第四話 小悪魔美少女の素直な一面

 なんだろう。俺と水川はどうしてこんなことになっているんだ。


「先輩、電気消してください……」


 午後十時、俺と水川優菜はベッドの上にいた。……なんて言い方をしたら語弊しかないけど、その説明で間違っていないと思う。少なくともこんな姿を学校の奴らになんて見られたら、異端審問を開くまでもなくその場で処刑されたっておかしくない。


 俺はベッドのわきに置かれたリモコンを手に取ると、蛍光灯を豆電球に切り替える。


 そのまま横になり、布団をかぶると目の前に水川の顔がうっすらと見えた。


 ああ、凄い。一睡もできる気がしない。


「シングルベッドだと、思っていたよりも距離が近いですね。ちょっと手を前に出すと、ほら……」


 そう言って水川の手が俺の手に触れた。


「やっぱり俺が床に寝ようか? 一晩ぐらい――」


「その必要はないです。この部屋はエアコンがないので、こっちのほうが暖かいです」


「そうかもしれないけどさ……」


「それにこっちのほうが寂しくないです」


「…………」


 俺は必死に表情から感情を読み取られないように、無表情に務めた。が、なんとなくだが、彼女には俺の感情が駄々漏れのような気もする。


 それにしても……。


 俺には水川の意図が理解できずにいた。


 なぜ、彼女は思わせぶりな態度をとろうとするのだ。少なくとも常識的に考えて、先輩殺しの小悪魔美少女、水川優菜が特にこれまで付き合いもなかった俺なんかのことを好きになることはありえない。にもかかわらず、水川は俺に手料理を振る舞ったり、お弁当を作ったり、果てには一緒に寝ようとまで言ってくる。いくらこれから兄妹になるとはいえ、度が過ぎているように俺には思えた。

 彼女がここまでして俺に接近してくるメリットがわからない。


「そんなにじっと見られると、さすがに恥ずかしいです……」


「え? 悪い、そういうつもりじゃ……」


 気がつくと水川のことをぼーっと見つめていたようだ。俺は顔が火照るのを感じながら慌てて彼女から視線を逸らし、彼女に背を向けるように寝返りを打つ。


「そろそろ眠くなってきたから俺は寝るぞ」


 全然、眠くはなかったけど、そう言ってこちらから強制的に会話を打ち切ることにした。


 とりあえず目を瞑ってじっとしていれば彼女も俺が寝たと判断するだろう。


 が、


「私って結構、眠りが深いほうなんですよ……」


 俺の背中に向かって水川がそんなことを言うので、心臓が強く脈打つ。


「私、一度眠りに落ちたら、少し触れたぐらいじゃ目を覚ましませんよ……」


「そうか。俺はどっちかというと眠りは浅いほうだ」


 俺はあえてそっけなくそう答える。


「もしも、夜中に先輩に触られたとしても私はきっと気づかないですよ……」


 あぁダメだ。水川が小悪魔っぷりを余すことなく発揮していやがる。こいつはこんな風に思わせぶりなことを言わないと他人と会話ができないのかと本気で心配になる。


「先輩」


「なんだよ」


「先輩って優しい人なのか、意気地がない人なのかよくわからない人ですね」


「はあ?」


 彼女の言葉に思わず振り返る。するとにっこりと微笑む水川の顔が豆電球にうっすらと照らされていた。


「何が言いたい」


「私、こう見えても結構モテるほうなんですよ」


「どう見てもお前は学園一モテる女だろ」


「えへへ、そう言われと少しムズ痒いですね」


 水川は少し恥ずかしそうにポリポリと人差し指で頬を掻いた。


「先輩には悪いなって思ったんですけど、私、今日一日先輩にわかりやすいぐらいにべったりしていたんです」


「露骨なほどにな」


 やっぱりそうだったのか。いくら人懐っこいともっぱらの噂の水川とはいえ、ここまでするものかと疑問に思っていた。


「で、なんでそんなことしてたんだ」


「先輩が私に落ちないかどうか試していたんです」


「俺が落ちるかどうか? なんのためにそんなこと……」


「本音を言うと、私だって本当は会話もろくにしたことのない人と二人っきりで暮らすのは怖かったんです。だから先輩が私をちゃんと妹として見てくれるかどうか試したんです」


「で、結果はどうだったんだ?」


 水川はしばらくじっと俺のことを見つめていた。が、不意に笑みを浮かべると「よくわからないです」と答えた。


「なんだよそれ……」


「だって先輩って全然表情から感情が読めないんですよ。私、あまり自慢はしたくないですけど、自分に気がある男性生徒は顔を見ると、だいたいわかるんです……」


「まあ、お前みたいに日常茶飯事に誰かから告白されるような人間だったら、そういう能力も身につくだろうな……」


「日常茶飯事とか言わないでください。私だって、相手の気持ちに応えられないのは胸が痛いんです……」


 そう言って水川はむっとふくれっ面になる。


「先輩みたいに思い通りにいかない人は初めてです……」


「まあ、そっちのほうが兄としては適性があるのかもな」


「悔しいですけど、そうみたいですね。おかげさまで女としての自信に見事にヒビが入りました……」


 俺は彼女のこれまでの異様なほどの行動の理由がわかって少しすっきりした。水川のような女の子が俺なんかに色目を使うわけがない。きっと彼女は少しでも俺が色気を出したら、シンガポールに行く母についていこうとでも思っていたのだろう。

