第三章 修学旅行編

第一話 青天の霹靂

 とある日の朝。今日も今日とて俺は優菜と一緒に学校へと向かう。特筆するべきことではないが、いつの間にか体育祭は終わり、まもなく俺は高校生最大のイベント修学旅行をまもなく迎えようとしていた。なんて書くと、まるで修学旅行が楽しみで仕方がないように聞こえるが、特にそういうわけではない。まあ、観光に興味がないわけではないが、観光なんて親しい友人と個人的に行けばいいわけで、どうも俺は集団行動に気乗りしない。あ、ちなみに個人的に観光に行けるような友人は俺にはいないです。


 それはそうと……。


「♪ふふふ~んっ」


 俺は手を繋ぎながら隣を歩く優菜を見やった。なんだかよくわからないが今日の彼女はなかなか上機嫌だ。何やらニコニコしながら鼻歌を歌っている。まあ、彼女が上機嫌であることに越したことはないが、俺には彼女が上機嫌な理由が思い当たらない。


「何かいいことでもあったのか?」


 だから、直接彼女に尋ねてみることにした。俺の言葉に優菜は鼻歌を止めて俺を見上げる。


「え? なんでそんなこと聞くんですか?」

「いや、別に、これといって理由はないけど……」


 素直に答えればいいものを、彼女は俺の質問に質問で返してくる。が、不意に悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「そうですねぇ……正確に言うといいことはこれから起こると言ったほうがいいですよ」

「なんだよ。その匂わせは……」


 なんだかよくわからないが、彼女のその思わせぶりな言葉は俺に嫌な予感を抱かせる。なんとなくだが、そのいいこととやらは何かしら俺に関係のあることのような気がしたからだ。


「だって、答えを言っちゃったら面白くないじゃないですか。私の機嫌がいい理由はこれからわかりますよ」

「そ、そうか……」

「ヒント、欲しいですか?」

「いや、別にいいや」

「むぅ……もう少し、興味を持ってください……」

「面倒くせえなぁ……」


 と、俺がそっけなく答えると優菜は少しムッとしたように頬を膨らませる。どうやら、その件についてもっと俺に食いついて欲しかったようだ。が、俺はわざわざその嫌な予感を優菜から聞き出して、朝っぱらから鬱になるようなドMではない。


 優菜に腕を掴まれ「もっと、私から色々聞き出してくださいっ!!」とせがまれながら歩いていると、俺はふと前方に制服姿の少女を見つけ足を止める。。


「あれ?」


 あれって……。

 俺はその少女に見覚えがあった。俺の記憶が正しければあの少女は……。


「どうかしましたか?」


 俺にしがみついた優菜は首を傾げながら尋ねてくるので、その少女を指さした。


「いや、あれって……」


 優菜は指さす方向を見やると「あぁ……」と納得したように笑みを浮かべる。


「紗々ちゃんですね。それがどうかしましたか?」

「いや、どうかするだろ。お前のせいで少し感覚が麻痺しているけど、何の変哲もない住宅街に人気タレントが歩いているんだぞ?」


 やっぱりそうだ。彼女は優菜の友人兼大人気タレント片岡紗々、その人である。彼女は少なくともここらでは見かけない高校の制服で近くのコンビニへと歩いていく。


「ってか、あいつ……高校生だったのか……」


 そう言えば俺は彼女の年齢を聞いたことがなかった。別に見た目が老けているわけではないのだが、なんとなく勝手に二〇代だと思っていた。もちろん、美しい彼女に高校の制服が似合わないはずはないのだが、彼女の大人の色気のせいか、妙に違和感がある。


「あれ? 知らなかったんですか? 紗々ちゃんは学年的には先輩と同じですよ?」

「そ、そうなのか……」


 コンビニへと入っていく彼女を眺めながら俺は思う。あんな制服の高校このあたりにあったっけ? いや、それ以前に片岡紗々ってこの辺りに住んでたのか? 今一つ自分の中で彼女が平日の朝っぱらにこんなところを歩いている理由が理解できなかった。


 が、そんな俺の疑問も、優菜が上機嫌だったわけも、数十分後にすべて理解することになった。



※ ※ ※



 げた箱の前で優菜と別れ教室へとやってきた俺は、教室内のざわめきに思わず足を止める。いや、ホームルーム前はいつもある程度騒がしいのだが、なんだか今日は少し空気が違う。何やら教室全体にそわそわとした雰囲気が漂っていて、皆に落ち着きがない。


 が、教室中の生徒が一斉に俺に視線を送るということもなく、そのそわそわの原因が少なくとも優菜ではないというのは理解できた。と、なれば、俺が何かを心配する必要はない。再び自分の席へと歩き出すが、そんな俺のもとへと長谷川がやってくる。


