第十三話 放課後デート2

 書店を出た後も、俺たちはウィンドウショッピングを楽しんでいた。と言っても、あくまでこのデートの主導権は水川にあるようで、彼女が見たいという洋服屋や雑貨屋を順番に回る。


「わぁ……かわいい……」


 三件目の雑貨屋に入るや否や、水川は目を輝かせながら、アクセサリーが無数に陳列された店内の棚へと歩いていく。残念ながらファッションに疎い俺は、先に訪問した二軒の雑貨屋との違いもわからないままに、ゆっくりと彼女についていくだけだ。


 彼女はテーブルの上に並べられたアクセサリーのうち、一つを手に取るとそれを俺に見せる。


「このレースのひらひら、可愛いと思いませんか?」


 彼女の持つ黒いレース地の輪っかを眺めながら俺は首を傾げる。


「まず、俺にはそれの使用用途がわからないんだが」


 そう尋ねると彼女は「こう使うんです」と輪っかのジョイントを外すと、それを自分の首に巻いた。


「チョーカーですよ。可愛くないですか?」


 水川はその首輪のようなアクセサリーを指さして笑った。


 可愛いか可愛くないかで言えば可愛いに決まってる。何せ、付けているのは学園のアイドル水川優菜みながわゆうななのだからな。俺が「ま、まあ、悪くないんじゃないか」とお茶を濁すと、水川はいつもの悪戯な笑みを浮かべて、俺の耳元に唇を寄せる。


「チョーカーって首輪みたいで、少しえっちですよね?」


「なっ……」


 どうやら彼女はいついかなる状況でも、俺をからかう気でいるらしい。今度は俺に顔を接近させると、じっと真面目な顔で俺を見つめる。


「先輩のためになら付けてもいいですよ?」


「は? 何の話だ」


「首輪ですよ。首輪。先輩に首輪をつけろって強く言われたら、私、したがっちゃうかもしれません」


「じゃあご主人様としての命令だ。そうやってむやみやたらと兄をからかうのは止めるんだな」


 水川は堪えきれなくなったのかクスクスと笑いだす。チョーカーを取り外すと、元の場所に戻して、他のアクセサリーも眺める。俺はすぐそばに立って、そんな彼女をぼーっと観察していた。


「なあ、水川」


「なんですか? あ、これかわいい……」


 水川はアクセサリーに目を落しながら答える。


「そういえば、お前ってどうして放送部にいるんだ?」


 俺は昼からなんとなく疑問に思っていたことを今、聞いてみることにした。


「そんなに気になりますか?」


「いや、なんとなく疑問に思っただけだよ。深読みするのはお前の悪い癖だぞ」


「大した理由はないですよ。単に涼花さんに誘われたから入っただけです」


 水川は少し高そうなシルバーのブレスレットをうっとりと眺めながらぶっきらぼうに答える。


「ってことは、冴木さんとは元々知り合いなのか?」


 そう何気なく尋ねると、水川は顔だけを俺の方に向けた。


「あれ? 知らないんですか?」


 不思議そうに俺を見つめる水川。


「何の話だよ」


 そう言う俺を彼女はしばらくじっと見つめていたが、不意に口角をわずかに上げる。


「いえ、知らないのならいいです。私と涼花さんは昔から知り合いですよ。家も近かったですし、幼いころはよく遊びの相手をしてもらいました」


「へぇ……先輩殺しと後輩殺しには意外な接点があったんだな……」


「ええ、とりあえず幼馴染だと思ってくれればいいと思います」


 と、そこで水川の本日何度目かもわからない悪戯な微笑み。


「そんなに涼花さんのことが気になるんですか?」


「別にそういうわけじゃないよ」


「先輩がどうしてもって言うなら、今日の涼花さんの下着の色ぐらいは教えてあげてもいいですよ?」


「興味ねえよ」


「本当ですか?」


「…………」


「本当に先輩はいけないお兄ちゃんですね」


 見透かされた。そりゃ水川に匹敵する美少女が何色の下着を履いているかを知りたいか知りたくないかと聞かれれば、知りたいに決まっている。けど、俺は男のプライドに賭けて、そして兄のプライドに賭けて、水川からその情報を引き出すわけにはいかない。


「ってか、何でお前が知ってるんだよ」


「さっき放送室で先輩が来る前に、スカートをめくったからですよ」


「なっ……」


 美少女の顔をしたエロ親父が目の前にいた。


「それとも私の色の方が気になりますか?」


「いい加減にしろ」


 彼女に軽くデコピンをしてやった。水川は「先輩、ひどいですよ……」と悲しげな眼で額をすりすりする。たまにはしっかりと罰を与えたほうがいい。


 それに水川の下着の色はなんというかその……聞かなくても知っている。


 俺の名誉のために言っておくが、俺は無実だ。


 あくまで不可抗力だ。同じベッドで眠っていたら彼女が寝返りを打ったときに、たまたまパジャマのボタンの隙間から白色の何かが見えただけだ。


 心の中でそんな弁明をして軽く死にたくなった。


 水川はそこでようやく痛みがひいたのか、額から手を放すと陳列されたアクセサリーの中から今度はペンダントを手に取った。


「かわいい……」


 それは小さな南京錠のチャームの付いたペンダントだった。


「先輩、これ可愛くないですか?」


 目を輝かせながら俺にペンダントを見せる水川。残念ながら俺には装飾品の心得はないため、それが可愛いのかどうかはわからない。が、水川の今日一番のお気に入りがそのペンダントであることは彼女の目の輝きから明らかだった。