が、高校一年生の女の子が知らない男と突然一緒に住むなんて、不安なんてレベルではないほどの恐怖のはずだ。しっかりと前もって相手の性格を確かめておくことはむしろ当然だ。


「で、どうするんだ?」


「え?」


「お前が不安なんだったら、無理に俺と住まなくてもいいんだぞ? 確かに父さんには迷惑をかけることになるかもしれないけど、頼み込めば別々に生活することだってできるかもしれない。いくら戸籍上兄妹になったって、無理によくわからない男と住む義理なんてどこにもないんだ」


 水川は少し驚いたように俺を見つめていた。


 どうやら水川にとって俺の言葉は意外だったらしい。


 水川は俺の表情を探るようにしばらく俺を見つめていたが、不意にクスッと笑う。


「先輩ってやっぱり何考えてるか、よくわからない方ですね」


「あんまりからかうと本気で怒るぞ……」


「クスッ……ごめんなさい。だけど、今はまだよくわからないです。だから、もう少し先輩がどんな方なのか試したいと思います」


「おいおい、まだ俺を試すのか?」


「はい、だって先輩が本当はとんでもない狼かもしれませんから……」


 どうやら、俺が彼女の信頼を得る日は遠い未来のようだ。


「私、先輩が私に落ちないかどうか、これでもかってぐらいにベタベタします」


 いや、それは俺以前に異端審問会の方々が納得しない気がするが。


「だけど勘違いしないでくださいね。あくまでこれは健全に兄妹関係が築けるかどうか確かめるためなので」


「なんか本末転倒してないか?」


「そんなことないです。私、絶対に先輩のこと落としてみせますよ」


「いや、やっぱり本末転倒してるだろ」


「してないです」


 そう言って彼女はまたクスクスと笑った。


 俺は思った。もしかしたら俺はとんでもない女の子を妹にしてしまったかもしれないと。

 異端審問会が目を光らせる中、俺は本当に生きて高校を卒業することができるのか不安になる。


 が、それと同時にこうも思う。


 高校の生徒たちは彼女のことを先輩殺しの小悪魔美少女と呼ぶ。だけど、こうやって話してみれば、彼女は思ったよりも素直な女の子かもしれないと。


 いや、だけどだめだ。騙されてはいけない。


 これまで彼女に好意を持ってきた男子生徒はことごとく英霊となったのだ。彼女の一見素直なこんな姿すらも、男を油断させるための罠なのかもしれない。


 が、少なくとも目の前で何かおかしそうにクスクスと笑う彼女の笑顔は、俺には偽物には見えなかった。



※ ※ ※



「先輩、もう朝ですよ……」


 翌朝、そんな声と何やら甘いシャンプーの匂いで俺は目を覚ます。瞼を開くと俺の顔を覗き込む制服姿の少女姿があった。彼女は俺の寝顔を観察するように眺めていたが、不意に笑みを浮かべる。


「先輩って、結構、お寝坊さんなんですね。早くしないと遅刻しちゃいますよ」


 その顔を見て、俺は水川優菜が昨晩、俺の家に泊まるという非現実的な出来事があったことを思い出して思わず目を見開く。


 それを見て水川は何がおかしいのかクスクス笑う。


「夢オチだと思いました?」


「ああ、いっそ夢だったほうがよかったかもな」


「そんな寂しいこと言わないでください。はい、これ先輩の分です」


 そう言うと水川は俺の顔の前に弁当箱を差し出した。


「悪いな」


「いえ、私は料理が好きなので。それに料理は自分のために作るよりも誰かのために作るほうが楽しいんですよ?」


「なっ……」


「先輩、早く学校に行きましょ?」


 そう言うと、水川は俺に背を向けて、本棚へと歩いていく。どうやら俺の本棚が気になったようだ。俺はゆっくりと体を起こすと、とりあえずボサボサの髪の毛を手癖することから身支度を始める。


「可愛い……」


 と、そこで水川が本棚に置かれた写真立てを手に取る。


「先輩にもこんなに可愛かった時期があるんですね」


「なんだか逆説的に聞こえるのは俺の気のせいか?」


「え? もしかして先輩は今も可愛いですよって言われたいんですか?」


「そ、そういうわけじゃないけど……」


 俺は顔が火照るのを感じながらベッドから降りるとそそくさと洗面所へと向かう。赤くなった顔を見られるのが恥ずかしかったからだ。


 そんな俺の後姿を見て水川がニヤニヤしているのが手に取るように分かった。


 本当に彼女と一緒にいると、調子を狂う。俺は寝癖をぎゅっと手で押さえながら、洗面所に入ると鏡を見やった。


 そして、驚愕する。


「嘘だろ……」


 俺は鏡を見て驚いた。


 俺の頬は意外にも緩んでいた。


 馬鹿な。こんな顔をしていたら、まるで俺は水川にからかわれているのを喜んでいるみたいじゃないか。


「先輩、一階のロビーで待っていますね」


 そんな水川の声が背後から聞こえて、直後、ドアがばたんと閉まった。


 今日も波瀾万丈な一日が幕を開ける気がする。

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