苦痛恐怖症

 誰でも痛いのとか苦しいのは嫌だと思う。


 *


 勿論、わたしも嫌だ、というか恐怖心しかない。

 突然、驚かされるとかも駄目だし、要するにノミの心臓で気が小さいというのもあるけど。

 痛みや苦しみへの耐性のなさも情けないほどで、それもこれは大人になればなるほど、痛みや苦しみの経験値が増えれば増えるほど酷くなってきた気がする。


 *


 もう十数年前にある手術をした。

 手術自体は大きなものでは無かったが、全身麻酔だった。

 その時にしたのが鼻から喉頭を経由して『気管内チューブ』を挿入する気管挿管という気道確保方法(との説明を受けた)


 その時に少し違和感はあったけど、手術の緊張であまり気にはしなかった。


 そして無事、手術は終わり、意識も戻って次の朝までは経過を見るためにICU(集中治療室)で過ごすことになったのだけど。


 その時になって、わたしは気になって、どうしようもなくなってきていた。

『気管内チューブ』が喉の奥に変な具合に当たっていて気持ち悪い。

 気にするからだろうか、そのうちに、どうにも苦しくて仕方なくなってきた。


 申し訳ないと思いつつ、看護師さんを呼ぶ。

「すみません、このチューブがどうにも苦しくてしょうがないのですが、抜いていただく訳にはいきませんか?」

 答えはNO。

 感染症の予防などもあるから、朝、先生の回診後に異常なしと認められないと抜けないとのことだった。


 そしてとりあえず、痛み止めを処方される。

 でも、効かない。

 とにかく苦しい。眠れれば少しは違うのだろうけど、眠ることもできない。

 気にしないように意識を他に持っていこうとするけど無理。

 時計は、まったく進まない。

 1分がものすごく遅い。


 それから朝までは地獄だった。

 終わりが見えない感覚。

 苦しいしか意識の中に言葉がない。


 やっと朝が来て回診後にチューブが抜かれた時は、やっと救われたと思った。


 *


 手術前後の痛さや苦しさもかなりのものだったけど、この『気管内チューブ』の体験も負けず劣らすだった。

 とはいえ、他の体験者に聞いても、そんなに気にならなかったという話だったから、たまたま、わたしの時に入り方が良くなかったのか、わたしが神経過敏になっていたのか、わからないけれど。


 いや、それでもあの苦痛が続く感覚は耐えがたかった。怖かった。


 わたしが苦痛に弱すぎるからかもしれないが、それと共にいつ終わるのかわからないという恐怖感と絶望感。

 ここから助けて貰えるなら何でもすると真剣に思ったくらい。


 この手術前後は高熱を出したり、痛みも酷かったりと色々あったから、気持ちも弱っていて尚更だったかもだけど。


 我が身をもって、人間の、自分の弱さを思い知った。


 痛いのも苦しいのも昔から苦手だけど、トラウマになったのは、あの出来事が大きいような気がする。

 実際に今では痛みのせいで血圧が急に下がって気分が悪くなって倒れたりもしてしまうという情けなさだし。


 ***


 痛い目にも苦しい目にも、できるだけもう、あいたくない。

 というか、わたしのノミの心臓は、もう耐えられないと思う。

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