第十七話 仕切り直し

 その後もしばらく片岡紗々の撮影は終わらなかった。メイド服の水川を一通り取り終えた彼女は、海外旅行にでも使えそうなキャリーバッグから、CAの制服、ナース服、果てには水着まで取り出して、バシャバシャと水川を撮影していた。初めのうちは、彼女のカメラへとの熱意に少し感心もしていたが、最後の方にはこいつはただの変態なのではないかという疑いが濃厚になっていた。


 俺の帰宅後、一時間半ほど水川を撮影した片岡紗々はようやく、納得したのかカメラを下ろすと、今度は持参したパソコンを取り出して、写真をパソコンに取り込んでいく。


「可愛い……、おお、これはエロい……」


 などとぶつぶつ呟きながら、水川の写真を眺める片岡紗々に、彼女が変態であるという疑いが確信に変わる。


「ねえねえ、お兄ちゃん、これ見て」


 いや、だから俺はお前のお兄ちゃんじゃ(以下略)。


 片岡紗々に手招きされて、隣の椅子に座ると彼女はパソコンを俺の方に向ける。


 そこに表示されていたのは、わずかに恥じらいながらもカメラを見つめるメイド服姿の水川の姿。


「可愛いわよね。ぎゅっと抱きしめて食べちゃいたいほど可愛いと思わない?」


 そう言って俺の顔を覗き込む片岡紗々。さすがは人気タレント、好意はなくても、こんなにも間近で見つめられると、思わず赤面してしまいそうになる。


 どうでもいいけど、彼女にこんなにも間近で見つめられる権利を転売したらいったいいくらになるんだろう。と、しょうもないことまで考えてしまう。


「ま、まあ、悪くないんじゃないかな……」


 俺はソファに腰を下ろして、そわそわするナース服姿の水川を一瞬だけ見やって、そう答えた。


 答えづらいってレベルじゃない。


 そりゃ可愛いよ。なんてったって水川優菜なのだ。彼女がメイド服なんて着たら、そりゃ多くの男が可愛いって思うに違いない。だけど、今の俺にはそれを素直に称賛する勇気はないし、さすがに気まずい……。


 どうやら、片岡紗々はそんな俺の反応が可笑しかったようでクスッと笑って、何か俺を試すような笑みを浮かべる。


「へえ……これでもダメか……じゃあ、これでどうだ」


 と、彼女はモニターに視線を落すと、タッチパッドを弄って何かの操作を始める。そして、何かの画像をクリックすると、画面上に写真が表示された。


 それを見た瞬間、俺は度肝を抜かれる。


「なっ……」


 そりゃ、言葉も失うさ。彼女のモニターにはデカデカとランジェリー姿の水川が写っているのだから。薄ピンク色のランジェリーを身に着けた水川は、失神しそうなほどに顔を真っ赤にして、両腕で胸を挟み込むようにポーズを取っていた。きっと片岡紗々にやらされたのだろう。彼女の程よくふくよかな胸は中央にやや圧縮されて、谷間を作っている。


 そのあまりにも刺激的な画像に、俺が絶句していると、ソファから「ひゃっ!?」と声がしてナースが片岡紗々に駆け寄る。彼女は顔を真っ赤にしたまま両手でモニターを隠した。


「さ、紗々ちゃん、これは誰にも見せないって言ったじゃん」


「そうだっけ? でも、家族にならいいんじゃない?」


「だ、ダメなものはダメなのっ!!」


 涙目で片岡紗々にナースが訴える。


「せ、先輩、恥ずかしいからこんなの見ないでください……」


 次に彼女は俺を涙目で見やりそう訴えるので、俺は思わずモニターから視線を逸らした。


「さすがにこれにはおじさんも、前かがみになっちゃうわ……」


「少しは大人気タレントの自覚を持てっ」


 俺がそうツッコむと、片岡紗々は少しつまんなさそうに「自信作だったんだけどな……」としぶしぶ画像を閉じた。


「紗々ちゃんのバカ……」


 そんな彼女に水川がそう呟く。すると、片岡紗々はしばらく水川を見つめて「んもう……可愛いわねぇ……」とぎゅっと水川を抱きしめた。急に抱きしめられた水川は目をぱっと見開いて、顔を真っ赤にする。片岡紗々はしばらく彼女を抱きしめたと、ゆっくりと体を放すとパソコンをぱたんと閉じる。