 水川は何度も「わぁ……かわいいなぁ……」と呟きながら、恍惚とペンダントを眺める。


「これが欲しいのか?」


 俺は尋ねると、さりげなくペンダントについた小さな値札を見やった。安いわけではないが、高校生に手の届かないほどの金額でもない。


 彼女を見やる。


 俺は彼女にこの数日間、家事全般を甘えっぱなした。夕食や弁当はもちろんのこと、洗濯や掃除まで何も言わずにこなしてくれている。こんなものでつり合いが取れるとは思わないが、少しぐらいは恩返しがしたい。


 俺の質問に水川は「欲しいですっ」と目を輝かせて答えた。が、すぐに俺の質問の意味を察したようで目を見開いた。


「あの、私のことは気にしないでください」


「いいよ。水川にはお世話になりっぱなしだし、これぐらいプレゼントするよ」


「お世話って、私はあくまで好きでやってるわけですし……」


 なんというか水川らしからぬ反応で少し笑いそうになった。


「気にすんな。兄からの初めてのプレゼントとしてありがたく受け取れ」


 そう言って彼女の手からペンダントを奪った。


 水川は申し訳なさそうな顔で俺を見上げた。


「本当にいいんですか?」


「ああ、俺もたまには兄らしいことがしてみたい」


 そう言っても水川はしばらく悩んでいた。が、結局根負けしたようで「ありがとうございます」とわずかに口角を上げた。


 俺はレジを済ませると、包装紙に入ったペンダントを水川に手渡した。


「本当によかったんですか? 高くはないですけど、安くもないですよ?」


「心配するな、コツコツと貯金はしているんだ」


 紙袋を受け取ってもなお、水川はまだ申し訳なさそうに俺を見つめていた。が、不意に何かを思いついたように、ハッと目を見開く。


「先輩、ちょっとここで待っていてくれませんか?」


「え? べ、別にいいけど……」


 そう答えると、水川は急いで店内へと戻っていった。


 二分ほどで水川は俺のもとへと戻ってきた。水川の手には俺が渡したペンダントとは別に、もう一つ包装紙が握られていた。


「私からもプレゼントです」


 水川はそう言って、包装紙を俺に手渡した。


「プレゼントって、俺はお前に家事を任せているお礼で買っただけで、お前が俺に気を遣う必要なんて」


「いいから開けてください」


「はあ?」


 首を傾げながらも俺は紙袋を開封する。すると、中から水川にプレゼントしたものと同じようなペンダントが出てくる。が、チャームの形が少し違う。


「これって……」


「先輩が買ってくれたペンダント、実はペアなんですよ」


 俺は掌にペンダントを乗せるとチャームを眺めた。


 それはカギの形をしていた。なるほど、水川に渡したペンダントが南京錠でこっちはそれを開けるカギらしい。


「先輩に私のカギを預けます」


「水川のカギ?」


「はい、そのカギを先輩だけに預けておきます」


 俺には水川の言葉の意図を理解することができなかった。自分の察しの悪さに辟易していると、水川はクスッと笑う。


「そんなに深く考えないでください。先輩に私の合鍵を預けておくだけです」


「よくわからないが、そんなものを俺が持っていていいのか?」


「はい、だって先輩は私のお兄ちゃんですから。でも、そのかわり……」


 と、そこで水川はわずかに頬を紅潮させる。


「そのかわり、私がカギを見失ったときは、代わりにカギを開けてくださいね」


 やっぱり水川の言葉の意味はよくわからない。が、彼女が少し勇気を振り絞って俺に何かを伝えようとしてくれているのはわかる。


 だから、


「ああ、よくわかんないが、お前が辛いときや悲しいときにこのカギを使えばいいんだな?」


 わからないなりに、彼女の話に乗ってみることにした。


「あ、でも、くれぐれもえっちなことには使わないでくださいね」


「あのなあ、俺は真面目に」


「わかってますよ」


「え?」


「先輩は真面目に私のお兄ちゃんになろうとしてくれてること、わかってますよ」


「…………」


 ほんとにこいつは俺の調子を狂わせる。

 俺をからかったと思ったら、急にマジな顔をしたり、本当に訳のわからん奴だ。


 だけど、それが俺の妹、水川優菜という女だ。


「先輩」


「なんだよ」


「その鍵、絶対に失くさないでくださいね。その鍵は一度失ったら二度と見つけることはできませんので」


「ああ、それだけは約束してやるよ」


 俺がわずかに口角を上げてそう答えると、水川もまた鏡に写ったようにわずかに口角を上げる。


 俺と水川は兄妹という得体の知れない関係を模索している途中だ。

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