第五話 ダイヤの原石

 結局、俺は約三〇分ほど水川の奢ってくれたコーヒーをご馳走になった。


「じゃあ先輩、また後で」


 と公私混同甚だしい言葉で見送られて俺は店に出る。まあ、何はともあれ仕事には順応できているようで一安心だ。店の奥に戻っていく彼女を見送った俺は、自宅へと向かって歩き出そうとした……のだが。


「なっ……!!」


 ふと、店内を覗けるショーウィンドウの方を見やった俺は、絶句する。


 なんだ……こいつ……。


 通りに面した窓の前には、スーツ姿の女がへばりついていた。女性は店内に夢中なようで、俺には目もくれずに、なにやらニヤニヤしながら店内を凝視している。


 瞬間的にかかわるべき人ではないことを察した俺は、そのまま見なかったことにして素通りしようとした……のだが。


 ん? この人……。


 俺はふと気がついた。俺の記憶が正しければこの女はこの間、学校に行く途中に俺らを尾行していた……。


 ってことは。


 俺はショーウィンドウ越しに店内を見た。女の視線の先にはお客さんに飲み物を運ぶ水川の姿があった。そして、水川が移動すると彼女の視線を移動する。


「カワユスなあ……優菜ちゃん、カワユスなあ……」


 やっぱり……。


 よくわからないが、かなりやばい香りがする。これは彼女の兄として、職質をしておかなければ……。


「あの……」


「優菜ちゃん……優菜ちゃん……」


「あのっ!!」


 と、そこで女はようやくハッとしたように目を見開いた。そして、こちらを向くとしばらくじっと俺を見つめた。


 そして、なにやらヒューヒューと口笛を吹くと、素知らぬふりをして俺から顔を背ける。


「いや、無理があるでしょ……」


 この期に及んで、店内なんて覗いてないですよ感をだしてくるとは、この女なかなかの強メンタル……。


「あなた、この間、俺たちを尾行していた人ですよね?」


「え? あ、いや、そ、そうだったっけ?」


 嘘の下手さも異次元だ。


「単刀直入に尋ねますけど、俺たちに何か用でもあるんですか?」


 水川は気にしなくてもいいと言っていたが、やはり、この女は怪しすぎる。何か妙なことに巻き込まれる前に、対処しておいた方がいい。


 やや強い口調でそう尋ねる俺に女はあたふたしていた。


「あんまり、変なことばっかやってると警察に突き出しますよ?」


 そう尋ねると、女は何かを諦めたようにはぁ……とため息を吐いた。


 どうでもいいけど、この人、かなり美人だな……。


「私の尾行を見破るなんて、あなたなかなかやるわね」


「いや、あれを見破れない奴は、人間やめた方がいいレベルだと思いますが」


「過度な謙遜は相手を不快にさせるだけよ」


「いや、謙遜とか一ミリもしてないですけど……」


 ダメだ。この女とは会話が成立する気がしない。


 スーツ姿のその女は見たところ、二十代後半か三十代だろうか。さっきも言ったが、よくよく見てみるとかなりの美人である。この間の水川の母親のように、もしかしたら見た目以上に年齢はいっているのかもしれない。


 彼女はジャケットのポケットから何かを取り出すと、俺に何かを差し出した。


「あなたには身分を隠しても無駄のようね。辱めを受けてすべてを吐かされる前にこちらから名乗るわ」


「いや、あんたは俺を何だと思ってるんだよ……」


 差し出されたのは名刺のようだ。俺は彼女からそれをふんだくると、名刺に目を落す。


「なになに? 鳥プロダクション……ニュースタークリエイション課 廣神月菜……」


 と、一応名刺を読んでみたが、この女がいったい何者なのか、全くわからなかった。


 俺が首を傾げていると、廣神某が口を開く。


「鳥プロって聞いたことないかしら?」


「とりぷろ……とりぷろ……鳥プロっ!?」


 と、そこで俺はようやくピンと来た。鳥プロといえば、確か芸能プロダクションだった気がする。しかも、俺ですら名前を聞いたことがあるということは、かなりの大手に違いない。


 だけど……。


「だけど、どうして鳥プロの人が俺らを尾行しているんですか?」


 そう尋ねると廣神さんはにっこりと笑う。


 ホント顔だけは綺麗だな。


「決まってるじゃない。水川優菜ちゃんをスカウトするためよ」


「スカウトっ!?」


 思わず、大きな声が出てしまった。俺はあたりを見渡してから、廣神さんを見やる。


「スカウトってつまり」


「つまり、彼女をスターへと祭り上げるために私は彼女を追っているのよ」


 祭り上げるって言っちゃってるし……。


 なんだこの胡散臭さ半端ない女は。こんな奴が水川にまとわりついているのか。水川もたまったもんじゃねえな。おい。


「あなただって、水川優菜が他を圧倒する美貌を持つ女の子だって気づいているんでしょ?」


「ま、まあ、綺麗だとは思いますけど……だけど、芸能界なんて」


 確かに水川はこの学校では圧倒的美貌の持ち主だし、学園のアイドルとしても不動の地位を確立している。が、芸能界とは全国から美男美女が集まってくる世界なのだ。その世界でスターになれるような才能が彼女にあるのかは、正直なところ俺にはわからない。


