を出歩く不良少年だとは思わなかったな……」
「すみません、だけど心配で……」
「心配なのはこっちの方よ。ご両親が心配なさるわ。私のことはいいから今すぐに帰りなさい」
そう言われるのは予想していた。が、俺はそれでも彼女にイヤリングを見つけてほしいと思った。だから、言うことは聞かない。
「そうです。俺は大人の言うことなんて聞かない不良少年ですから」
と、そこで人の気配を感じた。
「ほう……じゃあ、そんな不良少年を更生するのが親の務めってわけか」
「え?」
俺は突然背後で響いた野太い声に思わず肩をびくつかせて、後ろを振り返る。
そこにいたのは父親だった。
なんでこんなところに……ってか、残業だったんじゃねえのかよ……。
あまりの驚きに俺が言葉を失っていると、父親は俺からその奥の女性へと視線を向ける。
「悪かったな。遅くなった」
「遅くなった?」
後ろを振り返ると女性は何や笑みを浮かべながら父親を見つめていた。
「は?」
「さあ、早いとこ見つけ出そう」
そう言って父親は女性のもとへと歩いて行く。
なんだ。何がどうなってる?
「おい友一。お前もこっちに来て手伝え」
「おい、ちょっと待てよ……」
俺は恐る恐る父親に話しかける。
「父さん、この人のこと知ってるのか?」
そう尋ねると、父親は首を傾げる。
「知ってるも何も、涼子さんはお前のお母さんだ」
「は?」
ちょっと待て。何を言っているんだこの糞親父は……。
『奇遇ね、うちの娘も今日が誕生日なのよ?』
『上の子が高三で、下の子が高一よ』
『お姉ちゃんの方が寂しい思いをしているんですから……』
今日一日の色んな記憶が走馬灯のように頭の中でぐるぐると回り、俺はそこでようやく事態を理解した。
「あああああああああああああああああああああっ!!」
え? 嘘だろ。え? この美魔女が? いやいや、この美女をお母さんって呼べってか? 無理無理無理っ!! どう考えてもお姉ちゃんだろ。
「もしかして、あなたが友一くんだったの?」
「え? あ、はい……」
「今まで挨拶できなくて、ごめんね。私、水川涼子っていいます。よろしくね」
「あ、はい……」
ああ、ダメだ。現実が受け入れられねえ。さすがにこの美女をお母さんと呼ぶのは、俺の中の良からぬ背徳感情のようなものを触発してしまう。
俺がすっかり、怖気づいていると、女性、もとい涼子さんは少し心配そうに俺を見つめた。
「新しいお母さんがこんなおばさんで……ごめんね……」
と、何やら的外れな謝罪をしてくる。むしろ逆だ。こんなきれいなおねえさんが自分の母親だから俺は動揺してるんだよ。
と、彼女の根本的な勘違いを憂いていると、父親が「おい、さっさと見つけるぞっ!! こちとら会社を抜け出してきてるんだ」とややイライラした様子でそんなことを言う。
父親は茂みを見渡して何故か瞳を閉じた。
「何やってんだよ」
「しっ!! 少し黙ってろ……」
「はあ?」
俺と涼子さんがそんな父親を不思議そうに眺めていると、父親は不意に「見えたっ!!」と大きく目を見開いて、茂みの中へと歩いていく。そして、おもむろに茂みへと手を突っ込むと、にやりと笑って手を引っこ抜いた。
そして、その手にはイヤリングが握られていた。
「はあっ!?」
ちょっと待て、どういうことだっ!? 何で、俺たちが何時間も探して一向に見つからないイヤリングを、このおっさんはこんなにも早く見つけ出すんだっ!!
「おい、おかしいぞっ!? 俺にきちんと説明しろっ!!」
そう叫ぶと父親は俺を見やりニヤリと再び笑うと、
「愛の力だ」
と、親指を立てる。
「いや、全然説明になってねえよっ!!」
俺としては、まったくもって納得がいかなかったが、涼子さんは「あなた、素敵っ!!」とすっかりメロメロである。
ダメだ。こいつらにはついていけない……。
※ ※ ※
結局、ものの数分でイヤリングを見つけ出してしまった父親は、涼子さんにイヤリングを手渡して颯爽と会社へと帰って行った。まあ、何はともあれ大切なイヤリングが見つかって良かった。安心した俺もまた家路に就こうとしたが、涼子さんが家まで送るというので彼女とともに自宅マンションへと歩いていく。
そこで俺は思い切って、気になっていたことを聞いてみることにした。
「あの……一つ聞いてもいいですか?」
「もちろん。私に答えられることなら、なんだって答えるわ」
「さっき涼子さんには上の娘がいるって言ってましたよね?」
そう尋ねると涼子さんは不思議そうに首を傾げる。
「あれ? 優菜から何も聞いてないの?」
「ええまあ……」
「優菜は真面目な女の子だからね。きっと黙っていたのね」
そう答えると涼子さんは感慨深げに眉を潜めた。
「うちはね、優菜が生まれて間もないころに、前の夫の不倫がきっかけで離婚をしたの。それでね、優菜は私が引き取ることになったんだけど、上の子は夫にとられちゃったのよ……」
「不倫をしたのは旦那の方なのに、二人を引き取ることができなかったんですか?」
「うん、実は前の夫はかなりの資産家でね、長女は絶対に譲らないって引かなかったのよ。それに、当時の私は経済的にもまだまだ未熟で二人も育てられる自信はなかったの……」
と、そこで涼子さんの表情が少し曇った。
「不倫をするような夫だったけど、娘のことは愛していたみたいだし、教育に十分なお金を回せる経済力もあったから、私が引き取って、余裕のない生活をするよりも彼女にとっては幸せなのかなって思ってね……」
「そうだったんですね。俺はてっきり彼女は一人っ子なんだと……」
「きっと優菜が黙っていたのは私の書いた誓約書のせいよ」
「誓約書?」
「ええ、私たちが離婚をするときに、雀の涙ほどの養育費と引き換えに、私と前の夫との間に婚姻関係があったことを口外しないって条件があったの」
「それってつまり……」
「優菜と姉が姉妹であることも大っぴらにはできないの……」
なるほど、水川がこれまで俺に姉の存在を口にしなかったのはこういうことだったのか……。もちろん水川自身がその秘密を守る必要は本来ないはずだが、きっと彼女の性格上、母親に迷惑がかかるようなことは、口にしないようにしていたようだ。
「だからね、今でも表向きはただの仲のいいお友達ってことになっているの。あの子ったら律義だから、本当はお姉ちゃんって呼びたいのに、涼花さんって実の姉に敬語で話しかけているのよ。本当に可愛そうなことをしたと思う……」
「確かに、部室でも涼花さんって、ただの先輩みたいに……って……」
あまりにも涼子さんが自然に話すものだから、思わずスルーしそうになった。が、確かに今、この美人はとんでもないことを口にした。
「はあっ!?」
俺が目を見開くと、涼子さんはそんな俺に驚いたように目を見開いた。
「ど、どうかしたの?」
「い、いや、なんというか現実を受け入れるのに時間がかかるというかなんというか……」
「受け入れる?」
事情を知らない涼子さんは首を傾げている。
「涼子さん……もしかして、その涼花ってのは冴木――」
「あら? もしかして友一くんともお知り合い?」
と、涼子さんが嬉しそうに俺に尋ねてくるものだが、俺はさすがに彼女のことが大嫌いだなんて口が裂けても言えそうになかった……。
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