第二十一話 心の準備
食事を終えた俺は、いつものようにその夜も、リビングのソファに深く腰を下ろして、ぼーっとテレビを眺めていた。別に特にテレビが面白いというわけでもないが、眠るまでのこのくつろぎの時間は一日の中でも一番、大好きな時間だ。
そして、水川……いや、優菜もまた同じことを考えたようで、俺の隣にちょこんと座ると、クスクスと笑いながらバラエティ番組を眺めていた。が、しばらく番組を眺めたところで、不意に俺の腕に掴まって、肩に頬をつける。
「なんだよ。いきなり……」
「んふふっ……なんでもないです」
どうやら何でもないが、こうしたいらしい。俺はそんな彼女を横目に、付き合うということはこういうことなのだなと、妙に実感する。
不快かと言われればそう言うわけではない。彼女の身体は暖かいし、腕に押し付けられている何かの感触も、悔しいけれど嫌な感触ではない。が、基本的に童貞気質の俺にはそんな優菜の行動は俺に戸惑いしかもたらさない。が、彼女はそんな俺の戸惑いを知ってか知らずか、掌を俺の掌に重ねてぎゅっと手を繋ぐ。
「先輩……」
「な、なんだよ……」
「お話しませんか?」
優菜は意味なく俺の耳元でそう囁いた。
どうでもいいけど、これから会話をするときにわざわざ宣言する必要があるのか?
「話っていったい何の話をするんだよ」
「私、先輩のこと、もっとたくさん知りたいです」
「俺のことを知って何か得なことでもあるのか?」
「むぅ……なんでそんな素っ気ないこと言うんですか?」
と、優菜はムッと頬を膨らませる。どうやら、カップルというものは意味のない話をするのが普通らしい。
「じゃあ、教えてくれよ。お前は俺の何が知りたいんだ?」
「私、お前って名前じゃないです。ちゃんと、名前で呼んでください」
そう言って、俺をからかうような目で彼女が俺を見上げるので、変な汗が額に浮かぶ。自然な流れではまだ言えなくもないが、言ってくれと言われて名前を呼ぶのはなかなか勇気がいる。
「ゆ、優菜はいったい俺の何が知りたいんだよ……」
と、ぎこちなく彼女を呼ぶと、一応彼女は納得してくれたようで「そうですねぇ……」と首を傾げる。
考えてなかったのかよ……。
優菜はしばらく頭を悩ませると、不意にまた俺をからかうような顔で見つめる。
「先輩は子どもとか欲しいですか?」
「はあ?」
その唐突過ぎる質問に困惑していると、彼女は俺の耳元で「私は欲しいですよ……」と囁くのでさらに困惑する。
「おい、もう少しまともな質問はできないのかよ」
「え? 私は単純に先輩が子供好きなのかどうかを聞きたいだけですよ? 何で、そんなに動揺するんですか?」
「俺だって、お前以外の人間に聞かれたら普通に答えてるよ」
「その言い方だと、まるで私がえっちな女の子みたいじゃないですか……」
と、優菜は心外そうに俺を睨む。が、不意にぽっと頬を赤らめると俺から顔を背ける。
「でも、私は本当はえっちな女の子かもしれないです……」
「唐突にカミングアウトしてんじゃねえよっ」
本当に付き合うようになってから、彼女はどんどん大胆になってきてやがる。どうやら俺へのからかいに本腰を入れ始めているようだ。まあ、それでも気まずいよりはましだが、なんというか……心臓に悪い。
「先輩はえっちな女の子は嫌いですか?」
「いや、そういうわけではないけど……」
「知ってます」
「納得するの早すぎだろっ」
そうツッコムと彼女はぎゅっと握った手に力を入れる。
「だけど、先輩のそういうところ、嫌いじゃないです……」
と、見つめられると思わずドキッとしてしまう……。
い、いや待て。何で俺がエロい男だって前提で話が進んでいるんだ。
「言っておくが俺はごく一般的な高校生だ。当然ながらそういうのに興味がないわけじゃないけど、あくまで一般的な高校生レベルでの話だからな。そこは誤解するなよ」
「え? だけど、先輩が見てるえっちい動画は、普通の高校生にしてはちょっと……」
「お、おい、ちょっと待て。どういうことだっ!! 俺の性癖ってそんなにやばいのかっ!?」
優菜の言葉で急に不安になってくる。
「ってか、見たのか?」
そう尋ねると優菜は急に恥ずかしくなったのか頬を赤らめる。
「み、見たって言っても、興味本位で少し再生してみただけです……」
「…………」
と、そこでお互いに妙に恥ずかしくなって目を合わせられなくなってしまう。
もちろん、俺のパソコン内のアレが優菜にバレてしまったことは知っていたが、まさか再生までしていただなんて思わなかった……。
「せ、先輩はそう言うことに興味あるんですか?」
と、沈黙を破ったのは優菜の方だった。
「せ、先輩がどうしてもって言うのなら……私、いいですよ……」
何を言い出すかと思えばそんなことを口にする優菜。
ちょ、ちょっと待て、突然そんなこと言われても心の準備が整っていない……。
「い、いや、それは……なんていうかだな……」
「高校生の男の子ってやっぱり彼女とそういうこと……したいんですよね?」
と、優菜は少し不安げに俺を見つめた。
そこで俺はようやく彼女は少し不安を抱いていることに気がついた。
なるほど、よくわからないが、俺の例のバレてしまった動画のせいで、彼女は俺を性獣かなにかなのかと不安に思っているらしい。
いや、確かに高校生並みには興味があるし、そういう動画を見ないかと言えば嘘だ。
けど、それだけではない。
「もっとゆっくり時間をかけてもいいんじゃないか?」
「え?」
「確かに、俺は人並みにはそういうことにも興味はある。けど、相手が不安がっているのに、そういうことを求めるつもりもないし、そういうのは……なんていうか、もっと二人の距離が縮まってからでもいいんじゃねえかなって思って……」
「…………」
水川はしばらくじっと俺を見つめていた。
が、不意にクスッと笑いを漏らした。
「先輩って、本当に優しいお兄ちゃんですね……」
「お、俺は別に――」
「わかりました。お互いもっと心が成長するまで、楽しみはとっておくことにしましょう」
「…………そ、そうだな……」
俺は高校生カップルというものは知らない。けど、少なからず高校生の女の子というものは彼氏からいつそういうことを求められるのか、内心不安に思っているんじゃないだろうか?
確かに、彼女は俺をからかうためにやや、いや、結構過激なことはしてくるが、きっと心の奥では心の準備ができていないのだ。それはもちろん俺だって同じで、それを無理に求めてしまうと、何かがずれてしまいそうな気がする。
水川は俺の顔を見つめて笑みを浮かべた。
「だから今は――」
と、そこで彼女は急に顔を俺へと伸ばして、俺の唇に自分の唇を押し当てた。
俺はされるがままで、唇に少ししっとりとした柔らかい何かを感じる。俺たちは五秒ほどお互いの唇の感触を確かめてから顔を離した。
「あのなあ、いきなり――」
「だから、今はキスで我慢しましょう」
そう言って、彼女は微笑んでいた。が、不意にはにかむように俺から視線を逸らす。
そして、
「そのかわり、お互い大人になったら、これでもかってくらいにいっぱいエッチしましょうね」
そう言って彼女は立ち上がると、そのまま自室へと歩いていった。
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