「いや、彼女にならなれるわ。沢汁えびなや浜垣結衣をスターへと押し上げた私が言うのだから間違いない」


 と、芸能界のトップスターの名を上げる廣神さんだったが、何だか自分で押し上げたとか言われるとさらに胡散臭くなる。


「で、水川はなんて言っているんですか?」


 水川は廣神さんのことを知っていたようだったがから、きっと面識はあるのだろう。そう尋ねると廣神さんの表情がみるみる暗くなる。


「彼女は気づいていないのよ。自分の類まれなる才能を。自分がダイヤモンドの原石だってことを」


 ハンカチで目を抑えると芝居がかった声で彼女が答える。


 やばい、周りの人が俺らを見ている……。


「つ、つまり、断られたってことですね?」


 廣神さんはコクリと頷いた。


 そう言えば、水川が以前、そういうのには興味がないと言っていたのを思い出す。


「ま、まあ、スカウト頑張ってください……」


 まあ、とりあえず名刺が本物だとすれば、一応は怪しい人間ではないようだ。まあ、後で電話して確認はするけど……。


 ということでこれ以上、周りの目を気にしながら会話をするのが嫌だった俺は、会釈をすると踵を返して歩き出す。


 が、


「待ってっ!!」


 と、俺の腕を掴む。


「な、なんですか?」


「あなたからも説得してもらえないかしら?」


「はあ?」


 何を言い出すかと思ったら、自分の仕事を全力で俺に丸投げし始めた。


「なんで俺がそんなことしなきゃいけないんですか。別に、俺も彼女を芸能界に入れたいとか思っていないですし」


「へえ、なるほどね……。だけど、これでもまだ私の頼みを断れるかしら?」


 そう言うと廣神さんは俺のそばへと歩み寄ると、俺の顎を人差し指で撫でる。言っていることはあれだが、見た目だけは、本当に見た目だけは美しいので思わずドキッとしてしまったのが悔しい。


「な、なんすか……」


「もしも水川優菜をスカウトできれば、お姉さんがあなたに大人のご褒美あげちゃう」


「なっ……」


 何を言い出すかと思うと、とんでもないことを提案する廣神さんに愕然とする。


 やばい、この人とは関わってはいけない……。


 俺は彼女の腕を振りほどこうとする。が、廣神さんは意地でも俺を帰さないようで、しまいには俺の袖を掴むと、男に捨てられた惨めな女のように俺にしがみつく。


「やだっ!! 絶対に水川優菜をスカウトしたいのっ!! ねえ、お願い。私を助けてっ!!」


 と、叫ぶもんだから、周りの人が何事かと俺に視線を送る。


 た、助けてくれっ!!


 俺は泣きそうになりながら、廣神さんから逃れようとするが、彼女が俺を離してくれない。


 が、そのときだった。


「ちょ、ちょっと、おばさんっ!?」


 と、声が聞こえた。と、そこで廣神さんの俺を引っ張る手がぴたりと止まった。俺と廣神さんは声のした猫カフェのドアの方を同時に見やる。


 そこに立っていたのは、さっき隣のテーブルで恥ずかしそうに猫と触れ合っていた女子高生だった。


 ん? 待て、今おばさんとか言わなかったか?


 俺は廣神さんを見やった。すると、彼女は少しバツの悪そうな顔で、えへへと苦笑いを浮かべる。


「あ、あら、純恋ちゃんったら奇遇ね……」


 そう廣神さんが答えると純恋と呼ばれた少女は少しむっとしたように、彼女を睨んだ。


「この前、おばさんに、恥ずかしいから、街中で目立つようなことはしないでって言ったよね?」


「そ、そうだったかしら?」


「言ったよ。私のときも変なSPみたいな人、いっぱい引き連れて大騒ぎして、わ、私、どれだけ恥ずかしかったかわかってるの?」


「だ、だって、それは純恋ちゃんがなかなかモデルの仕事を引き受けてくれないから……」


「と、とにかくっ!! は、恥ずかしいから、目立つようなことはしないで。じゃないと私、一生おばさんの仕事のお手伝いしないから……」


 彼女がそう言うと廣神さんは目をウルウルさせて、純恋とよばれた少女に歩み寄る。


「純恋ちゃんったら、そんなこと言わないで……。わかった。今日はもう帰るから。ね? 純恋ちゃん、お願い」


 そう言って廣神さんは彼女に縋りつくように迫った。純恋と呼ばれた少女は恥ずかしそうに頬を赤らめると、慌てて彼女の身体をかわす。


「だ、だから、そういうのが恥ずかしいって言ってるの……と、とにかく、早く帰って」


 彼女がそう言って再び睨むと、廣神さんは「きょ、今日のところは許してあげるわ」と悪役のようなセリフを残して、どこかへと逃げて行った。


 な、なんだったんだ。今のは……。


 彼女の後ろ姿を呆然と眺めていると「あの……」と背後で声がしたので振り返る。


 女子高生は恥ずかしそうに頬を赤らめたまま、俺を見つめていた。


「な、なんというかその……私の叔母が失礼なことをしたみたいで……」


「い、いや、大丈夫です。ってか、あなたに謝ってもらう必要は……」


「さっきの店員さんの彼氏の方ですよね? あの子、すごく可愛い女の子だから、きっとまた叔母がご迷惑なことをするかもしれませんので、気をつけてください」


 そう言うと彼女は一度頭を下げて、その場を立ち去った。


 なんだかよくわからないが……一先ずは助かった……。


 俺は一つ、大きなため息を吐くと再び歩き出す。


 が、


「友一くん?」


 と、背後で呼ばれたので立ち止まる。


 振り返るとそこには不思議そうに俺を眺める冴木涼花さえきりょうかの姿があった。

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