「じゃあ、そろそろ私は帰ろうかな……」


 そう言って立ち上がると大きく伸びをした。その瞬間、彼女のTシャツの胸元がぎゅっと引っ張られて、彼女の水色のブラが透けて見える。俺は思わず視線を逸らしたが、少しタイミングが遅かったようで、片岡紗々は俺を見てニヤリと微笑む。


「あれ? 今日は泊まってくんじゃないの?」


 と、首を傾げる水川。


「そうするつもりだったんだけどね、帰ってこの画像を加工修正しなきゃいけないから、やっぱり帰るわ」


 そう言うと彼女はリュックにパソコンを入れると、玄関へと歩いていく。俺はそんな彼女を玄関まで追いかける。


「お、おい、こんな時間に帰るのか? なんなら駅まで送るけど」


 時刻は既に十一時を過ぎていた。さすがにこの時間に彼女を一人で歩かせるのは心配だ。が、彼女は首を横に振る。


「私、こう見えてそこそこ人気のあるタレントよ? さすがにあなたと二人で歩くのはマズいわね」


「だけど……」


「さっきアプリでタクシーを配車したの。そろそろ着く頃だから心配しないで」


 そう言って彼女はにっこりと微笑んで、俺の背後に視線を向ける。振り返るとリビングの水川が小さく手を振るのが見えた。


「ねえ、あんたって本当に優菜のお兄ちゃんなの?」


 と、そこで片岡紗々は小さな声で俺に尋ねる。


「は? 言っただろ。俺たちは血はつながってないけど――」


「建前は聞いてないの。少なくとも、優菜ちゃんはあなたのことを、お兄ちゃんとしては見ていないみたいだけど……」


「そ、それは……」


 もちろん、俺の決意は固まっている。が、そのことを片岡紗々に話すわけにもいかず、困った顔をしていると、彼女はクスッと笑った。


「まあいいわ。でも、少なくとも早く仲直りはしておかないと、彼女が可愛そうよ?」


「なっ……お前、知ってたのかよ」


「その質問は優菜ちゃんと約束しているから答えられないわね」


 そう言うと彼女は小さく手をあげてマンションを出て行った。


 俺はしばらく、閉じられたドアを眺めてからリビングを振り返った。すると、ナース姿の水川と目が合い、彼女はビクッと体を震わせると恥ずかしそうに俺から顔を背けた。


 やばい……気まずすぎる……。


 俺はようやく彼女と気まずい状態にあることを思い出す。


「…………」


 片岡紗々の登場でうやむやになってしまっていたが、俺は彼女に自分の気持ちを伝えるためにここにやってきたのだ。が、すっかり調子を狂わされてしまい、マンションに飛び込んできたときのようなフルスロットル状態にすぐには戻れそうにない。


 俺はとりあえず気まずいながらも、リビングへと戻ると彼女の隣の椅子に腰を下ろした。


 が、当然ながら会話なんて自然と始まるわけもない。俺がどうやって気まずさを紛らわそうか考えていると、ポケットの中のスマホがブルブルと振動した。スマホを取り出すと、メッセージアプリの通知が表示されており、アプリを開くと友達追加の確認画面に移動する。


「あ、あれ、これって……」


 新たな友達として表示されたアカウントのプロフィール画像を見て、俺はピンと来た。その写真が見覚えのある女性タレントの顔写真だったからだ。


「な、なんであいつが知ってるんだよ……」


 とっさにそう呟いた。その声に反応した水川は俺のスマホを覗き込む。


「ご、ごめんなさい……紗々ちゃんが、教えて欲しいって言うから教えました……」


 どうやら水川の仕業らしい。


 どうでもいいけど、あいつが俺のアカウントを知って何の意味があるんだ?


 俺は首を傾げながらも友達追加をタップすると、晴れて片岡紗々のアカウントが友達として追加される。それと同時に、彼女のメッセージが俺のスマホ上に表示される。


 そして、


「なっ……」


 俺は彼女から送られてきた画像を何気なくタップして、愕然とする。


 スマホの画面上にはデカデカと水川の下着姿の写真が表示されているからだ。


 と、その直後。


「み、見ないでくださいっ!!」


 と、ナース姿の水川が慌てて、俺の方に身を乗り出すと俺のスマホを手で覆った。


「お、おいっ!?」


 俺に飛びつくようにスマホを押える彼女に俺が目を見開くと、彼女は泣き出しそうな目で俺を見つめる。二人の顔が十センチほどの距離にまで接近する。


「そ、その写真は見ちゃダメです……」


 と、必死に俺に訴える水川。


「わ、わかってるってば……」


「じゃ、じゃあスマホを貸してください……。私が削除します……」


 と、俺からスマホをぶんどると、素早く画像を削除する。が、画像を削除するや否や、またスマホには新たな水川の画像が送られてきて、彼女はまた「ひゃっ!?」と恥ずかしそうに悲鳴をあげる。