「おう、マネージャーっ」


 長谷川は気安く俺の肩に手を回してくる。あ、そうそう、ここのところ俺のあだ名はマネージャーで定着しつつある。


 が、そうはさせない。


「次、その呼び方したらぶち殺すからな」

「なあマネージャー」

「殺す」


 長谷川を睨みつけるが、彼は相変わらずへらへらと笑みを浮かべるだけだ。


「そうカッカするなよ。なあ、マネージャー、言っておくが俺は誰が現れても水川さんの推しだからな。そのことだけちゃんと水川さんに言っておけよ」

「はあ?」


 何言ってんだこいつ……。いや、長谷川が優菜の応援団長なのは知っているが、今更こいつが俺にそんなことを伝えてくる理由がわからない。そんな長谷川の言葉に胸騒ぎを覚えた。


 いや、まさかこの教室のそわそわ感と関係ないよな……。


 と、一抹の不安を覚えながらも机に腰を下ろすと、ちょうど担任が教室へと入ってくる。


「はいはい皆さん、盛り上がる気持ちはわかるけど、席についてね」


 担任の声に生徒たちがそれぞれの席に戻っていく。


 ん? 盛り上がる気持ちってなんだ? 俺はちっとも盛り上がってないけど……。


 どんどんキナ臭くなってくる。教室を見渡すと、生徒たちは男女問わず、地に足がついてない様子で、しきりに教室のドアに視線を送っていた。


「はい、じゃあもう、みんな知ってると思うけど紹介するわね。入ってきてください」


 は? 紹介?


 教室の中でたった一人、事態が理解できずバカみたいな顔でドアを眺めていると、外側からドアが開かれた。そして、教室内に少女が一人入ってくる。


「っ……」


 教室に入ってきたのは……片岡紗々……。


「「「「「うおおおおおおおっ!!」」」」」


 男子生徒を中心とした雄たけびが教室内に響き渡る。が、片岡紗々はそんな男子たちの大声に顔色一つ変えずにニコニコと笑みを浮かべている。


「今日から皆さんの仲間になる片岡さんです。それじゃあ片岡さん、自己紹介よろしくね」

「片岡紗々と言います。ご存じかもしれませんが、タレントの仕事をしています。仕事が忙しくてあまり皆さんと過ごせる時間は多くないかもしれませんが、よろしくお願いしますっ」

「「「「「うおおおおおおおっ!!」」」」」


 と、俺を除いて盛り上がる教室。が、俺にはわからない。いや、こいつらが盛り上がる理由はわかる。が、そもそも俺には片岡紗々がわざわざ俺と優菜の通う高校に転校してくる理由が全く理解できない。


「おい、ちょっと待てっ!!」


 無意識に声が出ていた。俺の声に生徒たちが一斉に俺を見やった。


「なんで、お前がここにいるんだよ」


 どう考えてもおかしい片岡紗々の登場にそう尋ねると、片岡紗々はやはり表情一つ変えずに俺に手を上げた。


「あ、お兄ちゃんだ。よろしくね」

「俺はお前のお兄ちゃんじゃねえっ!!」


 いつものお兄ちゃん呼ばわりにツッコミを入れる。が、その直後、生徒たちがざわつき始める。


「え? 今、お兄ちゃんとか言わなかった?」

「ってか、なんで紗々ちゃんが岩見にあんなに気さくに話しかけてるの?」


 そうだ。おかしい。

 いくら優菜の兄とはいえ、こんなにも当たり前のように片岡紗々に、俺が話しかけるのは普通に考えておかしい……。


「おい、マネージャー、後で事情を詳しく説明してもらおうか……」

「…………」


 長谷川が訝しげに俺を見つめてくる。


 なんだなんだ? もしかして俺はまたやっかいなことに巻き込まれるのか? 優菜の件だけでも大変だったのに、そこに全国の男子の憧れの的、片岡紗々まで加わったら、さすがに俺の身体はもたねえぞ……。


 と、そこで担任が口を開く。


「あら? もしかして岩見くんは片岡さんとお知り合い? じゃあ、せっかくだから片岡さんには岩見くんの隣に座ってもらおうかしら?」

「「「「「じ…………」」」」」


 担任のそんなキラーパスに俺はさらに窮地に追いやられる。

 まずい……。


「い、いや、それはなんというか色々と……」

「じゃあ私、お兄ちゃんの隣に座りますね?」

「だからっ」


 頼むから、今だけはその呼び方は止めてくれ……。


「じゃあ皆さん、片岡さんと仲良くね? だけど、片岡さんはお仕事のこともあるから、あんまり無理なお願いはしちゃだめよ」

「…………」


 片岡紗々はそう言って俺の隣の席へとやってきた。空気を読んだ席の主は慌てて荷物をまとめて後方の空机へと移動する。


「よろしくね、お兄ちゃん」


 何やら殺気溢れる教室の中、片岡紗々だけは相変わらず呑気な笑みを浮かべていた。

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