 どうやら片岡紗々は、画像を連投するつもりだ。


 水川はナース姿のまま顔を真っ赤にしながら連投されてきた写真をその都度、削除していく。


 そんな彼女を眺めていて、俺はふと思う。


「ってか、お前、前はもっと積極的に、俺のことをからかってきてたじゃねえか……」


 かつての彼女は、少なくとも俺に下着姿を見られたぐらいで動揺するような、女の子ではなかった。


「そ、それとこれとは別なんですっ」


 そう言って、モグラたたきのように次々と出てくる写真を消していく。


 どうやら、彼女はいつの間にか、恥じらいという感情を覚えたようだ。


「なあ、水川」


「な、なんですか?」


「俺も、お前のことを妹だって思わないことにするよ……」


 タイミングとしてはあまりふさわしくないのはわかっていた。


 が、少なくとも、俺は気まずい沈黙の中で気持ちを伝えることができそうにない。こういうどさくさ紛れなのは、卑怯な気もするけど、俺は変に改まった空気は好きじゃない。


 水川は俺の言葉に「え?」と、スマホを弄る手を止めて俺を見つめた。


「そ、それってどういうことですか?」


 水川は間近で俺を見つめたまま、そう尋ねた。


「俺は水川のことをただの妹だなんて、思えないってことだよ……。俺にとって水川はもっと特別で……妹なんて言葉では言い表せないような……」


 恥ずかしすぎて回りくどい言葉しか出てこない。


 いや、ほんと自分の度胸のなさが恥ずかしい。けど、水川はじっと真剣に俺を見つめていた。


「そ、それってつまり、どういうことですか?」


 そう尋ねる水川。


 俺はこの回りくどい言葉を一言で言い表せる便利な言葉を知っている。が、あまりの恥ずかしさに、唇が動かない。


「な、なんというかそれは……」


「なんとういうかそれは?」


「なんというかそれは……俺は水川のことが……」


 見つめ合った。リビングの時間が止まる。


 頑張れ俺、ここではっきり言えなきゃ男じゃない。俺はゆっくりと唇を動かす。


「す…………好きってことだよ……」


 水川の目が大きく見開いた。そして、しばらく彼女は俺をじっと見つめて唇を開く。


「わ、私も先輩のことが好きです」


 心拍数が急激に上昇する。ダメだ。空気に押しつぶされそうだ。場慣れをしていない俺には固まったまま、その次の行動が何も思いつかない。


 が、そんな俺をしばらく見つめていた水川は不意にクスッと耐え切れなくなり笑みを零す。


「な、なんだよ。いきなり……」


 俺は顔を真っ赤にしたままそう言う。


 が、その彼女の笑いでわずかに緊張感が薄れた。水川は笑いを噛みしめると、再び俺を見つめる。


「ごめんなさい。先輩があまりにも不器用で、つい……」


「悪かったな……不器用で……」


 俺が、恥ずかしさのあまり彼女から顔を背けようとすると、水川は俺の頬を押えてそれを阻止する。


「だけど、そんな不器用な先輩のことが大好きです……」


「なっ……」


 ああ、ダメだ。この妙な空気に押しつぶされそうだ。が、水川は俺を逃がしてはくれない。


 見つめ合ったまま水川は瞳を閉じた。


 そして、俺は彼女が瞳を閉じたことの意味を瞬時に理解する。俺は彼女の唇にゆっくりと自分の唇を寄せていく。


 これはやらなきゃならない……男として。


 そして、俺の唇と彼女の唇がついに触れ合おうとしたその時、


 ガチャっ!!


 と、勢いよく玄関のドアの開く音がして、俺たちは思わず玄関を見やった。


 そして、玄関に立つその人物に思わず「「えっ!?」」と声を漏らす。


「お、お母さんっ!?」


 そこに立っていたのは、目の前の美少女の母親にして俺の母親、水川涼子だった。

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